2008年1月18日金曜日

海洋生物崇拝の新興宗教

新興宗教の布教が急速に進む。
感受性が強く他人への思いやりや愛情への志向がある人々が新興宗教に巻き込
まれているようだ。
新興宗教は急速に布教し、「信仰することが社会的象徴」となるまで浸透して
いる。

新興宗教の意義がわかっているだけで三つある。
1.生物は階層化され、階層毎に取扱う。
 鯨,ミミナガバンディクート …最上位
 捕鯨反対者
 イルカ,アザラシ,海棲哺乳類
 捕鯨者,原住民
 羊,牛,家畜
 鹿,カンガルー
 蛙,爬虫類         …最下位

 鯨の最上位はスーパー・ホエールであり、以下の特徴を持ち合わせる。
 ・鯨種の特徴すべてを持つ単一の鯨。
 ・架空の動物だが、擬人化する存在。
 ・海に住む人類の同類。
 ・海に住む人間。
 ・何百万年も存在してきたから、海における特権を与える。
 ・海の原住民。
 ・長い歴史の中で知性を発達させる時間が人間よりある。
  人間の祖先がまだ夜行性動物であった時代に、すでに高度な知能を持つ。
  長い歴史のゆえに鯨は人間の上位にあり、人間の教師である。
 ・人間が失った価値観を守る。
  知能だけでなく社会的にも優れている。

2.上位生物を保護し、この意義を布教することは社会貢献になるため
 社会貢献に勤めること。

3.布教活動は、多くの人が同時、同じ印象になるように操作すること。
 悪い印象を与える場合は、絶対に活動をしないこと。


宗教団体は会員制度により、固定収入を獲得し、さらに脅迫、恐喝を伴う布施
により資金を獲得している。

この宗教団体信者の業種は幅広い。
・鯨、イルカを扱った出版
・鯨のドキュメンタリービデオ
・鯨、シャチの歌声CD
・鯨、イルカのコンピュータ・ゲーム
・ホエール・ウオッチング(宗教勧誘窓口)
・イルカ・セラピー(宗教勧誘窓口)
・シンボルや象徴エンブレム販売
その他


マスメディアの一部は、新興宗教の布教に加担している。


---Whaling Library - Japanese (捕鯨ライブラリー )---
http://luna.pos.to/whale/jpn.html


---商業的鹿猟がイギリスの二重基準を露呈する
(HNA(ハイ・ノース・アライアンス)発行 "The International Harpoon"(2001年7月)からの訳。 06-Mar-2002。
原題:"Commercial Deer Hunt Exposes UK Double Standard")
http://luna.pos.to/whale/jpn_hna_deer.html

「商業事業としてのノルウェーのミンク捕鯨は、その捕殺の質について動物福祉上の厳格な管理下に置かれなければならない。」とイギリス政府は言う。だが、彼らは同様の基準を自分達の商業的な鹿猟に当てはめるつもりはないようである。

イギリスの漁業相にして「倫理の指導者」でもあるエリオット・モーリー(Elliot Morley)は商業捕鯨者について「単に受け入れられないだけだ」と7月2日にBBCラジオに語った。彼の言い分は、前任者の一人で捕鯨における捕殺が家畜の捕殺における動物福祉上の基準を満たすことを求めたジョン・ガマー(John Gummer)からの受け売りである。ほとんどガマーと同じ言葉づかいで、モーリーは捕鯨を「牛を死ぬまで野原を引きずり廻して殺すようなもの」と描写する。

むろん、ノルウェーでは鯨が死ぬまで海で引きずり廻しているわけではない。爆発銛の機能というのは全く違ったものである。

だが、それはさておき、なぜガマーとモーリーはリンゴと梨を比較するような事を主張するのだろうか?捕鯨を畜産業は共に商業性を持つという単純な事実が、両者が共通の基準を持つべきだと要求するのに十分だというのであろうか?そして、なぜイギリス政府は捕鯨と鹿猟を比較するのを避けたがるのだろうか?

「関係がない」
我々がイギリスの鹿猟の実態を明らかにしたのは1995年にさかのぼる。我々は、ノルウェーの捕鯨よりもはるかに売上の多い、彼らの鹿猟の商業性を白日のもとにさらした。我々はまた、ノルウェーの捕鯨で適用されている厳格な人道的捕殺基準と、イギリスの鹿猟におけるそのような基準の欠如をも明らかにした。

IWCにおける当時のイギリスのコミッショナーのルウェラン氏(C.I. Llewellyn)との書簡のやりとりにおいて、我々は、イギリスの様々な狩猟における致死時間、動物が経験するストレスの度合い、動物が怪我を負って逃げおおせる頻度、などの情報を求めた。

また、スポーツ・ハンティングにおいて商業狩猟よりも甘い動物福祉基準が課せられることの正当性についても訊ねた。

だが、これらのうち、どれひとつとして、返答はなかった。「これらは捕鯨を考える上で関係があるとは思われないので、情報を差し上げる気はありません」とルウェランは書いた。

我々が上のような事を明らかにしてから数年は、「捕鯨は動物福祉的観点から道徳的に認められない」というイギリスの主張は鳴りをひそめた。だが、モーリーがガマーの二重基準を再生させたため、我々は再びイギリスの鹿猟を洗いなおすことになった。

1995年と1996年発行のHarpoon紙を持っていない、モーリーやその他の人々のために、イギリスがノルウェーの捕鯨に要求する基準、イギリスの鹿猟における基準の欠如、そしてノルウェーの捕鯨で現実に適用されている基準について、今現在のあらましを紹介しよう。読者の方々には、捕鯨に対するイギリスの判定がある原則に基づいたものなのか、それとも二重基準なのかを再び判断していただこう。

動物福祉的な必要条件
- イギリスが捕鯨国に要求している事柄 -
「人道的捕殺がどういうものかを定義するのが難しいのは認める。人道捕殺の目的は、陸上の家畜の屠殺同様に、瞬時に鯨が痛みを感じないようにし、死ぬまでになるべく痛みやストレス、苦しみを与えないようにする事である。これが100パーセントのケースで達成できそうにないことはわかるが、この基準に達しないことは受け入れられない。」(イギリスのIWCコミッショナーC.I. ルウェランが1995年に我々ハイ・ノース・アライアンスに宛てた返事)

- イギリスが自国内での鹿猟に要求している事柄 -
スコットランドでの鹿猟を行ないたいハンターは、狩猟の技量を事前に示す必要はない。必要なのは銃器の許可証、銃、それに使う弾が適当かどうかである。狩猟の実態を当局が調査することを求める法律や条例はない。スコットランドの高地では、プロのガイドがハンターに雇われて付き添うことは多いが、ハンターは獲物への最初の一発は自分の好きに撃てる。また、スコットランドの南では、アマチュア・ハンターは通常単独で狩猟する。

- ノルウェーが自国の捕鯨者に要求している事柄 -
砲手は毎年実技試験に合格せねばならず、また人道的捕殺の規則のコースを受講せねばならない。合格しなかった者は砲手として働くことは認められない。各捕鯨船には、訓練を受けた獣医でもある政府の監視人が同乗する。監視人の仕事は正しい捕殺法を実施させることにある。


報告
- イギリスが捕鯨者に報告させようとしているもの -
2001年1月15日付でIWCに送られた書簡によると、イギリス政府は捕鯨者が次のデータを集めるべきだとしている。

 捕鯨砲発射時の鯨までの距離。
 撃たれた鯨の挙動。 致死時間(撃った瞬間から死んだと思われる時点まで)。
 銛が当たった場所の記録とその写真。
 爆発銛がちゃんと爆発したかどうかを、体内の損傷をもとに調査。
 また、銛の命中箇所に応じて、肺、頭骨、脳、血流、脊髄、など体内の組織も調査。

  - イギリスが鹿猟のハンターに報告させているもの -
何もない。データ収集が求められていないので、捕殺が人道的に行われているかどうかも不明である。

- ノルウェーの捕鯨で報告されているもの -
1989年以降、捕獲されたすべての鯨は記録されている。捕獲統計は毎年編集され、公刊されている。 2000年の漁期には鯨の平均致死時間は136秒で、78パーセントの鯨は瞬時に死んでいる。これは、スウェーデンでのヘラジカ猟より短いノルウェー国内でのヘラジカ猟に比べても、更に短い時間である。


商業狩猟
- イギリスにおける定義 -
我々の度重なる要求にも関わらず、イギリス政府は商業的狩猟と畜産業を区別することを頑なに拒んできた。「我々の見解では、捕鯨は商業的な行為であり、動物福祉的な基準は陸上の畜産業におけるそれと同等であるべきである。」(イギリスのIWCコミッショナーC.I. ルウェランが1995年に我々ハイ・ノース・アライアンスに宛てた返事)

- イギリスの鹿猟における商業性 -
1995年にはイギリス産の鹿肉の80パーセントがオランダ、フランス、ドイツなどへ輸出された。同じ年、スコットランド鹿委員会は鹿猟が、狩猟許可証やガイド料も含めて、600万ポンドの収益をもたらしたと推定した。モーリーの7月2日のラジオ・インタビューに対して、我々には鹿肉の輸出が今では年間200万ポンドである事以外に最新のデータを集める時間がなかったが、その商業価値が過去6年で下がったと信ずるに足る理由はない。

- ノルウェー捕鯨の商業的価値 -
昨年、ノルウェーのミンククジラ漁の利益は150万ポンドだったが、日本向けの脂身の輸出が再開されれば増える見通しである。


資源量の知見
- イギリスが捕鯨国に要求している事柄 -
正確な資源推定値が捕獲数を設定する基礎でならなければならず、また、鯨が亜系群から捕獲される可能性も考慮に入れ、予防措置が設定されてなければならない。

- イギリスが鹿猟に要求している事柄 -
種の資源量については、大ざっぱな数値があるにすぎず、亜種レベルではほとんど何も情報が収集されていない。スコットランド鹿委員会では、毎年異なる地域で様々な手法を用いて鹿の個体数調査を行っている。

- ノルウェーが行なっていること -
IWCの科学委員会ではノルウェーが捕獲しているミンククジラの2つの系統群について目視調査に基づく推定値を出している。それに基づきノルウェーは、亜系群が存在する証拠がないにもかかわらず、念のために、亜系群から捕獲する可能性も考慮に入れて、小海域ごとに捕獲数を割り当てている。


捕獲割り当て
- イギリスがノルウェーに要求している事柄 -
イギリスは、ノルウェーの捕獲数がIWC科学委員会で安全と考えられている水準にあるにもかかわらず、捕獲数を削減するよう求めている。

- イギリスが自国の鹿猟に要求している事柄 -
政府は鹿猟について捕獲数に何も制限は設けず、目標数を勧告するのみである。毎年の実際の捕獲数は全頭数の16パーセント程度と考えられている。

- ノルウェーが行なっていること -
ノルウェー捕鯨の捕獲割り当て数は推定頭数の0.5パーセントより低く、IWC科学委員会からの最良の情報に基づいてRMP(改定管理方式)に沿って設定されている。


---「二重基準大臣」ロバート・ヒルがオーストラリアの動物版アパルトヘイトを推進する---
http://luna.pos.to/whale/jpn_hna_hill.html
(HNA(ハイ・ノース・アライアンス)発行 "The International Harpoon"(2000年7月)からの訳。03-Feb-2001。
原題:"Robert Hill: Minister of Double Standards Runs Australia's Animal Apartheid Policy")

オーストラリアの環境大臣ロバート・ヒル(Robert Hill)は、野生生物の管理において問題の扱いを差別する特殊才能にめぐまれている。鯨類に関しては「壮大である」とか「威厳がある」、「美しくて優美であり」、「捕殺の脅威なしに自由に生かすべきである」と言う反面、カンガルーに関してはそのようなロマンティックな考えは決して起らないのである。

実際のところ、彼はカンガルーについて述べた事がないので、彼がカンガルーについてどう思っているのかは断定し難い。だが、彼がカンガルーに対して何を行っているのかはわかっている。西暦2000年だけでも彼は570万頭ほどのカンガルーに死の宣告を下した。また、彼がカンガルーの捕殺命令の実施における効率性や人道性に全く興味がない事は、狩猟の質について政府の監視や統計記録がないことからわかる。


絶滅競争での勝利
アングロ・サクソンがオーストラリアを植民地化して以来短期間に、7種のカンガルーが絶滅し、少なくとも12種類が今現在深刻な状態にある。「我々はすでに哺乳類の絶滅競争で勝利した。過去200年間で絶滅した哺乳類の半分はオーストラリアにおけるものであり、・・・ 我々の土地の70%以上は農業用に変えられてしまい、生態系は過剰利用により脅かされている」と、WWF(世界自然保護基金)オーストラリア支部の1999年の年次報告書は指摘する。

WWFの昨年の他の報告書はまた、自然の草原の保存について、オーストラリア南東の低地におけるすべての自然の草原の生態系が、無くなってしまったか、あるいは、分断されて孤立してしまった事を教えてくれる。「自然の草原に対する脅威は今後も続くのは確実で、増大しそうである」と報告書は警告する。

「カンガルーが直面している最大の脅威は狩猟ではなく生息地の伐採だ」と、ヒルの部下で環境省の野生動物と立法のセクションの長であるゲリー・メインズ(Gerry Maynes)は言う。だが、「政府と産業界グループの推進のもと、数千ヘクタールもの新しい耕作地や牧草地が自然の草原の最後の残りがある地域に作られつつある」とWWFは主張する。

幸運にも人間は鯨の生息域を、カンガルーのそれに対するようには侵していないし、それが、人間がその労力にもかかわらず、まだ1つの鯨種も絶滅させていない理由なのかもしれない。おおまかな言い方だが、海の生物の保存状況は陸上の生物のそれよりはるかに良いといえる。


世界をリードする
このような状況を見ると、オーストラリアの陸上の生物種に対する脅威に対し、ヒルが保存の努力をすることは期待できないのではないだろうか。結果として、「我が国には最も脅かされた爬虫類および蛙がいるという点で世界をリードしている」とWWFオーストラリアはその年次報告書で注意を喚起している。

だがしかし、ヒルの関心は鯨に釘付けである。「オーストラリアは、これら壮大な生き物を保護する努力において再び世界をリードしている」、ヒルは最近、海外の記者に対するスピーチでこう述べた。

環境省のウェブサイトでのスピーチおよびプレス・リリース用のセクションで「鯨」を検索すると、58の記事のリストを得、うち11はタイトルの中に「鯨」の語を含んでいる。しかし、「カンガルー」の検索ではたった17の記事が見つかり、それらの中にはカンガルーの管理を扱ったり、タイトルの中に単語「カンガルー」を含むものは皆無である。それらの多くは「カンガルー」を含んでいる地理的な名前に言及したためにヒットしたにすぎない。ヒルは、カンガルーに関しては健忘症なのだなどとは言えまい。なにしろ、彼の役所の便箋を装飾しているのは鯨ではなくカンガルーの図柄なのだから。

人気コンテスト
「野生生物の保存は人気コンテストになってはならない」とヒルは1996年のメディアのリリース中で警告し、幽霊コウモリ(Ghost Bat)やマリー家禽(Mallee Fowl)やミナミオオズヘビ(Broad-headed Snake)のように魅力のない動物への害よりも、シロナガスクジラのような威厳のある動物やミミナガバンディクート(Bilby)のように可愛い動物を救う事にあまりにも力を注ぎすぎかねない懸念を表明している。

ここに、2つの問題で扱いを変えるヒルの能力は先例のない頂点に達する。コウモリ、家禽およびヘビに関して議論する場合、彼は鯨を賛美してはならないと主張する。しかし、鯨に関して議論する場合、「壮大で」、「威厳があり」、「美しく優雅である」と、彼は形容する。ヒルのスピーチおよびプレス・リリースの検索では、ヘビ、コウモリおよび家禽は、カンガルーの場合より更にヒットが少ない。一方、鯨についてのの58の記事では、「威厳のある鯨」は特別扱いである。

人道的な殺し方はない?
「鯨を殺す人道的な方法などない」とヒルは断言するが、しかし彼は人道的な捕殺についての判断基準を定義も提示もしていない。だが、この問題だけでも、ノルウェーと日本の捕鯨がもたらしてくれた膨大な統計がある。

では、カンガルーではどうだろうか?彼らを殺す人道的な方法はあるだろうか?この問題に答えるのはもっと難しい。なぜなら、過去5年間、カンガルーの捕殺の責任者であったヒルは、捕殺の質についてなんら文書を提供する気にならなかったからである。「我々はカンガルーの致死時間や、傷を負った頭数のデータを持っていない」とメインズは認める。

1985年に英国動物愛護協会(RSPCA)が実施したカンガルーの死体の検査は、動物の少なくとも15%が「非人道的に死んだ」ことを見つけた。しかも、暗闇の中で逃げのびた傷ついたカンガルーは、この検査では対象外である。(猟では、夜に投光器を使用して、ワゴン車の背後から射撃が行われる。)

メインズは、環境省が何頭のカンガルーが傷を負って逃げるかは判らないと認める。文書が全くない状態で、メインズはしかし、「彼らが地面に倒れる前に大多数が死んでいる」と確信する。この仮定の根拠は、経済事業としてのカンガルー猟が「獲物は多いが単価が安い」と特徴づけられる事だという。「利ザヤが非常に少ない」ので、ハンターが動物を逃す余裕がない、とメインズは言う。銃弾が非常に高価なので、真っ直ぐ撃つことができないハンターはビジネスにとどまることができない、とも彼は主張する。対照的に捕鯨は「獲物は少ないが高い単価」と、彼は捕鯨者が失敗する余裕があることを暗示して言う。皮肉にも、彼の論点はノルウェーの捕鯨者によって使われる論点の同じである。一発のペンスライト爆発銛は、470 USドル以上もかかるのである。

2つの狩猟の実際の対比は、人道的捕殺の規約が尊重されることを保証するために、すべてのノルウェーの捕鯨船では検査官が同乗しているという点である。クジラの側面が露われている場合に限り発射が認められ、しかも30メートル以内からでなければならない。一方、カンガルー猟では検査官はいない、とメインズは言う。

子カンガルーが飢死
捕鯨では、子を同伴した母鯨を殺す事は厳格に禁止されている。カンガルー猟では、子カンガルーは死んだ母カンガルーから引き離されて殺される。しかし、万が一母親が致命的な弾丸を受ける間に、子カンガルーが外に自力で逃げた場合はどうなるだろうか? 100万頭もの子カンガルーが逃げて野たれ死にするかもしれない、と動物福祉団体のアニマル・オーストラリアは主張する。

狩猟中に逃げのびる子カンガルーの数について「直接的なフィールド調査」は存在しない事をメインズは認る。彼は、そういう事態が起らないと主張はしないが、異なる年齢や環境の子カンガルーが母親なしで生き延びる確率についての長くて推論的な講義を申し出る。

正確な頭数は時間のムダ
国際捕鯨委員会(IWC)においてオーストラリアは、捕獲頭数を決める前に正確な生息数の推定が行われている事を声高に求める国の一つであった。改訂管理方式(RMP)では、鯨の資源推定の精度の不確かさが増えるにつれ、捕獲頭数を減らすメカニズムが組み込まれ、定期的な調査に基づいて資源推定がされる事が要求されている。

だが、狩猟の対象となっているカンガルーの群れに関して正確な頭数の推定値があるのかという質問に対し、「イエスでもありノーでもある」とメインズは答える。大多数の種については、「おおざっぱな推定値」があるにすぎない。彼は正確な頭数を知る事は「興味をそそらない」と続ける。「野性動物の管理者」が重要視するのは「長期のモニタリング」と「正確な頭数よりはその増減傾向」なのだと言う。

「野性動物の管理者は、正確な頭数を求めるために、膨大な時間を浪費しかねない」とメインズは言う。通常、カンガルー猟における年間の捕殺数は、推定頭数の15-20%である。一方、ノルウェーと日本の捕鯨では、1%よりずっと低い。

害獣
カンガルー猟で最も頻繁に引用された正当化はカンガルーが羊と貴重な草原を競合するという考えであった。 1990年までは、クィーンズランドのカンガルー猟の60%以上は皮を取るためであった。ほとんどの死体は単に捨てられていた。以後、オーストラリア政府は、ある程度の成功で、カンガルーの「持続可能な利用」のためのプログラムを始め、ほとんどの肉は市場で売られている。しかし、損害を緩和する事の必要性が、まだカンガルー管理政策の重要な部分である、とメインズは言う。

オーストラリアの動物保護グループによるカンガルー猟に対する反対のうちの1つは、この損害が十分に文書で明らかにされていないということである。オーストラリアの野生生物保護会議(Australian Wildlife Protection Council)によれば、「カンガルーは土地および経済の管理の失敗ためにスケープゴートにされた」という。

羊とカンガルーの競合について「様々な研究が行われた」がそれがすべて「やや継ぎはぎである」、とメインズは言う。彼は、草原の管理の主要な問題が、多すぎるカンガルーではなく、羊と牛が過剰に草を食べるである事には同意する。が、カンガルー猟の周辺の経済的利益をさらに強調する事によってメインズは、なぜ数100万頭のカンガルーが毎年撃たれ(若いカンガルーの場合には首を切り落とされ)なければならないか、部外者が理解することを若干困難にする。

必要性がない
しかし、捕鯨の必要性を評価することはヒルの心の中では簡単である。「単に、これらの美しく優雅な動物を収穫する必要がない」、彼は言う。

この独断的で大ざっぱな言い草を生み出すにあたり、彼は海棲哺乳類を捕獲する伝統を持っている原住民の文化的必要性、および生存上の必要性を全く考慮していない。これはオーストラリアの公式な政策が、IWCの原住民生存捕鯨(Aboriginal Subsistence Whaling Scheme)に扱われているようなこれらのニーズを認めているだけに不幸である。

捕鯨の必要性への評価でヒルは、収入や文化を捕鯨に依存する人々に意見を求めていない。「私たちは、コミュニティー、流域あるいは地域に生きている人々は、天然資源の管理を改善し、かつ変更を管理する努力の中心的存在であると確信する」、彼は全国農民連合(National Farmers Federation)への講演の中で指摘した。しかし、極北に住んでいる人々については、ヒルは冷たい海域での天然資源の管理での役割について何も示さない。

これらの離れた海域でさえ、オーストラリアは自分自身を鯨の管理におけるリーダーと指定した。「誰も、これらの努力をオーストラリアに頼みも要求もしなかった」、ヒルは皮肉なしに強調する。「これらはより良い地球環境に向けての私たちの貢献の自発的な表現である」。だが、まず自国内で絶滅レースの勝者にならないよう専念することの方が、オーストラリアが地球環境に貢献するためのより良い方法というものであろう。

---スーパー・ホエール - 環境保護運動における作り話とシンボルの利用---
http://luna.pos.to/whale/jpn_hna_super_w.html
(HNA(ハイ・ノース・アライアンス)発行 "11 Essays on Whales and Man"(1994年9 月)所収の記事からの訳。 20-Apr-2002。
原題:"Super Whale: The Use of Myths and Symbols in Environmentalism")

アルネ・カラン
(著者のアルネ・カラン(Arne Kalland)はオスロ大学の文化人類学部の教授であり、オスロ大学の環境開発センターの上級研究員でもある。)

過去数十年の間、自然と環境に対する一般大衆の関心の増大に基づく2つの強力な運動が発展した。それらは自然保護と動物福祉であるが、それらを明確に定義してみる必要があろう。

保護主義者は、生物多様性に第一の関心がある。彼らは自然資源のバランスのとれた持続的な利用を促進する。言い換えると、保護主義者は未来の世代のためにエコロジーを保とうとする。動物福祉運動は第一義的には個々の動物の命運に関心がある。そこでは、動物の扱い方や殺し方に人道性を求める者から、いかなる状況でも動物を利用すべきでないという急進的な者まで様々である。この急進的な人々は動物権運動を推進しているが、その最も急進的な例が暴力的な動物開放戦線(Animal Liberation Front)で、動物権の名のもとに数多くの爆弾事件を起こしている。

どのグループの主張にも、環境主義の幅広い方向の中で何を目ざしているかがハッキリ見てとれる。環境と生物多様性に焦点を定めた団体は、自然における生息域の悪化、非効率的で過剰なエネルギー消費、多くの生物種の減少などを問題にする。動物の人道的な殺し方や、動物を殺すことの倫理的疑問に焦点を当てる団体は、動物福祉のカテゴリーに属する。しかし実際には、2つの運動の違いはしばしば不明確である。動物福祉団体は動物の生命の基礎を守るために、だんだんとエコロジーに関心を寄せてきている。また、保護団体の一部は動物世界との象徴的な結びつきを作り上げた。我々がここで調べるのは、この後者のプロセスである。

環境保護主義というのは政治的運動であり、他のすべての政治運動と同様にレトリックというものが重要である。政治的メッセージを単純化して要約するのが重要であり、それはしばしばシンボルを用いて行なわれる。典型的には、それらのシンボルは自然界から採用される。これは、技術的に発展していない社会においては特にあてはまる。自然のシンボルは、社会が人間と自然の関係を説明したり、理解を共有するために使用される象徴となる。ある集団の人々は特定の動物や、自然現象、時には非生物を特別のものとして扱う。これらの人々にとって、彼らの象徴は彼らの独自性や正統性を与える存在である。これらの人々の間の関係は、彼らの象徴との関係に関わっている。彼らの象徴との関係には宗教的な質が仮定されており、これら象徴社会のほとんどにおいては、彼らの象徴を守ることが最大の責務となる。

環境運動において、鯨やアザラシはシー・シェパード(Sea Shepherd)や国際動物福祉基金(International Fund for Animal Welfare - IFAW)といった動物福祉団体や、グリーンピースやWWF(World Wide Fund for Nature - 世界自然保護基金)といった保護団体にとって象徴的存在となった。象徴動物の扱いにおいて、保護団体であるグリーンピースやWWFは動物福祉の領域へ重大な一歩を踏み入れた。

なぜ鯨やアザラシなのか?
エコロジー面の理由だけでは、なぜ多くの環境保護団体が鯨やアザラシに彼らの社会イメージを結びつけたのかを説明できないのは明らかである。多くの環境運動のリーダー達は、彼らが鯨やアザラシを保護するのは主に倫理や道徳面の理由からだと述べている。 CSI(Cetacean Society International)のリーダーであるロビン・バーストウ(Robbin Barstow)は過去何度もこの立場を表明し、捕鯨に対して道徳や倫理面から反対してきた。 WWFは近年になって「世界中の多くの人々が鯨のすばらしい価値に気付いている」と訴え始めている。そして、WWFは捕鯨が持続的な形で可能であることが確かになったにもかかわらず、捕鯨のモラトリアムを支持し続けている。国際捕鯨委員会(IWC)への各国代表の多くが、今では倫理的原則という点からモラトリアムの継続を擁護しているが、これはアメリカの代表が言ったように、モラトリアムを科学的見地から擁護するのがもはや可能ではないからである(*1)。

もしも、アザラシや鯨のある種が絶滅の危機になく、限定された捕獲のもとで生存し続けるなら、なぜ、動物福祉団体ではない保護団体であるグリーンピースやWWFはアザラシ猟や捕鯨に反対し続けるのだろうか?

この質問に対する一つの答えは、これらの団体には反対キャンペーンを続ける実用的な理由があるというものである。保護主義者と動物福祉グループは容易に勝利を得られそうな問題を取り上げる傾向がある。成果を上げたり、少なくともマスメディアをフルに活用してそのような印象を与えるには、団体の活動が効果的で正統性があるという一般大衆の信頼を確立するのが重要となる。この正統性が、環境的価値の擁護者としての団体を宣言をする機会を与えてくれるのである。またそれは、企業や政治家にとって、団体への寄付やその他の形の支持によって「良い環境イメージ」を得るのを容易にする。この種の支持は、当然のこととして特定のビジネス上の利害や国家に直接影響しないキャンペーンに向けられる。ほとんど多国籍企業や国にとって、野生動物の保護はコストのかからないキャンペーンである。これは、1988年に2頭のコククジラがアラスカ沖で氷に閉じ込められた際の出来事で明らかに見られる。鯨を開放する作業には数万ドルかかったが、アメリカとソビエト政府、それに多くの石油会社は安価に良いイメージを得たのに気付いた。反面、アイスランドは水産輸出品へのボイコットが強まることによって、大きな損を受けた。

最も知られた反捕鯨論者の一人であるシドニー・ホルト(Sidney Holt)は、鯨がきわめて魅力的な動物であり、捕鯨は経済的には重要ではないため、鯨を保護するのは比較的容易であると述べている。これはアザラシとアザラシ猟にも当てはまる。「私たちは戦略的に日和見主義者なのです。」とグリーンピース・ドイツ支部長のヘラルト・ツィントラー(Herald Zindler)は言う。この見解はおそらく、グリーンピースの国際部長であるスティーブ・ソーヤー(Steve Sawyer)の「我々が問題を取り上げる際の方針は異常なまでに実利的です。我々は勝つ見込みのありそうな問題を取り上げます。」という言葉に最も明らかである。鯨やアザラシの場合のように、グリーンピースはしばしば、他の団体が既に行なっているキャンペーンを行なう。グリーンピースは、自分達に都合の良い大義を世間に広めるために首尾よくマスコミを動員する。テレビの視聴者は、理想主義的なメンバーが自身の命を危険にさらして巨大企業と戦う姿に、聖書サムエル記のダビデと巨人ゴリアテの戦いのイメージを見せられることになる。だが真実はしばしば全く違っており、漁師やハンターがダビデでグリーンピースが巨大なゴリアテであったりする。

アザラシ猟や捕鯨はほんの数カ国で行なわれており、資本投下も少ないので、これらに対する反対キャンペーンは特に魅力的である。巨大な多国籍企業も先進国のほとんども、捕鯨やアザラシ猟に関わっていない。これらは、辺境の地で行なわれている細々とした活動である。それゆえ、汚染を引き起こす産業や多くの政府にとってこれらのキャンペーンが魅力があるのは理解しやすいが、それにしても、なぜこんなに多くの個人が反アザラシ猟や反捕鯨キャンペーンに興味を持つのだろうか?

グリーンピースのドイツ支部は、反アザラシ猟キャンペーンに関わったことについて、資金を得るための手段であったと正当化している。「我々には組織を大きくする必要があったのです。」と、ドイツ支部の反アザラシ猟キャンペーン担当者だったウォルフガング・フィッシャー(Wolfgang Fischer)は、1990年1月15日のバイエル放送のTV番組で語った。彼は続けて「そこで私は、大きな目を持つ可愛らしい動物を使うのが適当だと思ったわけです」と述べた。白くて「無垢な」アザラシの子供やイルカは、一般大衆に非常に強くアピールする。だが、これだけで反対キャンペーンを始めたわけではない。グリーンピースは1970年代初めの設立以降、捕鯨やアザラシ猟の禁止を道徳的理由から支持してきた。初期のリーダーの多くが、鯨との特別な関係を主張した。グリーンピースが1974から1975年ころに崩壊しそうになったのを救ったポール・スポング(Paul Spong)やロバート・ハンター(Robert Hunter)は、「鯨を呼ぶ」というイベントを、何百人もの人々が集まるカリフォルニアの浜辺で行い、テレパシーで世界中の鯨を聖域へ集めようとした。科学的なバックグラウンドのあるエコロジー学者のパトリック・ムーア(Patrick Moore)もこのイベントに付け加えて、捕鯨の議論は鯨の数が減っているかどうかに限定すべきではなく、一般向けの情報キャンペーンによって人々に「鯨はすばらしい生き物である」と信じさせるようにすべきだと主張した。

鯨、そしてある程度はアザラシも、環境運動の多くにおいて独特の価値がある。彼らは豚や鹿などの他の動物と違う種類の階級にいる特別な動物なわけである。この点において、グリーンピースやWWFは、すべての動物には本源的に価値があると信じる他の動物福祉の主流とは一線を画す。ある特定の動物種を選んで特別な性格付けをすることによって、これらの団体はそれらの動物種を象徴動物に仕立て上げるのである。特に鯨とアザラシは象徴動物の役割に適している。まず第一に、双方とも海の生き物である。我々は海の中で何が起きているかあまり知らないから、情報を操作して神話を作り出すのが簡単である。第二に、海は生命のシンボルであり人間の手があまり入っていない自然である。第三に、我々から離れた世界に住む野生動物は、我々の多くがあこがれる自由の象徴へと変えられる。最後に、アザラシや鯨は、4本の手足を持つ哺乳類が陸上を歩き、エラやヒレを持つ魚が水中を泳ぐという基本図式から離れた存在であることが挙げられよう。

「スーパー・ホエール」 - 海に住む我々の親類
環境保護や動物保護の活動家はしばしば「鯨は」という言葉で単一種のように語る。我々は「鯨は世界最大の動物である」、「鯨はこの世で最大の脳を持つ」、「鯨の脳は体重との比でも大きい」、「鯨は社会的であり、友好的である」、「鯨は歌う」、「鯨の社会には子供の面倒を見るシステムがある」、「鯨は危機に瀕している」などの主張を耳にする。確かにシロナガスクジラは世界最大であるし、マッコウクジラの脳は世界最大であるが(体のサイズと比較すると小さいが)、しかし他の点のほとんどについては証明するのは困難である。世界中に75種類以上いる鯨の中で、上の中のある言説がある程度当てはまるのは1つか2つである。だが、人が鯨について話す時、これら様々な鯨種の特徴すべてを持つ単一の「鯨」がいるかのごとく語っている。しかし、実際にはそんな鯨などは存在せず、それは架空の動物「スーパー・ホエール」なのであり、しかも擬人化された存在である。ニュージーランドのIWCコミッショナーにとって、鯨はもはや海に住む我々の同類になってしまっているのであり、グリーンピースのデンマーク支部長だったミカエル・ギリング・ニールセン(Mikael Gylling-Nielsen)にとっては「海に住む人間」となってしまっている。鯨やイルカはニューエイジ運動にのめり込んだグループにとってはカルト的崇拝の対象になってしまった。

鯨を神話化する際、2つの状況に比重が置かれる。まず、鯨が何百万年も存在してきた生き物であることが特に強調される。ある人々は、鯨の長い歴史という理由だけでも、彼らに海における特権が与えられると主張する。鯨は一種の「海の原住民」だというのである。もう一つの主張は鯨は長い歴史の中で知性を発達させる時間が人間よりあった、というものである。鯨は、人間の祖先がまだ夜行性動物であった時代に、すでに高度な知能を持っていたとミカエル・ギリング・ニールセンは言う。長い歴史のゆえに鯨は人間の上位にあり、人間の教師だというのである。

さらに我々は、鯨は人間が失った価値観を守っているという印象を与えられている。ある人々によると、鯨は知能だけでなく社会的にも優れているのだという。西側世界では人々は疎外感に悩まされている。我々は商業主義の増加、連帯の低下、そして犯罪の増加を目の当たりにしている。我々の社会的意識に疑いが向けられる中、鯨が持つとされる諸々の資質はまさに人間が失ってしまったものである。鯨は病気になったり死にかかった仲間の面倒を見るというが、人間の場合にはお金を払って(スカンジナビア半島では税金でまかなわれるが)施設に送り込む。鯨は無償で仲間の子供の面倒を見るというが、人間は保育園やベビーシッターにお金を払う。人間はある程度までは立派に振舞ってきたのだろうけど、それもお金と商業主義が社会に根付く前の遠い昔の話である。今日では、我々は老人の面倒を見なかったり、子供達に必要な注意を払わなかったりして、後ろめたさに悩まされている。

「スーパー・ホエール」は動物の間における階級という考えに基づいたシンボルである。これらの考えを材料にして、異なる鯨種の特徴を混ぜ合わせ、鯨の知能や社会的良心に関する神話を加えて強固にする。この結果、大きく増大するマーケットに見合うシンボルができたわけである。

商業製品としての「スーパー・ホエール」
今日、我々は様々な状況で鯨に接し、鯨の非消費型利用は毎年数十億クローネに及ぶ(*2)。ハーマン・メルヴィル(Herman Melville)の「白鯨」が1851年に出版されて以来、鯨を扱った数多くの本が書かれた。ロイド・アビー(Lloyd Abbey)の「最後の鯨」では全ての登場キャラクターが鯨であるという新ジャンルが生まれた。この小説の世界では、様々な種類の鯨が互いに交流し、人間とシャチさえいなければ万事平穏である。鯨はまた、他のタイプの本にも登場する。自然界における鯨の歴史を扱った上製本は増え、SFの分野でも多くの作家が鯨に関心を示した。例えばデイヴィッド・ブリン(David Brin)の「スタータイド・ライジング(Startide Rising)」では、ストリーカーという名の宇宙船に遺伝子操作によって高い知能を得たイルカが乗り組んでいる。最近では多くの本が「イルカ・カルト」に分類されるべきものとなっている。例えば、「イルカの夢時間」、「イルカが微笑む日」、「イルカの歌で踊る」、「イルカの心象風景」、「イルカとヒーリングの力」、「イルカのマジック」などである。

他の芸術分野でも、広い客層を得るために鯨を扱うようになった。「鯨アーティスト」が鯨やイルカの絵画を描き、写真家や映画製作者が鯨の生態についてのドキュメンタリーやビデオを制作する。ザトウクジラやシャチの「歌声」を収めたCDは多くの店で見かけるし、ステッカーやTシャツ、バッジなども同様である。また、「エコ・クエスト1 - 鯨座を探して」というゲームによって、鯨はコンピューター・ゲームの世界にも登場した。

鯨ツアーというものも年間十億クローネの産業に成長した。 1991年には400万人以上の人が鯨を見るために旅行し、今日では行き先は南極を含めて地球上の広範囲に広がっている。北米だけでも、200ほどの業者が250種以上のツアーを提供している。何人かの科学者によると、いくつかの地域ではボートが鯨に近づきすぎるために、鯨が行動様式や回遊ルートを変えているという。

だが、多くの人は単にデッキの上から鯨を見るだけでは飽き足らず、鯨と一緒に泳ぎたがっている。否定的な人もいるものの、何人かの人々は、イルカと一緒に泳ぐ事は鬱病の人や自閉症の子供に効果があると主張している。イルカ・セラピーの指導的人物であるホラス・ドブス(Horace Dobbs)はイルカに対する彼の患者の反応を説明している。彼らはイルカがいるとリラックスし、自然に振舞う事ができ、不安やイライラから開放されるという。彼の患者の一人は、体験を以下のような興味深い言葉で説明する。

「イルカは、最初のうちはゆっくりと動き、それから我々が水中をコンコルドのように速く泳ぐまでスピードを増していった。私は王子様に導かれて他の国へ連れて行かれる王女になったような気がした。我々は一体、つまり私が彼で、彼が私であった。完璧な調和と愛がそこにあった。イルカは私の心のゆえに私を愛した。私が若いか年老いているか、やせているか太っているかは関係なかった。私は、試験結果で彼を感心させる必要もなかった。彼は私そのものを受け入れ、愛したのだ。」

似たようなメンバーから成る少人数グループからの情緒的な支持を得られる証言というのは、多くの新興宗教団体の典型的特徴である。このような宗教的体験に参加する人々は、感受性が強く他人への思いやりや愛情への志向がある人々であると言われている。ドブスの著書「イルカの歌で踊る」では、イルカと泳ぐことに精神的な体験を感じなかった人間は否定的に描かれている。彼女は「とても太った、金持ちのアメリカ女性」で、自分自身にしか興味がなかった。

これらの集いにおいては連帯感が重要視されるが、これはホエール・ウォッチングでも同様である。いくつかのホエール・ウォッチング・ツアーは宗教的ないしはカルト的な様相を呈している。時おり、鯨が海に潜る直前にサヨナラをするかのように尾ビレを振るのを見た一群のツーリストが一斉に「オーッ」と叫ぶ時、船上に強い仲間意識が起こることがある。ハワイのあるツアー業者はこの連帯意識を利用し、ある歌を学ぶ者は誰でもクルーの名誉ある仲間として受け入れられると宣伝している。


善人と悪人
シンボルというのは、我々に自分と他人の違いを明かにさせる。ある人々にとっては海洋哺乳類に対する態度が、善人か悪人かを決めるための決定的基準となる。「象徴」は、世の中を2つの人間に分類させるのである。

「スーパー・ホエール」を象徴動物としている人々は、環境活動家や動物保護主義者から善人として好意的に評価され、そうでない人々は低い評価となる。貨幣を捕鯨者の象徴とすることによって、動物保護主義者は「善良な人々が、時には命を危険をさらして、平和的な生き物である鯨を邪悪な捕鯨者から救うために戦っている」という印象を植え付けようとしている。捕鯨者は、貪欲に利益を得るために最後の鯨まで地球上から消し去ろうとしている死刑執行人として表現される。下に示すような世界の2分化が、実世界のこのような概念化から生まれる。

善                 悪
鯨やアザラシの保護者        捕鯨者やアザラシ猟者
象徴: 鯨、アザラシ        象徴: お金
生きるための経済          資本主義的企業
団結、共有             利潤拡大
文明的               野蛮人
清潔                汚染

このような世界観を作り出す試みで使われるレトリックの例をいくつか示してみよう。多くの募金活動において、鯨を救うという大義のもとに善良な市民の心を開き、財布を開けさせるために様々なアピールがなされている。捕鯨に対してノーと言うのは文明人であることと同義となる。「鯨に関心をいだくのが人格的ならびに社会的成熟度の証である」と、アメリカの海洋哺乳動物委員会の前メンバーだったビクター・シェファー(Victor Scheffer)は説く。ノルウェー国内でも、グリーンピースのペール・ブッゲ(Pal Bugge)は1990年8月11日付けのArbeiderbladet紙において、「捕鯨者はいまだに、四方八方に血みどろの攻撃をしまくるという、バイキング時代の伝統を続けている」と述べている。

このような考えにはある種の帝国主義が内在している。職業を持たない原住民は、生存や物々交換の一環として鯨やアザラシを捕ることが許される。だが、彼らの狩猟が商業目的だと、このような2分化された世界観を乱すこととなる。そこで結論として、原住民は「未開の原住民」に留まる限りにおいて、商業的活動とは一線を画した狩猟を続けることが認められる。かくして先進国に住む我々は、原住民という、我々自身の発展を遍歴できるような生きた博物館を与えられ、同時に彼らを政治的にコントロールする手段をも得る。

白人の先進国において、アザラシ猟や捕鯨は、このような世界観への脅威であり、それゆえ、反対するか、あるいは関わりを持たないようにする対象となる。捕鯨者は野蛮人と見なされる。 IFAWのリーダーであるブライアン・デイビス(Brian Davies)を例にとると、彼は友人宛ての手紙でフェロー諸島のゴンドウ鯨漁について次のように書いている。

「... 未開人の漁 ...、想像しうる限り最も野蛮な祭り。平和なゴンドウ鯨は浜へと追い込まれたり、既に捕われた仲間への義理から浜へ向かう。そして、彼らはいとも単純に切り刻まれる。文明国の人間にはゴンドウ鯨をサディストたちから救う義務がある」

捕鯨者を悪魔呼ばわりするのは学術誌にすら見られる。「The American Journal of lnternational Law」誌においては、2人の法律家が「鯨を殺すのを認める心情というのは、劣等な人々を虐殺するのを認めるのに等しい」と書いた。さらに、鯨肉を食べるのは事実上は食人行為の一種ということになる。タブロイド紙のデイリー・スターは1991年5月11日付けの2ページにわたる記事において、「貪欲なジャップが、血の宴会における病的なごちそうで、山盛りの鯨肉をむさぼり食う」と報じている。

環境アリバイを売る
この論文で私は、アザラシや鯨がなぜ良いシンボルになるのか、動物保護主義者がどのようにして「スーパー・ホエール」の概念を作りだしたか、そしてこのシンボルがどのようにして貴重なマーケットに出会ったかについて、いくつかの主な理由を述べた。さらに我々は、ホエール・ウォッチングや鯨と泳ぐといった事業が、いかにして人々に結束や、シンボルを通して表されたも同然な自己認識を提供してきたのかも見てきた。そこにおいては、象徴に対して最も強く要請された義務は、それを守ることであった。

世界には様々な「聖なる動物」がおり、我々はそれらと共存しなければならない。だが、活動家が作り上げた象徴のシステムと他のシステムでは、2つの点で異なる。第一に、活動家には狂信的な姿勢がある。ヒンズー教徒はアメリカ人が牛を食べるのを許容できるが、活動家は日本人が鯨肉を食べるのを許容できない。このようにして、西欧の文化帝国主義的伝統は行われていく。第二に、転向者の一群に仲間入りすれば良い思いをすることができる、という点である。象徴は金で手に入り、それは環境面での正当性や利用価値のある地位をもたらしてくれる。恐らくこれは、このように世界というものを認識することにおける、最も危ない点であろう。

多くの人々が「環境アリバイ」とでも呼ぶべきものを求めている。ある人々はシンボルや象徴エンブレムとでも呼ぶべきものを買い、ジャケットや車のガラスに貼って環境志向であることを他人に見せる。他の人々は、スタットオイル社がデンマークでやったように、環境保護団体のキャンペーン用のロゴを宣伝用に買う。スタットオイル社はWWFデンマーク支部に百万クローネを払い、石油の売り上げを増やすためにWWFのロゴを使うことを許可された。 WWFはまた、評判を高めたい人々のために、鯨を売るということもやっている。 WWFデンマーク支部は産業界向けに始めた「鯨を養子にしよう」というキャンペーンにおいて、「スポンサーになれば、貴社の活動を良い方向でWWFに結び付けます。スポンサーになれば、貴社のビジネスが環境に注意を払っているということを社会に示す機会になるでしょう。貴社がこの機会を活用することを願っています」と書いている。ブロステ・ケミカル社は鯨を養子にし、WWFに協力した環境志向の会社として名を売ったが、この行為が本当に地球環境に貢献したのかといえば疑わしい。

環境保護や動物保護運動は、自身を政治的に表明することによって大きく成功した。彼らは、「容易に勝て」、ほんの数カ国だけが敗者になる一方で大多数の人間が自国内で簡単に点数稼ぎをできる問題を選び、効果的なシンボルを作り出し、マスメディアを通してホエール・ウォッチングやイルカ・セラピーなどを売り込み、良い環境イメージを与えることで企業や政府の関心を効果的に開拓することによって、自身を効果的に売り込んだ。

世界は積極的な環境保護を必要としている。とりわけ海産資源の利用のためにクリーンな海洋環境への依存度が高い沿岸域の人々はなおさらである。我々は一方では漁師やハンター、もう一方では環境保護運動という両サイドの協調の強化を必要としているが、今日では残念なことに両者の間には相互不信があるだけである。その原因は環境活動家の一部が(全員ではないものの)方策をごちゃまぜにしていることにある。グリーンピースやWWFのように環境保護と動物保護を混ぜることによって、反対運動が人為的に作られる。これは、自身の活動をシンボル的世界観から一線を画そうとしている他の団体にとっても状況を困難なものにしている。つまり、グリーンピースとWWFは効果的な沿岸の環境保護にとって重要な協調を損なっているわけである。これ自身は沿岸地域の人々対する脅威となる。グリーンピースやWWFの手法は地球環境にとって本当に重要な問題から人々の注意をそらすことになる。焦点は環境に対する真の脅威からそらされ、ときには環境への脅威者と環境団体が互いに認めあっている状況が見られる。このような状況は、アメリカやイギリスなどの反捕鯨国政府が環境アリバイや環境免罪符を買っているIWCにおいて容易に見受けられる。この見返りとして政治的正当性がグリーンピースをはじめ他の反捕鯨団体に与えられる。このような構図には、沿岸地域の人々だけでなく、環境一般に対する最大の脅威が存在している。

参考文献
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訳注1: モラトリアム採択当時、科学委員会はミンククジラの資源量が頑健であると認めていたにもかかわらず、「科学的知見に不確実性がある」という口実でモラトリアムが支持されたことを思い起こしていただきたい。

訳注2: 「クローネ」はノルウェー、デンマーク、スウェーデンの通貨単位


---The Environmental Movement and Minke Whaling---
- Heidi Sorensen -
http://www.highnorth.no/library/movements/General/th-en-mo.htm
Source: the High North publication, "11 Essays on Whales and Man", second edition, 26 Sept. 1994. The author, Heidi Sorensen, is today the leader of Naturvernforbundet (the Norwegian Conservation Society), the largest environmental organisation in Norway.At the time this article was published, however, she was leader of the Norwegian environmental organisation Nature and Youth. Both these organisations are affiliated to the Friends of the Earth.

The Environmental Movement and Minke Whaling
- Heidi Sorensen -

Nature and Youth's view of whaling and sealing is one based on principles. Since 1983 we have represented the following position: "We support the sustainable harvest of marine mammals along the coast".

The minke whale is a resource that can be harvested sustainably. Norway may catch whales as long as the stock can sustain such a harvest. The North-East Atlantic minke whale stock consists of 86,700 whales. (Click here for update on estimate.) The minke whale is not an endangered species and therefore we consider a limited harvest acceptable.

There should not be anything extraordinary about an environmental organisation adopting such a position. A slightly baffled journalist from the BBC once asked me the following question about whaling: "You represent an environmental organisation that supports whaling. I thought the environmentalists loved the whale?"

Yes, we love the minke whale in the same way as we love the reindeer, the cow we keep in the barn, the pig, the roe deer and the elk. These are all animals that are not threatened with extinction and that we hunt or slaughter. The fact that we hunt certain animals does not mean that they are inferior to those we do not hunt. We love the elk just as much as we love the golden eagle.

History
In 1982 the International Whaling Commission passed a five year moratorium (complete ban) on all whaling, which came into effect in 1986. Nature and Youth supported the resolution. The reason for this was the lack of knowledge on the size of the minke whale stock. The scientist's calculations were based on the whaler's own figures from the hunt. If the whalers spent only a short length of time catching the whales, this indicated a positive development and vice versa. Such calculations involved a high degree of uncertainty.

The safety-first principle involves allowing Nature the benefit of the doubt. There was therefore no question of us supporting whaling before it was possible to document the fact that the minke whale stock could sustain a harvest. Nature and Youth therefore denounced the Norwegian government's decision to lodge a reservation against the moratorium in 1982. Nevertheless, we supported the government's resolution to stop whaling from 1987. Nature and Youth supported the scientific programme aimed at obtaining the facts about the size and fertility of the minke whale. Supporting the scientific whaling was also a matter of course.

We now have a far better scientific basis for assessing the stock and fertility of the North Atlantic minke whale. The stock is estimated at consisting of about 86,700 whales. We can say with a 95% degree of certainty tha tthe stock consists of somewhere between 61,000 and 117,000 whales. These are figures that the Scientific Committee of the International Whaling Commission (IWC) agreed upon in 1992. It was therefore not difficult for Nature and Youth to support the government's decision to resume commercial minkewhaling from 1993.

Sustainable Use vs Protection
Nature and Youth's position conflicts with the "European idea of conservation", and represents a breach between those elements within the environmental movement that give total protection higher priority than sustainable use. Our aim is life in harmony with Nature, not the protection of the symbolic value of species that are not threatened with extinction.

The Western environmental movement has withdrawn the whale from the context of its ecosystem saying that it is so intelligent, has such great symbolic value, and is so sacred that it must under no circumstances be shot. As far as the whaling issue is concerned, ecology and the interaction between human beings and Nature seem to have disappeared from the scene.

We do not have such views by chance. The eco-philosopher Sigmund Kvaloy Saetereng has attempted to define what is characteristic of the Norwegian environmental movement: "It is a question of the conservation of Man in Nature." Here, he is referring to the struggle to protect local communities, and to a movement that has understood the relationship between Nature and culture. If you deny a people its culture, Nature and the environment will also suffer.

Animal Welfare
The protection of minke whales is a matter of animal welfare and animal welfare can be a matter of conservation. The critics of minke whaling maintain that the kill takes such a long time, and that the minke whale is thereby subjected to an unnecessary high degree of suffering. In 1981 the International Whaling Commission passed a resolution banning the use of the cold harpoon, and Norway unfortunately lodged a reservation against this.

Today, the exploding harpoon and stronger lines have improved hunting methods, and figures from the scientific hunt carried out during the summer of 1992 are heartening. 50% of the whales shot died instantly. Altogether, only 10% of the minke whales caught lived for over 10 minutes after being shot.

Irrespective of new hunting technology, killing such a large mammal will always pose problems, this is true of both the slaughtering of bulls and the hunting of elks. Compared to the elk hunt, minke whaling is not that bad. In the elk hunt, 10-30% of the animals that are hit are only wounded, and in those cases it normally takes about an hour before the hunter manages to find the animal and kill it. Like elk hunters, all whalers must pass a marksman's test before the hunt begins.

In previous times hunting methods were far from so humane. The minke whale's Norwegian name "vagehval" comes from the way the whales swam after herring shoals following them into the inlets ("vag" i n Norwegian). The fishermen would then block the inlet with their nets and kill the whales with spears. This took a long time and could be extremely perilous.

It is wrong to subject animals to great suffering. And in this respect it is important to consider the entire lifespan of the animal in question. Animal welfare circles have exaggerated the importance of the actual moment of death. While the whaling debate was raging on in the summer of 1992, I visited "The Royal Agricultural Show" in Coventry, England. To a farm girl from the county of Trondelag, it was a tough experience which put the whaling debate in a new perspective. From an animal welfare point of view, I do not have a moment of doubt I would much rather be a North Atlantic minke whale than an English battery chicken or meat-producing bull.

The Super Whale
The Western environmental organisations have spun the myth of the Super Whale. Social anthropologist Arne Kalland of the Danish Institute of Asian Studies has analyzed how the characteristics from various different types of whale have been used to create a picture of a Super Whale that does not exist. He writes: "We are told that the whale is the world's largest mammal (the blue whale), that the whale has the biggest brain (sperm whale), that the whale has a big brain in relation to its body weight (bottlenose dolphin), that the whale sings pleasant, varied songs (humpback whale), that the whales have kindergartens and look after each other's offspring (dolphins), and that the whale is endangered (blue whale and right whale)."

All of these characteristics are attributed to the Super Whale, but such a whale does not exist. It is a mythical being. The Super Whale emerges as almost human, and sometimes even surpasses human beings. The whale is just as intelligent, it thinks like us, dreams like us and it has strong family ties. As Greenpeace Denmark's leader writes: "It is the human of the seas."

When we claim equality between human beings and whales, killing whales becomes murder, and the whalers become murderers. A trade that people have been carrying out for centuries is branded unethical. This has nothing to do with environmentalism or ecology.

While the whalers are depicted as murderers, the opponents of whaling characterise themselves as agents of what is good. "We urge for peace not pain, for caring and love not cutting down and killing, for good not evil, "wrote the leader of the International Fund for Animal Welfare on their fundraising Christmas cards.

In October last year, Greenpeace Austria placed a large obituary in the major newspapers saying "It is with great sorrow that we announce that our friend and brother MINKE WHALE, has passed away after being brutally murdered. Instead of wreaths and flowers, please send money to the environmental organisation Greenpeace's Whale Rights Campaign".

This is neither animal welfare nor environmentalism. It has nothing whatsoever to do with an overall concept of ecology. Nature and Youth is interested in the preservation of harmony between species in a natural context, and in protecting endangered species. We are not interested in removing a species from the context of its ecosystem in order to say that it is sacred, that it has great symbol ic value and that it is so intelligent that it must under no circumstances be shot.

Symbols and Ethnic Hunting
The Norwegian social anthropologist Hylland Eriksen thinks that the Norwegian government has behaved in a ridiculous manner regarding the whaling issue. He says that we must respect other people's symbols and emotions, and that the Norwegians are the world champions in moral condemnation and self-idolisation. We demand that poor Malaysians shall refrain from cutting down the rain forest, while we ourselves go whaling, which we could quite easily manage without.

Of course Norway can manage without whaling, so why make such a lot of noise about so little money? This is turning the issue upside down. Why shouldn't we catch whales as long as the species is not endangered? Is the whale such an important urban totem animal that we should abandon an old tradition? It would be tempting to ask the social anthropologist if we should refrain f rom eating beef because the cow is a sacred animal in India.

The American authorities and the Western environmental movement claim that whaling is unethical. Even so, the aboriginal people's whaling in Greenland is condoned. What kind of an opinion do they have of Inuit culture when they say that whaling is unethical, yet allow ethnic whaling because it is a part of their culture? To civilized countries like us it is unethical to catch whales, but these aboriginal people can kill a whale or two if they can prove that it is important in helping them obtain enough food.

International Environmentalism
The IWC meeting in the spring of 1992 did not permit the resumption of minke whaling. This provided the environmental movement with the following dilemma: "Would Norway lose international credibility if the decision to resume whaling in 1993 was maintained? Is it right to oppose an agreement on the environment, when the environmental arguments are on your side?"

Nature and Youth believe that we need an International Whaling Commission. But when the Whaling Commission moves towards being a commission for total protection instead of a management commission, it is undermining international environmentalism.

We must be much more on the alert in years to come. Is everything that calls itself "international" and "environmentalist" really beneficial to Nature and the environment ? It is important to ensure that the scientific and environmental arguments and the safety-first principle really are present. But we must also examine what we are protecting and for whom. International environmentalism must not become a way of depriving people of democratic control over their resources.

The Whaling Debate - a Diversion
The whaling debate is a diversion both nationally and internationally. In Norway, the government is trying to gain support in North Norway after the unpopular decision made regarding the agreement on the European Economic Area and Norway's application for EU membership. The whaling issue is being used to manoeuvre attention away from the government's decision. It has now become a question of external threats. For the time being, the government has not gained much ground in North Norway as a result of the whaling decision.

The whaling issue is also a diversion as regards the really critical environmental issues. While the media are full to the brim with the Norwegian whale war, Norsk Hydro and Statoil are drilling for oil in the Barents Sea, despite all the environmental and scientific recommendations to the contrary. The Barents Sea is a vulnerable ecosystem where even small oil spills can cause great damage.

Even though climatic issues, acid rain and toxic waste are scientifically documented hazards and represent a far greater threat to the environment than Norwegian whaling, these are not as marketable as the whale war. The whale war constitutes no danger to the major spoilers of the environment, but it does constitute a threat to local communities in Norway.

Environmentalism therefore loses all proportion when Greenpeace gives the British Minister of Agriculture, John Gummer a green stamp because he says no to whaling. The same Minister of Agriculture who represents one of the most environmentally antagonistic agricultural policies in Europe, and who represents a government that takes a back seat on the question of a reduction of CO2 discharges and the limitation of acid rain is concerned. When this happens, the whaling issue provides the rich, major polluters with a cheap way of buying a green alibi. And the worst thing about it is, that a no to whaling is not costing Britain a penny.

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