2008年1月3日木曜日

「地球温暖化」は「ノストラダムスの大予言」か

地球温暖化の根拠を調べた。
地球温暖化が進むと言うが、根拠になっているのは、過去2000年の地球の
温度変化図らしい。
大まかには、1000年を0℃とすると2004年は0.4℃を越えるという話だ。
そこで、歴史と比較する。
・およそ10世紀から14世紀にかけて、ヴァイキングが凍結していない海を(船で)
 渡って、グリーンランドに入植。より北方へ領土を広げた。
・ハドソン川渓谷の下流にあるピアモント湿原の堆積物からは、中世の温暖期
 (AD800~1300年)には乾燥していたという証拠が得られた。
 この時期アメリカ西部の多くの地域、特にカリフォルニアやグレートベースン
 では長期の旱魃の影響が見られ、アラスカではAD0~300年と850~1200年、
 1800年以降の3回の温暖化が認められている。
・放射性炭素年代が得られているサルガッソー海の海底試料の分析結果では、
 約400年前(小氷期)と1700年前は表層海水温が現在よりおよそ1℃低く、
 1000年前(中世の温暖期)には1℃高かったということが示されている。
・赤道東アフリカでは、それまで現在より乾燥な気候と比較的湿潤な気候が
 繰り返されていたが、中世の温暖期にあたる時期(AD1000~1270年)には
 より乾燥した気候へと変化した。
・南極半島の東ブランスフィールド盆地で得られた氷床コアにも小氷期と
 中世の温暖期が認められるが、紀元1000-1100年の頃に明らかな寒冷期が
 見られる。
・これらのことから、中世の温暖期という言葉が一様な出来事を示すのではなく、
 温暖な時期の間にも、地域的に温暖だったり寒冷だったりしたこともあった。

温度変化図と歴史が一致しない。
簡単に比較すると、
1000年頃地球の温度は0℃で歴史的にはグリーンランド沿岸を(船で)渡ることが
できたのに、2004年は地域規模で温度が0.4℃もあがっているのに、グリーン
ランド沿岸は凍結しており、海を(船で)渡れない。
地域限定な特殊気候として南半球のアフリカの一部やオーストラリアは温暖化が
進むと言うが、北半球に寒冷化した地域が現れない。

歴史的事象と温度変化図は因果関係が見当たらないため、温度変化図は意図的に
操作された可能性がある。

世紀末に人類が滅びると話題になった「ノストラダムスの大予言」と同じ現象の
ように思える。そういえば、先導するのは欧州。
本当の意図は違うところにあるのではないのか。
そうなると、世界規模でマスメディアがあおる地球温暖化で誰が得するのか。


---Image:2000 Year Temperature Comparison.png---
http://www.globalwarmingart.com/images/c/c1/2000_Year_Temperature_Comparison.png



Reconstructions

The reconstructions used, in order from oldest to most recent publication are:

1. (dark blue 1000-1991):
[abstract] [DOI] Jones, P.D., K.R. Briffa, T.P. Barnett, and S.F.B. Tett (1998). "High-resolution Palaeoclimatic Records for the last Millennium: Interpretation, Integration and Comparison with General Circulation Model Control-run Temperatures". The Holocene 8: 455-471.

2. (blue 1000-1980):
[abstract] [full text] Mann, M.E., R.S. Bradley, and M.K. Hughes (1999). "Northern Hemisphere Temperatures During the Past Millennium: Inferences, Uncertainties, and Limitations". Geophysical Research Letters 26 (6): 759-762.

3. (light blue 1000-1965):
[abstract] Crowley, Thomas J. and Thomas S. Lowery (2000). "Northern Hemisphere Temperature Reconstruction". Ambio 29: 51-54. ; Modified as published in [abstract] [DOI] Crowley (2000). "Causes of Climate Change Over the Past 1000 Years". Science 289: 270-277.
4. (lightest blue 1402-1960):
[abstract] [DOI] Briffa, K.R., T.J. Osborn, F.H. Schweingruber, I.C. Harris, P.D. Jones, S.G. Shiyatov, and E.A. Vaganov (2001). "Low-frequency temperature variations from a northern tree-ring density network". J. Geophys. Res. 106: 2929-2941.

5. (light green 831-1992):
[abstract] [DOI] Esper, J., E.R. Cook, and F.H. Schweingruber (2002). "Low-Frequency Signals in Long Tree-Ring Chronologies for Reconstructing Past Temperature Variability". Science 295 (5563): 2250-2253.

6. (yellow 200-1980):
[abstract] [full text] [DOI] Mann, M.E. and P.D. Jones (2003). "Global Surface Temperatures over the Past Two Millennia". Geophysical Research Letters 30 (15): 1820.

7. (orange 200-1995):
[abstract] [full text] [DOI] Jones, P.D. and M.E. Mann (2004). "Climate Over Past Millennia". Reviews of Geophysics 42: RG2002.

8. (red-orange 1500-1980):
[abstract] [DOI] Huang, S. (2004). "Merging Information from Different Resources for New Insights into Climate Change in the Past and Future". Geophys. Res Lett. 31: L13205.

9. (red 1-1979):
[abstract] [full text] [DOI] Moberg, A., D.M. Sonechkin, K. Holmgren, N.M. Datsenko and W. Karlén (2005). "Highly variable Northern Hemisphere temperatures reconstructed from low- and high-resolution proxy data". Nature 443: 613-617.

10. (dark red 1600-1990):
[abstract] [DOI] Oerlemans, J.H. (2005). "Extracting a Climate Signal from 169 Glacier Records". Science 308: 675-677.

(black 1856-2004): Instrumental data was jointly compiled by the Climatic Research Unit and the UK Meteorological Office Hadley Centre. Global Annual Average data set TaveGL2v was used. Documentation for the most recent update of the CRU/Hadley instrumental data set appears in:

[abstract] Jones, P.D. and A. Moberg (2003). "Hemispheric and large-scale surface air temperature variations: An extensive revision and an update to 2001". Journal of Climate 16: 206-223.

Copyright
This figure was prepared by Robert A. Rohde from publicly available data.

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Permission is granted to copy, distribute and/or modify this image under either:
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* The Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike License Version 2.5
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Those interested in commercial and/or higher quality reproduction should also refer to information for professional republishers.

Notes
1. Data from Moberg et al. was taken directly from the supplemental information accompanying the Nature article.
2. Data for Oerlemans was provided by William M. Connolley.
3. Esper et al. reported only fluctuations in "arbitrary" units, so the variance in this record was rescaled to match the variance during the period of overlap with the instrumental record.
4. When a paper included multiple reconstructions, the global annually average temperature data was used. If this was not reported, then Northern Hemisphere annually averaged data was used.
5. Four records appearing at [2] were not used in preparing this graph for the following reasons:
1. Mann et al. 98 was not included because Mann et al. 99 extended and updated that record.
2. Briffa et al. 98 was not included because Briffa et al. 2001 extended and updated that record.
3. Pollack et al. 98 was not included because the reported data was not found to be in a form that allowed for easy replotting.
4. Mann et al. 2000 was not used because it did not included an original reconstruction covering at least the Northern Hemisphere.

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---中世の温暖期 Wikipedia---
最終更新 2007年12月29日 (土) 12:55
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%B8%A9%E6%9A%96%E6%9C%9F

 中世の温暖期(Medieval Warm Period:MWP)とはヨーロッパの中世に相当する時期、およそ10世紀から14世紀にかけて続いたヨーロッパが温暖だった時期を指す。この時期の温暖化は地球温暖化や温室効果についての議論でしばしば話題にされる。
 中世の温暖期と小氷期についての初期の研究はほとんどヨーロッパのものである。ヨーロッパではこれらの証拠が非常に顕著で、詳細に研究されてきた。
 今までこの気温の変化は世界的なものだと思われていたが、近年ではその見解については疑問を呈されている。2001年のIPCCレポートでは、"この時間枠での気温の変化には世界的な共通性が見られないということから、'小氷期'や'中世の温暖期'という用語は、全球的もしくは半球規模の平均気温の変化傾向を表す慣例的な扱いに限定するべきである"と述べられている[1]。
 ヨーロッパではこの時期、ヴァイキングが凍結していない海を渡ってグリーンランドに入植するなど、より北方へ領土を広げたことが知られている。この温暖期のあと小氷期に入り19世紀まで寒冷な時期が続き、その後に現在の温暖化が始まっている。
 歴史時代の地域的な気候を研究をしているほとんどの古気候学者は、寒冷な時期を小氷期、温暖な時期を中世の温暖期と便宜的に使用している。他の場合でも、小氷期や中世の温暖期の時期に相当する気候イベントに対して便宜的に用いられている。しかし、この温暖期に相当する期間に湿潤もしくは寒冷なイベントがみとめられる場所もある。特に南極中央部では北大西洋地域と反対の気候パターンが認められることもしばしばある。

気候イベント
 中世の温暖期は太陽の活動の中世の極大期(AD1100~1250)と呼ばれる時期と部分的に一致する。
 メリーランド州のチェサピーク湾の研究では、中世の温暖期(AD800~1300年)と小氷期(AD1400-1900年) の間に大きな気温の変化があるのが発見され、北大西洋の熱塩循環強度の変化との関係が指摘されている[2]。ハドソン川渓谷の下流にあるピアモント湿原の堆積物からは、中世の温暖期(AD800~1300年)には乾燥していたという証拠が得られた。
 この時期アメリカ西部の多くの地域、特にカリフォルニアやグレートベースンでは長期の旱魃の影響が見られ、アラスカではAD0~300年と850~1200年、1800年以降の3回の温暖化が認められている。
 放射性炭素年代が得られているサルガッソー海の海底試料の分析結果では、約400年前(小氷期)と1700年前は表層海水温が現在よりおよそ1℃低く、1000年前(中世の温暖期)には1℃高かったということが示されている[3]。
 赤道東アフリカでは、それまで現在より乾燥な気候と比較的湿潤な気候が繰り返されていたが、中世の温暖期にあたる時期(AD1000~1270年) にはより乾燥した気候へと変化した[4]。
 南極半島の東ブランスフィールド盆地で得られた氷床コアにも小氷期と中世の温暖期が認められるが、紀元1000-1100年の頃に明らかな寒冷期が見られる。
 これらのことから、中世の温暖期という言葉が一様な出来事を示すのではなく、温暖な時期の間にも、地域的に温暖だったり寒冷だったりしたこともあったということがわかる.[5]。
 熱帯太平洋のサンゴの分析結果では、比較的冷涼で乾燥した状態が千年紀初期まで続いており、この変化はENSOパターンのラニーニャのような形状と調和している[6]。

IPCC第3次(2001)報告
(詳しくはen:MWP and LIA in IPCC reports参照)

IPCCの2001年のレポートではMann et al (1999)およびJones et al (1999)、Briffa (2000) によるAD1000年以降における北半球の夏と年平均気温の変化を復元したデータが採用されている[7]。

IPCCの第3次報告では、存在が仮定されている中世の温暖期とはそれほど顕著なものではなく、それ自体の変化は穏やかであった。半球スケールでみると、慣例的に定義されているヨーロッパの気候の時代区分と比べて時期的に幾分か異なっているとしている。

Jones et al. (1998)、Mann et al. (1999)、and Crowley and Lowery (2000)によって見積もられている北半球の平均気温は、11世紀から14世紀の間、15世紀から19世紀の間の平均よりも0.2℃温暖であるが、20世紀の気温よりも低い[8]。

第3次報告書では”小氷期”と”中世の温暖期”は存在するのか?ということが議論されてた。また、現在明らかになっている証拠からは、これらの時期に世界的に寒冷もしくは温暖であったという同時性が認められない。よって、”小氷期”、”中世の温暖期”という言葉は過去の世紀で起きた、半球規模もしくは地球規模の平均的な気温変化の傾向を示す場合に限定されるべきではないかと述べられている。


---グリーンランドの歴史 Wikipedia---
最終更新 2007年8月11日 (土) 02:19
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 グリーンランドの歴史(グリーンランドのれきし)は、10世紀に始まると言ってよい。この頃に、アイスランドのヴァイキングがグリーンランドを発見・移住したためである。これ以前にも先住民族の居住があったとは思われている。ヴァイキングも島の南西岸に定住を行ったが、16世紀までにそれらの定住地は消滅した。18世紀にはキリスト教布教などを目的にヨーロッパ人による再上陸が行われ、デンマーク=ノルウェー連合王国領となった。その後、デンマーク領となったが、第二次世界大戦中にデンマーク本国がナチスに占領されたことに伴い、アメリカ合衆国に保護された。そのため、独自性が強まり、戦争後にデンマークに主権が返還された後、1953年に植民地から海外郡に昇格、1979年以降は自治領となっている。1985年にはデンマーク領でありながら欧州共同体から離脱している。

前史
10世紀以前にもグリーンランドに居住者は存在していた。北米大陸本土から何度か上陸が行われ、それぞれ数世紀の間、居住が行われていたことが考古学的資料から判明している。
* Saqqaq 文化:2500–800 BC (グリーンランド南部)
* インディペンデンス I 文化:2400–1300 BC(グリーンランド北部)
* インディペンデンス II 文化:800–1 BC(グリーンランド最北部)
* 前期ドーセット 又は ドーセット I 文化: 700 BC–AD 200(グリーンランド南部)

前期ドーセット文化以降は、グリーンランドは無人であったと思われている。

ヴァイキングの定住
 西暦980年代にアイスランドのヴァイキングは、欧州人として初めてグリーンランドを発見した。これは「赤毛のエイリーク」と呼ばれる人物によるものである。エイリークは殺人により追放されるが、追放の最中にグリーンランドを発見する。グリーンランドの名称は、エイリークが付けたものであり、この名称の由来には二説ある。一つは、中世の温暖な気候により、グリーンランド南部に植生が見られたというもの、もう一つは植民を促すために誇大宣伝として付けられたというものである。
 エイリークは、アイスランドに帰還後、グリーンランドへ植民する仲間を募った。伝承では985年に25隻の船で出発し、14隻が辿りついたとされている。エイリークらはグリーンランド南西岸、現在のQassiarsuk付近に最初の定住地を作っている。また、伝承では西暦1000年にエイリークの息子のレイフ・エリクソンが、ここより出発しヴィンランド(現在のニューファンドランド島)を発見している。なお、この定住地は発掘が行われており、その遺物の放射性炭素年代測定により西暦1000年頃に居住が行われていた事は確かめられている。
 この定住地は、東西二ヶ所に分かれ、ピーク時にはそれぞれ千人規模となり、合わせて3千人から5千人が居住していた。13世紀頃にはヨーロッパとセイウチの牙、羊、アザラシ、乾燥タラなどの輸出を行っている。ヨーロッパ(ノルウェーやアイスランド)からは、船舶の建造に必要な木材や鉄製品の輸入を行っていた。アイスランドからの交易船は毎年運航され、時にはグリーンランドで越冬することもあった。住民の信教は、キリスト教信仰が行われており、少なくとも5つの教会跡が確認されている。
 1261年にグリーンランドの住民は、ノルウェー王国に忠誠を誓うこととなったが、基本的には自治が行われていた。ただし、1380年にはノルウェー王国がデンマーク王国の支配下に入っている。
 ヴァイキングの定住地は、14世紀頃から衰退し始め、15世紀後半には消滅したものと考えられている。この衰退の原因には、諸説あり、気候の寒冷化による航海の難易度の上昇、ノルウェー船による交易独占に伴う交易の衰退、欧州における象牙の流通に伴うセイウチの牙の価値の減少などがあげられている。

後期ドーセット文化およびチューレ文化
 後期ドーセット文化は、現在のカナダ北東部を中心に繁栄しており、10世紀頃にはグリーンランド北西部に居住していた可能性が取りざたされている。しかし、この文化も1300年頃までに消滅している。1200年頃からはチューレ文化が西方から広まってきたことが判明している。チューレ文化は狩猟を中心とした文化であり、極地での生活によく適応していた。チューレ文化は後期ドーセット文化よりもやや南方に分布し、島の最北部には居住しなかったが、島の西部・東部の広い範囲に居住した。このチューレ文化の民族は現在のイヌイットの祖先と考えられている。チューレ文化とヴァイキングとの関係は不明な点が多く、広範な議論の対象となっている。
 ヴァイキングたちは無人だったアイスランドとは違い、グリーンランドでは先住民たちと交渉する機会があった。チューレ文化の人々は南下の末、12世紀にはヴァイキングたちに遭遇したと考えられる。二つの文化が交わった痕跡は限られている。ノース人(ヴァイキング)たちの残した文献により、彼らは異民族を「スクレリング」と呼んでいたことが分かっている。また、「Icelandic Annals」はノース人とスクレリングとの接触が描かれた数少ない資料である。これによれば、スクレリングの側に敵意が生じ、18人のノース人が殺され 2人の少年が連れ去られたという。考古学的調査ではイヌイットとノース人の交易らしき跡が見られるが、イヌイットの遺跡には多数のノース人の産物が見られるのに対し、ノース人の入植地跡にはイヌイットの産物がめったに見られない。これはノース人がイヌイットに全く関心を示さなかったためか、もしくはイヌイットがノース人の居住地を乗っ取ったものと考えられている。

デンマークによる植民
 1536年にノルウェーがデンマークの完全な従属下に置かれると、グリーンランドはデンマーク領となった。17世紀にはイギリス、オランダ、ドイツの捕鯨船がグリーンランド近海に出漁したが、定住地をつくるまでには至らなかった。1721年にノルウェーの宣教師に率いられた一団がグリーンランドに上陸した。この一団の目的は、グリーンランドにおける欧州人の居住の確認および布教にあった。この商人も含まれていた一団によって、欧州人によるグリーンランドの再定住化が行われた。この植民地はゴットホープ(現在のヌーク)と呼ばれグリーンランドの南西岸に建設された。また、イヌイットと交易を行い、イヌイットの一部へのキリスト教布教に成功している。1774年にデンマーク王政府による王立グリーンランド貿易会社が設立された。この会社は、グリーンランドの行政も任されていたが、統治はなおざりで交易が中心であった。その為に20世紀初頭の領有権問題を引き起こす事となった。
 19世紀初頭、デンマークはナポレオン戦争の結果、敗戦国となり、1814年にノルウェーがデンマークから分離するが、グリーンランドはデンマーク領として残された。
 19世紀以降になると、探険家や科学者がグリーンランドを訪れるようになった。また、交易も盛んであり、グリーンランドのデンマーク植民地は栄えていた。なお、デンマーク法の適用は、デンマーク人植民者に限られていた。このほか、19世紀までの定住地の北限は北緯81度あたりまでであったが、19世紀中に島の最北部へイヌイットが定住を始めている。
 グリーンランド最初の議会は1862年から1863年にかけて開催されているが、これは島全体のものではなかった。1911年に、島にランドスティング(議会)が導入されたが、南部と北部に分かれ、この二つのランドスティングの統合は1951年まで成されなかった。なお、政治決定の大部分はデンマーク本土で行われ、グリーンランドにはほとんど決定権がなかった。19世紀の終り頃のグリーンランドは捕鯨が主な産業であった。

20世紀前半
 1931年にノルウェー人の捕鯨業者がグリーンランド東海岸の無人地帯に上陸し、ノルウェーがその地の併合を宣言するという事件がおきた。これは、1933年に国際司法裁判所の裁定により、ノルウェーの主張が認められず、グリーンランド全島においてデンマークの主権があることが確認された。また、アメリカ、スウェーデンも領有権も主張したが認められなかった。
 第二次世界大戦中の1940年にデンマーク本土がナチスに占領されると、グリーンランドの立場は微妙なものとなった。1941年4月9日にデンマーク駐米大使の独断により、グリーンランドはアメリカの保護下に置かれ、アメリカ軍が駐留する協定が結ばれた。駐米大使のヘンリック・カウフマンが本国の指示に反して行ったものであった。4月12日にアメリカ軍は島に上陸し、各地に軍事基地を設営した。戦争中においては、デンマーク政府の支配が及ばないが、必需品は北米より供給され、氷晶石の輸出などが好調であったことから、グリーンランドの状態は良好であった。
 冷戦期においては、北極を経由し、北米からソ連本土へ最も近い位置にあるということで、軍事上の要地となり、チューレ空軍基地の建設などが行われた。

20世紀後半以降
 1953年にグリーンランドはデンマークの植民地から海外郡に昇格し、デンマーク国会へ代表を送り込めるようになった。デンマーク政府も教育・福祉の充実に力を入れるようになり、そのために町での集住が図られることとなった。町への移住の結果、漁師の失業などが発生し、この失業問題は長くグリーンランドをわずらわせた。
 デンマーク本国が欧州共同体への関与を深めていくと、その経済・関税政策は、グリーンランド住民の不満を高めることとなった。グリーンランドは、アメリカ・カナダとの貿易が多かったためである。1973年にデンマークでは、EC加盟への国民投票が行われ、EC加盟を果たしているが、グリーンランドでは反対票が多かった。このため、グリーンランドでは自治権獲得運動が盛んになった。その結果、1978年に自治権を獲得し、1979年よりそれが発効した。一部の国際関係も自治政府の管轄にあり、1982年にはEC脱退を議決し、1985年に脱退している。また、グリーンランド自治政府は地名をデンマーク語からイヌイット語に変更を行っている。


---グリーンランド Wikipedia---
最終更新 2007年12月29日 (土) 12:52
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

グリーンランド
世界 > 北アメリカ > グリーンランド(デンマーク領)

グリーンランド (Greenland, デンマーク語: Grønland, グリーンランド語: Kalaallit Nunaat -「人の島」の意) は北極海と北大西洋の間にある世界最大の島。大部分が北極圏に属し、全島の約80%以上は氷床と万年雪に覆われる。居住区は海岸部のみ。巨大なフィヨルドが多く、氷の厚さは3,000m以上に達する所もある。デンマーク領だが、自治政府がおかれている。

なお、カナダとの国境線上にあるハンス島の領有をめぐっては、カナダとデンマークの間で係争中である。

民族
カラーリットが85 - 90%。カラーリットと北欧系の混血、デンマーク人もいる。

政治
一院制議会(31議席、議員任期4年)が存在し、自治政府首相が政権を担当。主要政党は進歩党、連帯党、イヌイット友愛党など。

地理
 グリーンランドは北アメリカ大陸の北、北極海と北大西洋の間、カナダの北東に位置する。世界最大の島で、領域は北緯59度50分から83度37分の範囲に広がる。経度では西経10度から70度の範囲を占めるものの北極圏に位置する。北西部では約30km離れたカナダのエルズミーア島にネアズ海峡をはさんで隣接し、南東約300kmにはデンマーク海峡をはさんでアイスランドがある。気候区分は北極圏から準北極圏に属し、涼しい夏と寒い冬を特徴とする。地形はほぼ平坦だが、沿岸部以外は氷床に覆われる。最北部は空気が乾燥しているため雪が降らず、氷に覆われていない。もしグリーンランドの氷床が全て融けたならば、現在よりも7.2mほど海面が上昇するという。[要出典]最も高い場所は ギュンビョルン山(Gunnbjørn)(3,700m)。資源は亜鉛、銅、鉄、石炭、モリブデン、金、プラチナ、ウランなどの鉱物と、魚介類、アザラシ、クジラなどの海産物。
 なお、メルカトル図法の地図では、グリーンランドとオーストラリア大陸の見た目の面積が逆転しており、「大陸」と「島」の違いに錯覚を覚えるが、実際の面積では500万平方kmもの差があり、双方の違いは歴然としている(オーストラリア大陸の約29%の面積しかない)。

経済
 主要産業は漁業とその加工業で、輸出の87%を占める。特にエビはその半分以上を占め、日本にもロイヤル・グリーンランド社を通じて多くのエビが輸出されている。多くの観光資源を抱えることから、観光業の更なる成長も期待されている。また、いくつかの鉱物資源の探査活動も現在進行中である。 デンマーク本国からの多額の助成金もグリーンランド経済を支えており、2005年には約31億クローネに上っている。
* GDP成長率 2.0%(05年)
* インフレ率(CPI) 2.3%(06/1-07/1)
* 輸出24億クローネ(f.o.b/05年)
o 魚介類とその加工品など。
* 輸入36億クローネ(c.i.f/05年)
o 機械類,食料,石油製品など。

歴史
グリーンランドの歴史を参照。

 在の先住民族はカラーリットだが、彼らの入植はグリーンランドの歴史の中では比較的最近である。アメリカ先住民(インディアン)に近縁と思われる入植者の波が数度にわたってあり、その後、アイスランドのヴァイキングが、最後にカラーリットが入植した。
 ヨーロッパ人としてはヴァイキングが初めて発見した。982年頃赤毛のエイリークがグリーンランドと命名し、入植が始まった。しかし、15世紀ごろにヴァイキングの入植地は全滅し、住民はカラーリットのみとなり、西洋の歴史から一時姿を消した。
 16世紀半ばに再発見され、18世紀にゴットホープに植民地がつくられた。同時に布教も行われた。1917年以降はデンマークの支配が全島に及び、1953年本国の県と同様の自治権を得た。1973年デンマークのヨーロッパ共同体 (EC) 加盟とともに、ECの漁船操業と漁獲高に関する規定がデンマーク本国とその領土に適用されたが、グリーンランド住民は反発し自治を要求。1979年5月に自治政府が発足し、グリーンランドはデンマークの自治領となった。1985年グリーンランド政府はECを離脱した。主な居住区は海岸部にあたり、内陸部のほとんどは厚い氷で覆われている。

グリーンランド」の由来
 エイリークはグリーンランド上陸より前、アイスランドを発見していた。アイスランドの命名者も彼なのだが、その名称故に入植希望者が現れなかった。そこで彼はグリーンランドに入植希望者が多数現れることを願い、この地を「緑の島」と名付けたのである。
 その他にもGruntland(グラウンドランド)が訛ったという説、あるいは氷河に覆われていない南部海岸地帯がエイリークの頃の中世の温暖期には緑にあふれていたという説もある。

赤毛のエイリーク
 赤毛のエイリーク(Erik the Red; 950-1003)はグリーンランドのヨーロッパ人入植者の先駆けとなった人物。ノルウェー生まれ。960年頃エイリークの父が殺人の罪でノルウェーを追放される。982年ごろエイリークもまた殺人を犯し、3年間国外追放される。「赤毛のエイリークのサガ」によると、彼はこの3年間でグリーンランドの海岸を探索する。アイスランドに戻ってからはグリーンランドについて吹聴する。985年には西海岸に二つの植民地が作られる。その一方が現在の首都ヌークである。なおこのエイリークの長男、レイフ・エリクソンがユリウス暦1000年頃アメリカに到達している。この事は15世紀のクリストファー・コロンブスがアイスランドへ赴き、大西洋の果てにある大陸を目指す為、「アイスランド・サガ」を閲覧した事でも知られている。

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