2008年1月18日金曜日

環境保護団体 テロは手段、最終目標は人類独裁

捕鯨船に乗込み妨害した男を豪巡視船へ引き渡した。
環境政策で政権を得た豪政府は公約を実行するが、日豪関係は冷えていく。


グリンピースと分派シーシェパードについて、フォーブスの記事は興味深い。

グリンピースは一部の人間が希望する「独裁主義」の提唱とそれを達成する
ための活動を行うとのこと。
気に食わないことには暴力で妨害することは最近の報道からも明白。

さらに、勝てない活動は行わないと明言していること。
確かに、日本のイルカ漁に対しては活動するが、米海軍の軍用海洋生物
(イルカが爆弾を背負い目標に突撃爆破、ペルシャ湾のイルカによる機雷探し等)
に関して一切活動をしない。
 カリフォルニア沖で演習中の米海軍による鯨やイルカに有害と主張される
ソナー使用禁止活動にも参加していない。

グリーンピースの映像は、金で雇って人に動物を虐待させ捏造した過去がある。
映画「Goodby Joey」において、裁判所の記録は
「この映画のためにカンガルーを虐待したかどで罰金を科せられた、
金で雇われたカンガルー猟師たちによって計画的に実演されたたものがある」
と言う。
豪にとって昔からカンガルーは虐待動物なんだろう。

1987年グリーンピースの米国支部の収入は2,500万ドル。
2000年度グリーンピース・ジャパン総収入8,065万円
(会費収入80.7%、寄付14.5%、物販売上1.9%、その他2.9%)

グリーンピース・ジャパンの収入は2001年度以降隠蔽したままだが、寄付を
募る詐欺集団か。

"Save the Whale Again!" campaign に参加したシーシェパードのビデオ
によれば、Hayden Panettiereはキャンペーン広報として、和歌山に来ていた
ようだ。

2004年のこのキャンペーンは$10,000の予算があった。
過激活動の映像により、もっと予算は増えただろう。
10日の日本への海外旅行に$10,000程度のこずかいが当たられた
Hayden Panettiereらは金に釣られた女だったかも知れない。
思い返せば泣き方が大げさだったな。


環境保護団体の本性は独裁。
昔の記事だが、言われてみれば納得できることが多い。


---Taiji Dolphin Campaign---
Dolphin Video Clips
27 October 2007
Surfers Take Action for Dolphins
in Taiji, Japan
http://www.seashepherd.org/taiji/video/2007-10-29_Taiji_Surfers_podcast.wmv


---反捕鯨公約 引けぬ豪州政府---
産経新聞 2008.1.18 00:42
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/080118/asi0801180042000-n1.htm

 【シンガポール=藤本欣也】南極海で日本の調査捕鯨船に米環境保護団体のメンバー2人が拘束された事件で、オーストラリアのラッド労働党政権が仲介の労を取った。しかし労働党はもともと反捕鯨の強硬派で、環境保護団体の立場に近い。豪州では捕鯨反対の世論が根強く、環境政策重視を掲げて政権を奪取したラッド首相も引くに引けない状況にある。捕鯨問題による日豪関係冷却化は避けられそうにない。
 そもそも、2人の身柄が引き渡された豪州税関の巡視船は、日本の調査捕鯨を監視するため近海を航行していた船舶だ。国際法廷への提訴に備え、写真やビデオなどの証拠収集が目的だった。
 こうした監視行為はハワード前政権下では考えられなかった。クジラ・ウオッチングが人気の豪州では、捕鯨に反対する国民が多いが、対日関係を重視するハワード前首相は反捕鯨の主張を抑え、両国間の火種にならないように努めてきた。
 しかし昨年11月の総選挙で、環境保護を掲げた労働党が圧勝。「日本の調査捕鯨監視」は労働党の選挙公約でもあり、早晩、捕鯨問題が日豪関係に悪影響をもたらすとみられていた。
 特に、インフレと高金利によりラッド首相の人気に陰りがみえ始めたとも報じられており、政権側が日本の調査捕鯨に対し厳しい態度を取らざるを得ない事情もある。


---捕鯨船 妨害男2人を引き渡し---
産経新聞 2008.1.17 23:50
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080117/plc0801172350016-n1.htm

 水産庁は17日夜、南極海で調査捕鯨中の日本の第2勇新丸に、米環境保護団体「シー・シェパード」のメンバー2人が侵入、日本側が身柄を拘束した事件で、日本時間の同日午後10時半すぎに2人をオーストラリア税関の巡視船へ引き渡したと発表した。これで日本が一時中断していた調査捕鯨は、安全が確認され次第再開する見通し。
 活動家は英国人とオーストラリア人で、捕鯨への抗議文を手渡すため15日に第2勇新丸に乗り込んだ。シー・シェパードが同船のスクリューにロープを巻き付けたりデッキに薬品をまくなど、調査捕鯨を妨害する危険行為を行ったため、日本側は活動家を拘束した。
 水産庁は16日に釈放を決めたが、再び妨害を受ける恐れがあるため、釈放まで調査捕鯨を一時中断。シー・シェパードが引き渡しに応じなかったため豪州政府に仲介を要請していた。


---拘束した環境保護活動家、豪政府の監視船に移す---
2008年1月18日0時31分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080117ia21.htm

 日本政府に17日夜に入った連絡によると、南極海を航行中の日本の調査捕鯨船に無断で乗り込み、同船に拘束された米国の環境保護団体「シー・シェパード」のメンバー2人が同夜、仲介に入ったオーストラリア政府の監視船に移された。
 豪政府は2人を団体側に引き渡す予定だ。
 日本政府は拘束後、「2人は、船舶に危害を加える意図はない」と判断、身柄を団体側に引き渡す方針を伝えていたが、「団体側から一切の回答がない」(水産庁幹部)ため、豪政府に仲介を要請していた。
 オーストラリアでは調査捕鯨に反発が強く、日豪間の外交問題に発展することを憂慮していた日本政府は「豪政府の仲介で身柄引き渡しが円滑に実現し、事態の沈静化につながる」(外務省幹部)と期待している。
 反捕鯨活動が活発化する背景には、豪政府が南極大陸の一部領有権を主張し、国内法に基づいて南極海の一部を自国の排他的経済水域として「クジラ保護区」と定めていることがある。
 オーストラリア連邦裁判所も15日、クジラ保護区での日本の調査捕鯨船による操業停止を命令しており、「(調査捕鯨は)国際捕鯨取り締まり条約に基づいた公海上における、合法的な活動」(町村官房長官)と主張する日本側との摩擦が強まっていた。


---活動家2人を豪に引き渡し 調査捕鯨、再開の見通し---
東京新聞 2008年1月17日 23時43分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008011701000954.html

 水産庁は17日夜、南極海で調査捕鯨中の日本の第2勇新丸に、米環境保護団体シー・シェパードの男性活動家2人が拘束された事件で、日本時間の同日午後10時半すぎに2人をオーストラリア税関の巡視船へ引き渡したと発表した。これにより、日本が一時中断していた調査捕鯨は、安全が確認され次第再開する見通し。
 活動家は英国人とオーストラリア人で、捕鯨への抗議文を手渡すため15日に第2勇新丸に乗り込んだ。シー・シェパードが同船のスクリューにロープを巻き付けたりデッキに薬品をまくなど危険行為を行ったため、日本側は活動家を拘束した。
 水産庁は16日に釈放を決めたが、再び妨害を受ける恐れがあるため、釈放まで調査捕鯨を一時中断。シー・シェパードが、日本が捕鯨できないようにする狙いもあってか、引き渡しに応じなかったためオーストラリア政府に仲介を要請していた。
(共同)


---豪州船が身柄引き取りへ、日本の捕鯨調査船の活動家拘束---
2008.01.17 Web posted at: 18:48 JST Updated - CNN
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200801170028.html

米環境保護団体「シー・シェパード」の活動家2人が15日、南極海で日本の捕獲調査船「第2勇新丸」に侵入して身柄を拘束された事件で、オーストラリアのスミス外相は17日、現場海域の近くにいる同国税関の監視船2隻を第2勇新丸に向かわせ、2人を引き取らせると述べた。

監視船は同日、第2勇新丸を視認出来る近海に到達した。2隻は、日本の調査捕鯨船団の動向を監視するため、南極海に向かい出港していた。

2人の拘束については、シー・シェパードと日本の水産庁が、瓶を投げ付けられたことや活動家が縛られたことなどをめぐり「テロ行為」と相互非難、解放の見通しが立っていなかった。スミス外相は2人を出来るだけ早く引き取りたいと述べた。その後、シー・シェパードの艦船へ引き渡す見通し。


---ソナー禁止、海軍は例外 ブッシュ大統領決定---
産経新聞 2008.1.17 11:19
http://sankei.jp.msn.com/world/america/080117/amr0801171120010-n1.htm

 ブッシュ米大統領は16日、鯨やイルカに有害とされ、米国内法で使用が制限されている音波探知機(ソナー)について、カリフォルニア沖で演習中の米海軍を例外扱いと規定し使用を認める決定をした。環境保護団体は強く反発、撤回を求める構えだ。
 ロサンゼルス連邦地裁が今月初め、海軍の中周波ソナー使用を大幅に制限する仮処分を出したことを受けた措置。大統領は声明で、ソナーを利用した演習は「最重要の国益」であり、安全保障に不可欠だと指摘した。
 AP通信によると、大統領の決定によって仮処分が直ちに無効とはならないが、今後の司法判断に大きな影響を与える。海軍側は週内にも仮処分の取り消しを行うよう裁判所に求めている。
 環境保護団体「天然資源保護協会」は「法の支配への挑戦だ」と大統領の決定に反発。「違法行為」を差し止めるため、連邦高裁に申し立てを行うとしている。
 ソナーは潜水艦の位置を特定するために使用されるが、海洋哺乳(ほにゅう)類の方向感覚を狂わせるとされ、ハワイ沖での環太平洋合同演習(リムパック)でも使用が一時禁止された例がある。(共同)


---Eco-Crime Watch---
Sea Shepherd Conservation Society Reward Program
http://www.seashepherd.org/rewards.html

$25,000 Antarctica - Japanese Whalers
Posted January 27, 2007

$25,000 Reward for Japanese Whalers’ Coordinates

Sea Shepherd Conservation Society is offering a reward to any one person or group that can provide the coordinates of the Japanese Whaling Fleet presently operating in the Ross Sea.

"This information will save us considerably in fuel costs," said Founder and President of Sea Shepherd Captain Paul Watson. "We know the Japanese whaling fleet is within 500 miles of us. We are willing to pay $25,000 for any information that successfully leads us to the fleet."

Information can be relayed to our head office in Friday Harbor, Washington, at 360-370-5650 or faxed to 360-370-5651or e-mailed to rewards@seashepherd.org

If desired, informant’s identity may remain confidential.


---太地のイルカ キャンペーン---
ニュースリリース
2004年 9月21日
http://www.seashepherd.org/taiji_jp.shtml

シーシェパードは日本の太地で行われる、イルカ虐殺のドキュメンタリー撮影に対して、一万ドルを支払います。

シーシェパードは日本の太地で毎年、行われる小型クジラとイルカ虐殺の撮影をした最も出来のよい作品に一万ドル(約110万円)の賞金を提示しています。

キャプテン ポール ワトソン (代表)はこの変わったコンテストの理由を、賞金を提示する時に説明をしました。

>これは楽しいことではなく、愉快なことでもありません。
>しかし、これはやらなければならないことなのです。
>太地市当局と漁業組合はシーシェパードがこの虐殺の撮影をすることを非常に困難にしています。
>一万ドルの賞金はたしかに動機ですが、日本人がドキュメンタリーに介在する動機が必要とされているのです。

太地の猟師による、イルカおよび小型クジラ虐殺を最もグラフィックに、非難的に撮影した人には誰でもシーシェパードは賞金を支払います。
この申し込みは誰でも出来ますし、受賞者はシーシェパードの毎年のイルカと小型クジラ殺戮を更に明るみに出す目的に使用することを了承していただきます。

この賞はビデオフィルムかデジタル撮影をする人々に向けられています。
イルカ猟は公式に10月1日から行われます。
毎年、何千頭ものイルカと小型クジラは湾に追い込まれたり、ネットで捕らえられたりしています。
彼らは棍棒で殴られ、ナイフで切られ、そしてヤリで何度も突き刺され、海が鮮血に染まるまで殺されていきます。

2003年、シーシェパードのメンバーはこの殺戮の撮影に成功しています。
そしてその映像は世界中の新聞に掲載され、シーシェパードのビデオはテレビでも放映されました。
このドキュメンタリーは日本政府をたいへん恥ずからしがらせたため、シーシェパードのメンバーが再び、太地に戻ることをよしとしていません。

かてて加えて、二人のシーシェパードのメンバー、アメリカのアリソン ランスワトソンと、オランダのアレックス コーネリセンは猟師たちが殺すために捕らえていたイルカのネットを切って、15頭のイルカを解放しました。
この2人はこのような慈悲の行いのため、23日間、拘置されたのです。
しかしその体験は価値あるものでした。

>15頭のイルカの残りの人生と、3週間の拘置所生活を、比較することができるでしょうか?

ランス ワトソンはこのように聞きました。

キャプテン ポール ワトソンは現在、ブラジルのアマゾン流域でシーシェパードの旗艦調査船、ファーレイ モワット ( Farley Mowat) に乗船して違法な魚網、ロングラインの監視のためのパトロールをしつつ、この一万ドルの賞金のことを発表しました。

イルカに対する、日本人のこのような残虐行為の継続を私たちは認めることは出来ません。
日本人はこのような真実を検閲し、知的で無防備なイルカと小型クジラへの残酷で血にまみれた殺戮を、自分たちの汚い、小さな秘密にしていかれると信じているようです。
私たちはイルカ虐殺、およびその殺戮と捕獲産業の連携を明らかにすることを続けて行きます。

イルカ追込み猟の動機のひとつとして、イルカが捕らえられたまま売られていくことがあげられます。
世界中の水族館からの買い手は最良の動物を選び、高い金額を支払います。
その群れから取り除かれたイルカは、魚を食べる害獣と見られ、猟師によって殺されます。

殺された後のイルカは切り刻まれ、その肉は非常に高い濃度の水銀や重金属に汚染されているにもかかわらず、レストランやスーパーなどに売られていきます。

この賞に応募するにあたって撮影映像はシーシェパード宛に送られなくてはなりません。シーシェパードは最高の質と写実的なドキュメンタリーに基づいた映像に対して一万ドルを支払います。
またそれ以外にも、ビデオ撮影一分につき500ドル(約5万5千円)、または写真一枚につき250ドルを支払います。

これらの撮影は2004年10月1日から、2005年3月31日までに撮られたものでなくてはなりません。


---スーパー・ホエール - 環境保護運動における作り話とシンボルの利用---
http://luna.pos.to/whale/jpn_hna_super_w.html
(HNA(ハイ・ノース・アライアンス)発行 "11 Essays on Whales and Man"(1994年9 月)所収の記事からの訳。 20-Apr-2002。
原題:"Super Whale: The Use of Myths and Symbols in Environmentalism")

アルネ・カラン
(著者のアルネ・カラン(Arne Kalland)はオスロ大学の文化人類学部の教授であり、オスロ大学の環境開発センターの上級研究員でもある。)

過去数十年の間、自然と環境に対する一般大衆の関心の増大に基づく2つの強力な運動が発展した。それらは自然保護と動物福祉であるが、それらを明確に定義してみる必要があろう。

保護主義者は、生物多様性に第一の関心がある。彼らは自然資源のバランスのとれた持続的な利用を促進する。言い換えると、保護主義者は未来の世代のためにエコロジーを保とうとする。動物福祉運動は第一義的には個々の動物の命運に関心がある。そこでは、動物の扱い方や殺し方に人道性を求める者から、いかなる状況でも動物を利用すべきでないという急進的な者まで様々である。この急進的な人々は動物権運動を推進しているが、その最も急進的な例が暴力的な動物開放戦線(Animal Liberation Front)で、動物権の名のもとに数多くの爆弾事件を起こしている。

どのグループの主張にも、環境主義の幅広い方向の中で何を目ざしているかがハッキリ見てとれる。環境と生物多様性に焦点を定めた団体は、自然における生息域の悪化、非効率的で過剰なエネルギー消費、多くの生物種の減少などを問題にする。動物の人道的な殺し方や、動物を殺すことの倫理的疑問に焦点を当てる団体は、動物福祉のカテゴリーに属する。しかし実際には、2つの運動の違いはしばしば不明確である。動物福祉団体は動物の生命の基礎を守るために、だんだんとエコロジーに関心を寄せてきている。また、保護団体の一部は動物世界との象徴的な結びつきを作り上げた。我々がここで調べるのは、この後者のプロセスである。

環境保護主義というのは政治的運動であり、他のすべての政治運動と同様にレトリックというものが重要である。政治的メッセージを単純化して要約するのが重要であり、それはしばしばシンボルを用いて行なわれる。典型的には、それらのシンボルは自然界から採用される。これは、技術的に発展していない社会においては特にあてはまる。自然のシンボルは、社会が人間と自然の関係を説明したり、理解を共有するために使用される象徴となる。ある集団の人々は特定の動物や、自然現象、時には非生物を特別のものとして扱う。これらの人々にとって、彼らの象徴は彼らの独自性や正統性を与える存在である。これらの人々の間の関係は、彼らの象徴との関係に関わっている。彼らの象徴との関係には宗教的な質が仮定されており、これら象徴社会のほとんどにおいては、彼らの象徴を守ることが最大の責務となる。

環境運動において、鯨やアザラシはシー・シェパード(Sea Shepherd)や国際動物福祉基金(International Fund for Animal Welfare - IFAW)といった動物福祉団体や、グリーンピースやWWF(World Wide Fund for Nature - 世界自然保護基金)といった保護団体にとって象徴的存在となった。象徴動物の扱いにおいて、保護団体であるグリーンピースやWWFは動物福祉の領域へ重大な一歩を踏み入れた。

なぜ鯨やアザラシなのか?
エコロジー面の理由だけでは、なぜ多くの環境保護団体が鯨やアザラシに彼らの社会イメージを結びつけたのかを説明できないのは明らかである。多くの環境運動のリーダー達は、彼らが鯨やアザラシを保護するのは主に倫理や道徳面の理由からだと述べている。 CSI(Cetacean Society International)のリーダーであるロビン・バーストウ(Robbin Barstow)は過去何度もこの立場を表明し、捕鯨に対して道徳や倫理面から反対してきた。 WWFは近年になって「世界中の多くの人々が鯨のすばらしい価値に気付いている」と訴え始めている。そして、WWFは捕鯨が持続的な形で可能であることが確かになったにもかかわらず、捕鯨のモラトリアムを支持し続けている。国際捕鯨委員会(IWC)への各国代表の多くが、今では倫理的原則という点からモラトリアムの継続を擁護しているが、これはアメリカの代表が言ったように、モラトリアムを科学的見地から擁護するのがもはや可能ではないからである(*1)。

もしも、アザラシや鯨のある種が絶滅の危機になく、限定された捕獲のもとで生存し続けるなら、なぜ、動物福祉団体ではない保護団体であるグリーンピースやWWFはアザラシ猟や捕鯨に反対し続けるのだろうか?

この質問に対する一つの答えは、これらの団体には反対キャンペーンを続ける実用的な理由があるというものである。保護主義者と動物福祉グループは容易に勝利を得られそうな問題を取り上げる傾向がある。成果を上げたり、少なくともマスメディアをフルに活用してそのような印象を与えるには、団体の活動が効果的で正統性があるという一般大衆の信頼を確立するのが重要となる。この正統性が、環境的価値の擁護者としての団体を宣言をする機会を与えてくれるのである。またそれは、企業や政治家にとって、団体への寄付やその他の形の支持によって「良い環境イメージ」を得るのを容易にする。この種の支持は、当然のこととして特定のビジネス上の利害や国家に直接影響しないキャンペーンに向けられる。ほとんど多国籍企業や国にとって、野生動物の保護はコストのかからないキャンペーンである。これは、1988年に2頭のコククジラがアラスカ沖で氷に閉じ込められた際の出来事で明らかに見られる。鯨を開放する作業には数万ドルかかったが、アメリカとソビエト政府、それに多くの石油会社は安価に良いイメージを得たのに気付いた。反面、アイスランドは水産輸出品へのボイコットが強まることによって、大きな損を受けた。

最も知られた反捕鯨論者の一人であるシドニー・ホルト(Sidney Holt)は、鯨がきわめて魅力的な動物であり、捕鯨は経済的には重要ではないため、鯨を保護するのは比較的容易であると述べている。これはアザラシとアザラシ猟にも当てはまる。「私たちは戦略的に日和見主義者なのです。」とグリーンピース・ドイツ支部長のヘラルト・ツィントラー(Herald Zindler)は言う。この見解はおそらく、グリーンピースの国際部長であるスティーブ・ソーヤー(Steve Sawyer)の「我々が問題を取り上げる際の方針は異常なまでに実利的です。我々は勝つ見込みのありそうな問題を取り上げます。」という言葉に最も明らかである。鯨やアザラシの場合のように、グリーンピースはしばしば、他の団体が既に行なっているキャンペーンを行なう。グリーンピースは、自分達に都合の良い大義を世間に広めるために首尾よくマスコミを動員する。テレビの視聴者は、理想主義的なメンバーが自身の命を危険にさらして巨大企業と戦う姿に、聖書サムエル記のダビデと巨人ゴリアテの戦いのイメージを見せられることになる。だが真実はしばしば全く違っており、漁師やハンターがダビデでグリーンピースが巨大なゴリアテであったりする。

アザラシ猟や捕鯨はほんの数カ国で行なわれており、資本投下も少ないので、これらに対する反対キャンペーンは特に魅力的である。巨大な多国籍企業も先進国のほとんども、捕鯨やアザラシ猟に関わっていない。これらは、辺境の地で行なわれている細々とした活動である。それゆえ、汚染を引き起こす産業や多くの政府にとってこれらのキャンペーンが魅力があるのは理解しやすいが、それにしても、なぜこんなに多くの個人が反アザラシ猟や反捕鯨キャンペーンに興味を持つのだろうか?

グリーンピースのドイツ支部は、反アザラシ猟キャンペーンに関わったことについて、資金を得るための手段であったと正当化している。「我々には組織を大きくする必要があったのです。」と、ドイツ支部の反アザラシ猟キャンペーン担当者だったウォルフガング・フィッシャー(Wolfgang Fischer)は、1990年1月15日のバイエル放送のTV番組で語った。彼は続けて「そこで私は、大きな目を持つ可愛らしい動物を使うのが適当だと思ったわけです」と述べた。白くて「無垢な」アザラシの子供やイルカは、一般大衆に非常に強くアピールする。だが、これだけで反対キャンペーンを始めたわけではない。グリーンピースは1970年代初めの設立以降、捕鯨やアザラシ猟の禁止を道徳的理由から支持してきた。初期のリーダーの多くが、鯨との特別な関係を主張した。グリーンピースが1974から1975年ころに崩壊しそうになったのを救ったポール・スポング(Paul Spong)やロバート・ハンター(Robert Hunter)は、「鯨を呼ぶ」というイベントを、何百人もの人々が集まるカリフォルニアの浜辺で行い、テレパシーで世界中の鯨を聖域へ集めようとした。科学的なバックグラウンドのあるエコロジー学者のパトリック・ムーア(Patrick Moore)もこのイベントに付け加えて、捕鯨の議論は鯨の数が減っているかどうかに限定すべきではなく、一般向けの情報キャンペーンによって人々に「鯨はすばらしい生き物である」と信じさせるようにすべきだと主張した。

鯨、そしてある程度はアザラシも、環境運動の多くにおいて独特の価値がある。彼らは豚や鹿などの他の動物と違う種類の階級にいる特別な動物なわけである。この点において、グリーンピースやWWFは、すべての動物には本源的に価値があると信じる他の動物福祉の主流とは一線を画す。ある特定の動物種を選んで特別な性格付けをすることによって、これらの団体はそれらの動物種を象徴動物に仕立て上げるのである。特に鯨とアザラシは象徴動物の役割に適している。まず第一に、双方とも海の生き物である。我々は海の中で何が起きているかあまり知らないから、情報を操作して神話を作り出すのが簡単である。第二に、海は生命のシンボルであり人間の手があまり入っていない自然である。第三に、我々から離れた世界に住む野生動物は、我々の多くがあこがれる自由の象徴へと変えられる。最後に、アザラシや鯨は、4本の手足を持つ哺乳類が陸上を歩き、エラやヒレを持つ魚が水中を泳ぐという基本図式から離れた存在であることが挙げられよう。

「スーパー・ホエール」 - 海に住む我々の親類
環境保護や動物保護の活動家はしばしば「鯨は」という言葉で単一種のように語る。我々は「鯨は世界最大の動物である」、「鯨はこの世で最大の脳を持つ」、「鯨の脳は体重との比でも大きい」、「鯨は社会的であり、友好的である」、「鯨は歌う」、「鯨の社会には子供の面倒を見るシステムがある」、「鯨は危機に瀕している」などの主張を耳にする。確かにシロナガスクジラは世界最大であるし、マッコウクジラの脳は世界最大であるが(体のサイズと比較すると小さいが)、しかし他の点のほとんどについては証明するのは困難である。世界中に75種類以上いる鯨の中で、上の中のある言説がある程度当てはまるのは1つか2つである。だが、人が鯨について話す時、これら様々な鯨種の特徴すべてを持つ単一の「鯨」がいるかのごとく語っている。しかし、実際にはそんな鯨などは存在せず、それは架空の動物「スーパー・ホエール」なのであり、しかも擬人化された存在である。ニュージーランドのIWCコミッショナーにとって、鯨はもはや海に住む我々の同類になってしまっているのであり、グリーンピースのデンマーク支部長だったミカエル・ギリング・ニールセン(Mikael Gylling-Nielsen)にとっては「海に住む人間」となってしまっている。鯨やイルカはニューエイジ運動にのめり込んだグループにとってはカルト的崇拝の対象になってしまった。

鯨を神話化する際、2つの状況に比重が置かれる。まず、鯨が何百万年も存在してきた生き物であることが特に強調される。ある人々は、鯨の長い歴史という理由だけでも、彼らに海における特権が与えられると主張する。鯨は一種の「海の原住民」だというのである。もう一つの主張は鯨は長い歴史の中で知性を発達させる時間が人間よりあった、というものである。鯨は、人間の祖先がまだ夜行性動物であった時代に、すでに高度な知能を持っていたとミカエル・ギリング・ニールセンは言う。長い歴史のゆえに鯨は人間の上位にあり、人間の教師だというのである。

さらに我々は、鯨は人間が失った価値観を守っているという印象を与えられている。ある人々によると、鯨は知能だけでなく社会的にも優れているのだという。西側世界では人々は疎外感に悩まされている。我々は商業主義の増加、連帯の低下、そして犯罪の増加を目の当たりにしている。我々の社会的意識に疑いが向けられる中、鯨が持つとされる諸々の資質はまさに人間が失ってしまったものである。鯨は病気になったり死にかかった仲間の面倒を見るというが、人間の場合にはお金を払って(スカンジナビア半島では税金でまかなわれるが)施設に送り込む。鯨は無償で仲間の子供の面倒を見るというが、人間は保育園やベビーシッターにお金を払う。人間はある程度までは立派に振舞ってきたのだろうけど、それもお金と商業主義が社会に根付く前の遠い昔の話である。今日では、我々は老人の面倒を見なかったり、子供達に必要な注意を払わなかったりして、後ろめたさに悩まされている。

「スーパー・ホエール」は動物の間における階級という考えに基づいたシンボルである。これらの考えを材料にして、異なる鯨種の特徴を混ぜ合わせ、鯨の知能や社会的良心に関する神話を加えて強固にする。この結果、大きく増大するマーケットに見合うシンボルができたわけである。

商業製品としての「スーパー・ホエール」
今日、我々は様々な状況で鯨に接し、鯨の非消費型利用は毎年数十億クローネに及ぶ(*2)。ハーマン・メルヴィル(Herman Melville)の「白鯨」が1851年に出版されて以来、鯨を扱った数多くの本が書かれた。ロイド・アビー(Lloyd Abbey)の「最後の鯨」では全ての登場キャラクターが鯨であるという新ジャンルが生まれた。この小説の世界では、様々な種類の鯨が互いに交流し、人間とシャチさえいなければ万事平穏である。鯨はまた、他のタイプの本にも登場する。自然界における鯨の歴史を扱った上製本は増え、SFの分野でも多くの作家が鯨に関心を示した。例えばデイヴィッド・ブリン(David Brin)の「スタータイド・ライジング(Startide Rising)」では、ストリーカーという名の宇宙船に遺伝子操作によって高い知能を得たイルカが乗り組んでいる。最近では多くの本が「イルカ・カルト」に分類されるべきものとなっている。例えば、「イルカの夢時間」、「イルカが微笑む日」、「イルカの歌で踊る」、「イルカの心象風景」、「イルカとヒーリングの力」、「イルカのマジック」などである。

他の芸術分野でも、広い客層を得るために鯨を扱うようになった。「鯨アーティスト」が鯨やイルカの絵画を描き、写真家や映画製作者が鯨の生態についてのドキュメンタリーやビデオを制作する。ザトウクジラやシャチの「歌声」を収めたCDは多くの店で見かけるし、ステッカーやTシャツ、バッジなども同様である。また、「エコ・クエスト1 - 鯨座を探して」というゲームによって、鯨はコンピューター・ゲームの世界にも登場した。

鯨ツアーというものも年間十億クローネの産業に成長した。 1991年には400万人以上の人が鯨を見るために旅行し、今日では行き先は南極を含めて地球上の広範囲に広がっている。北米だけでも、200ほどの業者が250種以上のツアーを提供している。何人かの科学者によると、いくつかの地域ではボートが鯨に近づきすぎるために、鯨が行動様式や回遊ルートを変えているという。

だが、多くの人は単にデッキの上から鯨を見るだけでは飽き足らず、鯨と一緒に泳ぎたがっている。否定的な人もいるものの、何人かの人々は、イルカと一緒に泳ぐ事は鬱病の人や自閉症の子供に効果があると主張している。イルカ・セラピーの指導的人物であるホラス・ドブス(Horace Dobbs)はイルカに対する彼の患者の反応を説明している。彼らはイルカがいるとリラックスし、自然に振舞う事ができ、不安やイライラから開放されるという。彼の患者の一人は、体験を以下のような興味深い言葉で説明する。

「イルカは、最初のうちはゆっくりと動き、それから我々が水中をコンコルドのように速く泳ぐまでスピードを増していった。私は王子様に導かれて他の国へ連れて行かれる王女になったような気がした。我々は一体、つまり私が彼で、彼が私であった。完璧な調和と愛がそこにあった。イルカは私の心のゆえに私を愛した。私が若いか年老いているか、やせているか太っているかは関係なかった。私は、試験結果で彼を感心させる必要もなかった。彼は私そのものを受け入れ、愛したのだ。」

似たようなメンバーから成る少人数グループからの情緒的な支持を得られる証言というのは、多くの新興宗教団体の典型的特徴である。このような宗教的体験に参加する人々は、感受性が強く他人への思いやりや愛情への志向がある人々であると言われている。ドブスの著書「イルカの歌で踊る」では、イルカと泳ぐことに精神的な体験を感じなかった人間は否定的に描かれている。彼女は「とても太った、金持ちのアメリカ女性」で、自分自身にしか興味がなかった。

これらの集いにおいては連帯感が重要視されるが、これはホエール・ウォッチングでも同様である。いくつかのホエール・ウォッチング・ツアーは宗教的ないしはカルト的な様相を呈している。時おり、鯨が海に潜る直前にサヨナラをするかのように尾ビレを振るのを見た一群のツーリストが一斉に「オーッ」と叫ぶ時、船上に強い仲間意識が起こることがある。ハワイのあるツアー業者はこの連帯意識を利用し、ある歌を学ぶ者は誰でもクルーの名誉ある仲間として受け入れられると宣伝している。


善人と悪人
シンボルというのは、我々に自分と他人の違いを明かにさせる。ある人々にとっては海洋哺乳類に対する態度が、善人か悪人かを決めるための決定的基準となる。「象徴」は、世の中を2つの人間に分類させるのである。

「スーパー・ホエール」を象徴動物としている人々は、環境活動家や動物保護主義者から善人として好意的に評価され、そうでない人々は低い評価となる。貨幣を捕鯨者の象徴とすることによって、動物保護主義者は「善良な人々が、時には命を危険をさらして、平和的な生き物である鯨を邪悪な捕鯨者から救うために戦っている」という印象を植え付けようとしている。捕鯨者は、貪欲に利益を得るために最後の鯨まで地球上から消し去ろうとしている死刑執行人として表現される。下に示すような世界の2分化が、実世界のこのような概念化から生まれる。

善                 悪
鯨やアザラシの保護者        捕鯨者やアザラシ猟者
象徴: 鯨、アザラシ        象徴: お金
生きるための経済          資本主義的企業
団結、共有             利潤拡大
文明的               野蛮人
清潔                汚染

このような世界観を作り出す試みで使われるレトリックの例をいくつか示してみよう。多くの募金活動において、鯨を救うという大義のもとに善良な市民の心を開き、財布を開けさせるために様々なアピールがなされている。捕鯨に対してノーと言うのは文明人であることと同義となる。「鯨に関心をいだくのが人格的ならびに社会的成熟度の証である」と、アメリカの海洋哺乳動物委員会の前メンバーだったビクター・シェファー(Victor Scheffer)は説く。ノルウェー国内でも、グリーンピースのペール・ブッゲ(Pal Bugge)は1990年8月11日付けのArbeiderbladet紙において、「捕鯨者はいまだに、四方八方に血みどろの攻撃をしまくるという、バイキング時代の伝統を続けている」と述べている。

このような考えにはある種の帝国主義が内在している。職業を持たない原住民は、生存や物々交換の一環として鯨やアザラシを捕ることが許される。だが、彼らの狩猟が商業目的だと、このような2分化された世界観を乱すこととなる。そこで結論として、原住民は「未開の原住民」に留まる限りにおいて、商業的活動とは一線を画した狩猟を続けることが認められる。かくして先進国に住む我々は、原住民という、我々自身の発展を遍歴できるような生きた博物館を与えられ、同時に彼らを政治的にコントロールする手段をも得る。

白人の先進国において、アザラシ猟や捕鯨は、このような世界観への脅威であり、それゆえ、反対するか、あるいは関わりを持たないようにする対象となる。捕鯨者は野蛮人と見なされる。 IFAWのリーダーであるブライアン・デイビス(Brian Davies)を例にとると、彼は友人宛ての手紙でフェロー諸島のゴンドウ鯨漁について次のように書いている。

「... 未開人の漁 ...、想像しうる限り最も野蛮な祭り。平和なゴンドウ鯨は浜へと追い込まれたり、既に捕われた仲間への義理から浜へ向かう。そして、彼らはいとも単純に切り刻まれる。文明国の人間にはゴンドウ鯨をサディストたちから救う義務がある」

捕鯨者を悪魔呼ばわりするのは学術誌にすら見られる。「The American Journal of lnternational Law」誌においては、2人の法律家が「鯨を殺すのを認める心情というのは、劣等な人々を虐殺するのを認めるのに等しい」と書いた。さらに、鯨肉を食べるのは事実上は食人行為の一種ということになる。タブロイド紙のデイリー・スターは1991年5月11日付けの2ページにわたる記事において、「貪欲なジャップが、血の宴会における病的なごちそうで、山盛りの鯨肉をむさぼり食う」と報じている。

環境アリバイを売る
この論文で私は、アザラシや鯨がなぜ良いシンボルになるのか、動物保護主義者がどのようにして「スーパー・ホエール」の概念を作りだしたか、そしてこのシンボルがどのようにして貴重なマーケットに出会ったかについて、いくつかの主な理由を述べた。さらに我々は、ホエール・ウォッチングや鯨と泳ぐといった事業が、いかにして人々に結束や、シンボルを通して表されたも同然な自己認識を提供してきたのかも見てきた。そこにおいては、象徴に対して最も強く要請された義務は、それを守ることであった。

世界には様々な「聖なる動物」がおり、我々はそれらと共存しなければならない。だが、活動家が作り上げた象徴のシステムと他のシステムでは、2つの点で異なる。第一に、活動家には狂信的な姿勢がある。ヒンズー教徒はアメリカ人が牛を食べるのを許容できるが、活動家は日本人が鯨肉を食べるのを許容できない。このようにして、西欧の文化帝国主義的伝統は行われていく。第二に、転向者の一群に仲間入りすれば良い思いをすることができる、という点である。象徴は金で手に入り、それは環境面での正当性や利用価値のある地位をもたらしてくれる。恐らくこれは、このように世界というものを認識することにおける、最も危ない点であろう。

多くの人々が「環境アリバイ」とでも呼ぶべきものを求めている。ある人々はシンボルや象徴エンブレムとでも呼ぶべきものを買い、ジャケットや車のガラスに貼って環境志向であることを他人に見せる。他の人々は、スタットオイル社がデンマークでやったように、環境保護団体のキャンペーン用のロゴを宣伝用に買う。スタットオイル社はWWFデンマーク支部に百万クローネを払い、石油の売り上げを増やすためにWWFのロゴを使うことを許可された。 WWFはまた、評判を高めたい人々のために、鯨を売るということもやっている。 WWFデンマーク支部は産業界向けに始めた「鯨を養子にしよう」というキャンペーンにおいて、「スポンサーになれば、貴社の活動を良い方向でWWFに結び付けます。スポンサーになれば、貴社のビジネスが環境に注意を払っているということを社会に示す機会になるでしょう。貴社がこの機会を活用することを願っています」と書いている。ブロステ・ケミカル社は鯨を養子にし、WWFに協力した環境志向の会社として名を売ったが、この行為が本当に地球環境に貢献したのかといえば疑わしい。

環境保護や動物保護運動は、自身を政治的に表明することによって大きく成功した。彼らは、「容易に勝て」、ほんの数カ国だけが敗者になる一方で大多数の人間が自国内で簡単に点数稼ぎをできる問題を選び、効果的なシンボルを作り出し、マスメディアを通してホエール・ウォッチングやイルカ・セラピーなどを売り込み、良い環境イメージを与えることで企業や政府の関心を効果的に開拓することによって、自身を効果的に売り込んだ。

世界は積極的な環境保護を必要としている。とりわけ海産資源の利用のためにクリーンな海洋環境への依存度が高い沿岸域の人々はなおさらである。我々は一方では漁師やハンター、もう一方では環境保護運動という両サイドの協調の強化を必要としているが、今日では残念なことに両者の間には相互不信があるだけである。その原因は環境活動家の一部が(全員ではないものの)方策をごちゃまぜにしていることにある。グリーンピースやWWFのように環境保護と動物保護を混ぜることによって、反対運動が人為的に作られる。これは、自身の活動をシンボル的世界観から一線を画そうとしている他の団体にとっても状況を困難なものにしている。つまり、グリーンピースとWWFは効果的な沿岸の環境保護にとって重要な協調を損なっているわけである。これ自身は沿岸地域の人々対する脅威となる。グリーンピースやWWFの手法は地球環境にとって本当に重要な問題から人々の注意をそらすことになる。焦点は環境に対する真の脅威からそらされ、ときには環境への脅威者と環境団体が互いに認めあっている状況が見られる。このような状況は、アメリカやイギリスなどの反捕鯨国政府が環境アリバイや環境免罪符を買っているIWCにおいて容易に見受けられる。この見返りとして政治的正当性がグリーンピースをはじめ他の反捕鯨団体に与えられる。このような構図には、沿岸地域の人々だけでなく、環境一般に対する最大の脅威が存在している。

参考文献
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訳注1: モラトリアム採択当時、科学委員会はミンククジラの資源量が頑健であると認めていたにもかかわらず、「科学的知見に不確実性がある」という口実でモラトリアムが支持されたことを思い起こしていただきたい。

訳注2: 「クローネ」はノルウェー、デンマーク、スウェーデンの通貨単位


---グリーンピースのあまり平和的でない世界---
(米「Forbes」誌, 1991年11月号からの翻訳)
Leslie Spencer、Jan Bollwerk、Richard C. Morais
http://luna.pos.to/whale/jpn_green.html

 ゴム製のいかだに乗り込み、鯨を救おうと喧嘩腰になっている抗議者の集団 -- これがグリーンピースのイメージである。ところが現実のグリーンピースは、内部の人間にしか実態を知られていない、莫大な収入のある多国籍組織である。しかもマスコミと大衆を巧みに操る才知に長けている。
 「デイビッド・マクタガートの成功の秘訣は、そのままグリーンピースの成功の秘訣である。つまり、重要なのは何が真実かではなく、何が真実であると人が信じるかである -- マスコミの貼ったレッテルが、そのまま真実になるのだ。(グリーンピースは)一つの神話になり、さらに新たな神話を生み出す機械になった」
 グリーンピースに対するこの皮肉な発言をしているのは、環境保護主義者の過激な運動にうんざりした保守派の人間ではなく、もともとマクタガートと共同でグリーンピースを設立し、今ではそのライバルのエコロジー団体 Sea Shepherd Society(海の羊飼い保護者の会)の理事を務めるポール・ワトソンである。
 ワトソンは、グリーンピースがいかにしてみすぼらしいヒッピーの集団から、24カ国に事務所を持ち500万人の会員を擁する世界最大の環境保護団体にのし上がったかを解説した(ちなみにワトソンは、1977年にグリーンピースを脱退している)。この出世物語に少なからず貢献したのは、ワトソンも言及している巧みな神話の創造である。
 最近離脱してしまった教祖的存在のデイビッド・マクタガート(59歳)の采配のもとに、年間収入 1億 5700万ドル(1990年度)のグリーンピースは、巧妙に運営された事業に成長し、DMやイメージ操作のコツを身につけた。同時に、利潤追求を目的とする一般企業が行ったならば直ちに猛烈な非難を浴びるような陳情活動にも着手した。マクタガートが強大な多国籍企業を「宿敵」と見なしてグリーンピースを運営した事実を考えると、これはたいそう皮肉なことである。
 グリーンピースの神話を生み出したもの -- それは、精製工場の煙突にしがみついたり、捕鯨船の銛の行く手に自分の身を投げ出したりする、命知らずの若者たちの姿である。このイメージは人々に強烈な印象を与えた。例えばグリーンピースの米国支部に次いで世界第2位の規模を誇るドイツ支部は、昨年3,600万ドルの収入をあげ、70万人の会員をかかえているが、そのうちの32万人は、毎年自分の銀行口座から50ドイツマルク(30米ドル)が自動的に引き落とされてグリーンピースの資金になるような手続きをしているのである。
 ところが最近のグリーンピースの内情は必ずしもピースフル(平和的)ではない。神話の端にほつれが見えるようになった。今春以来ドイツの複数の雑誌が、何百万マルクもの寄付金が環境破壊と戦うために使われる代わりに、そのままグリーンピースの貯金口座になだれ込んでいるという暴露記事を掲載したのである。
 1991年9月2日、アムステルダム所在のグリーンピース国際本部が、過去12年間会長を務めたデイビッド・マクタガートの辞任を発表し、グリーンピースは大きな組織替えを行うことになった。後任に選ばれたのは、ヘルシンキの市民権関係の弁護士マッティ・ウオリ(Matti Wuori)(46歳)である。名誉会長となったマクタガートは、今後はソ連が自国内の環境を浄化する手助けなどに時間を当てたいと語った。控えめに言っても、このタイミングは興味深い。ウオリが、今や幾分よごれの目立つグリーンピースのイメージを清めるための「ミスター・クリーン」として迎え入れられたと思わせるふしがあるからだ。
 聖人に近い存在として多くの人に崇拝されるこの神秘がかったデイビッド・マクタガートとは、そもそも何者なのか?マクタガートの巧妙なイメージ操作は、彼自身の伝記から始まっている。 1989年発行の著書「The Greenpeace Story」の中で語られ、その後グリーンピースをテーマとする多くの新聞や雑誌の記事の中でも何度も繰り返された「公式」の伝記がある。それによると、不動産会社の重役として成功を遂げていたマクタガートは、39歳で光明を見出し、地球を救おうと決心した。
 ところが、この話は作り物である。グリーンピース以前の彼の生活を知る人々によれば、彼は不動産ブローカーとして失敗している。しかも自分のプロジェクトが失敗する前に、投資家や親戚を見殺しにして逃亡しているのである。マクタガートの3番目の妻の母親で、彼のせいで金銭上の被害を被った何人かの一人であるガートルード・ヒューバティーの記憶では、彼は冷酷なビジネスマンであった。「デイビッドはあるとき、私にこう言いました。 自分が何かを本当に欲しいと思ったときには、それを手に入れるためには、どんな事でもする覚悟が必要だと」。彼女は回想する「どんな事でも、と言ったのですよ」。
 彼が心から欲しいと願ったもの -- それはグリーンピースの指導者の立場であった。 1979年にグリーンピースの名前の使用をめぐって、バンクーバーの作戦本部と、それと遠い系列姉妹関係を持つ米国所在のライバル支部とのあいだに、激しい紛争が起こった。その頃にはマクタガートはグリーンピースのヨーロッパの作戦本部で活躍しており、フランスの核実験を阻止しようと自ら行動し、フランスのスパイの袋叩きにあった事で一躍有名になっていた。バンクーバーの作戦本部の設立者たちは、グリーンピースという名前の管理権を獲得する目的で訴訟を起こした。多くの人々に言わせると、これはデイビッド・マクタガートとグリーンピースの共同設立者兼会長のパトリック・ムーアとの間の公然の争いであった。ムーアはカナダ陣営の支持を得たが、米国とヨーロッパの各支部は明らかにマクタガートに加勢した。 1980年には、マクタガートはグリーンピース・インターナショナルの会長として姿を現した。ムーアはグリーンピースのカナダ支部長の地位に留まった。
 グリーンピース神話にお金と忠誠心とを捧げた何百万もの人々は、もちろんこの共倒れ敵な内輪もめについてほとんど何も知らされなかった。ここにパラドックスが潜んでいる。グリーンピースのような団体は、大企業を、主体性に欠け誰に対しても無責任であるといって攻撃する。だが実際にはこうした罪状は、政府の規制を受け、巡察の対象となり、重税を課せられ、敵対心を持つ新聞に報道され、自分自身の株主によっても厳重な監視を受けている現代の企業よりはむしろ、グリーンピースにこそ当てはまる。グリーンピースのような団体には、説明や履行の義務がほとんど課せられていない。マスコミはこの種の組織を、腫れ物に触るように扱う。グリーンピースを問い詰めれば、マクタガートの年収が6万ドルだったと答えるだろうが、年収以外のいかなる形式での報酬に関しても、口を閉ざすであろう。ところが、米国の企業の場合には、このような報酬についても、代理兼委任声明書の中で明示する義務がある。
 米国グリーンピースやドイツ・グリーンピースのような支部には、独自の理事会があるが、実権と資金の大部分は、グリーンピース・インターナショナルが握っている。この機関をマクタガートは、辞任するまでの期間、イタリアのぺルギアにある自分のオリーブ農園もしくはローマ所在のグリーンピースの事務所から指令を出して支配していた。
 アムステルダムの国際本部は大きな勢力を持っている。なぜならば、ここには稼ぎ頭である12の国別機関から吸い上げられた資金が集められるからである。これらの国別機関には、グリーンピースという名前を使用するための一種の特許権使用料を支払う義務がある。この特許権使用料は、調達された基金の純手取り額の24%と定められている。各国の事務所は、国際審議会の承認なしにはキャンペーンを開始できない仕組みになっているので、中枢部の権力はさらに強化される。
 グリーンピースはこの権力をどのように行使したであろうか?「無情に、そして冷酷に」使ったのである。ここでは「目的のためには手段を選ばず」ともいうべき心理が働いている。グリーンピースは1986年にフロリダ大学に圧力をかけて、海洋生物学者のランバートセンを免職させた。ランバートセンの罪状は、鯨類の体中器官の組織の標本を必要とする研究を行った事である。この種の研究は科学的に有効でないとグリーンピースは決めつけていた。グリーンピースはさらに、ランバートセンが商業捕鯨者たちの引き立て役に過ぎないとの馬鹿げたことまで主張した。現在ウッズ・ホール海洋研究所に在職しているランバートセンは、自分の研究が鯨類の病気を判定するためのものであったと語る。彼の話では、グリーンピースのとった戦略の中には、抗議デモの参加者をトラックで大学構内へ送り込み、フットボールの試合の最中に「フロリダ大学よ!鯨を殺すことをやめよ!」と書かれた横断幕を広げさせるものまであった。
 ゾディアック社のゴム製救命いかだに乗り込んだグリーンピースのスタッフが、発射される捕鯨用の銛から身をかわす様子をマスコミが熱心に記録している間に、マクタガートは国際捕鯨委員会を抱き込む手助けをしていた。
 国際捕鯨委員会は1946年に、鯨の乱獲の防止を目的とする条約の締結により、捕鯨国間で結成された。最も大きな影響を受けた国は日本、アイスランド、ソ連およびノルウェーであったが、同委員会は、約2万ないし3万ドルの年会費と会議に自国の代表者を派遣する費用とを支払さえすれば、いかなる国も自由に加盟する事ができた。グリーンピースの海洋哺乳動物のコンサルタントを以前務めていたフランシスコ・パラシオによれば、彼とマクタガートは、捕鯨を直ちにに禁止しなければならないというグリーンピースの見解を、国際捕鯨委員会に押し付ける方法を、仲間と協力して考案した。
 この鯨の救済者たちが目をつけたのは、貧しい国やアンチグア、セント・ルシアといった最近独立した小国であった。彼らは米国国務省に提出するための、加盟に必要な書類を作成した。そして国際捕鯨委員会にこれらの国々の代表として出席する科学者およびコミッショナーとして、自分たち自身もしくは自分たちの仲間を任命した。例えばマイアミ在住でコロンビア国籍を持つパラシオは、自分がセント・ルシアのコミッショナーに選ばれるよう画策した。アンチグアのコミッショナーには、同じくマイアミ在住でパラシオの友人である弁護士のリチャード・バロンがなった。マクタガートの友人で当時バハマ諸島のナッソーに住んでいたモロッコ生まれのフランス国籍離脱者のポール・ゴーアンは、パナマのコミッショナーを務めた。グリーンピースの息のかかったコミッショナーたちは、国際捕鯨委員会に出席する事により、毎年、全経費をグリーンピースが負担する10日間の旅行と、1日当り300ドルの日当という役得を享受していたとパラシオは語る。さらにパラシオの話では、ある国連大使が、こうした計画に協力するよう自国の政府を説得する目的で帰国した際に、グリーンピースがその航空運賃を支払ったということである。
 パラシオの語るところによれば、グリーンピースはこの計画により、1978年から1982年にかけて、商業捕鯨のモラトリアム(一時停止)とために必要な4分の3という絶対多数票の獲得を目的に、少なくとも6カ国の新規加盟を成功させ、そのおかげで1982年にモラトリアム案が通過した。
 この計画には、協力的な加盟者に代わって支払われた加盟料金を含めると、莫大な金額が費やされたとパラシオは指摘する。「加盟国の年会費だけでも(一年で)約15万ドルに達した。 それに加えて我々は年間を通じてありとあらゆる賄賂のための支出をした」とパラシオは続ける。当時30代だったフランス人のゴーアンは、海洋生物資源研究所(Sea Life Resources Institute)とよばれるマイアミに本拠を置く「財団」を通じて資金をかき集める守護神であった。ゴーアンはどこからそのような資金を手に入れたのだろうか?貿易への投資からだと彼は答えている。
 グリーンピースのキャンペーンは、「鯨を救おう!」運動に似て、オープンで自然発生的にさえ見える事がある。しかし実際には入念に計画されたものである。キャンペーンはまず、組織化された調査員たちが、政府の役人、トラックの運転手、グリーンピースの環境汚染反対運動の標的になっている企業に勤めながらもグリーンピースに同調する社員などから情報を集める事により始まる。内情に明るいある人物の話では、情報の収集にはチューリッヒにある秘密の基地まで関わっているとの事だが、この点をマッティ・ウオリは否定している。いずれにしても、次の事だけははっきりしている。すなわち、グリーンピースは自らの連絡網によって自警団に変身したのである。自警団というのは、環境破壊防止法が施行されるよう常に警戒を怠らず、政府の施行者たちのやり方がなまぬるいと判断した場合には、自らが裁判官と陪審員の役目まで果たすという意味である。この事実が一般には理解されていない事は、驚くにはあたらない。グリーンピースに同調する某新聞は、いつも彼らの味方をしてきた。
 グリーンピースの資金集めに最大の貢献をしたのは、グリーンピースも全く予期していなかったある悲劇的な出来事であった。 1985年にフランス政府の職員たちが、グリーンピースの核実験妨害行為を阻止しようとして、ニュージーランドのオークランドでグリーンピースの船「レインボー・ウォリアー号」を爆破した。その時船に乗り合わせていたカメラマンのフェルナンド・ペレイラが死亡した。この事件をきっかけに、グリーンピースは一挙に殉教者と見なされるようになったのである。
 グリーンピースは待っていましたといわんばかりに、衆目を集めたこの事件を利用した。 1985年から1987年にかけてグリーンピースの米国支部の収入は3倍にはね上がり、2,500万ドルに達した。
 しかしこの殉教にも、ペレイラがテロリストの味方であったとの申し立てによって幾分影がさした。ドイツのある諜報機関員の証言では、テロリスト集団「6月2日運動」が政治的な隠れみのとして使う表向きの人物の「連絡相手」として、そして更に西ヨーロッパにおける反核・ミサイル抗議運動の計画におけるソ連のKGBとの連絡相手として、ペレイラの名前が挙がっているファイルがドイツおよびオランダの諜報機関に保存されている。
 グリーンピースはこの主張に反論して、テロリストとの関係を匂わせるこの話は、オークランドで起こった厄介な事件をごまかそうとするフランスのスパイ活動防衛組織によって仕組まれた捏造であると語った。
 この事件の真相は永久に解明されないかも知れない。しかしグリーンピースはこの悲劇を通して莫大な宣伝効果を達成し、他方の警察の主張はマスコミにほとんど無視された。自分に都合の悪い情報が流れると、グリーンピースはしばしば告訴という手段をとる。昨年中にもグリーンピースは、自分たちの気に入らない記事を書いたドイツの3つの雑誌を告訴している。他人に対しては思う存分非難しておきながら、グリーンピースは、他人にも自分を非難する権利がある事に気づいていないようである。
 アイスランドのレイキャビクに本拠を置く独立映画製作者のマグナス・グドムンドソンが1989年に手がけたドキュメンタリー映画「Survival in the High North」(「極北での生存」)は、極北の猟で暮らしを立てている人々と環境保護者たちとの葛藤を描いている。映画では、グリーンピースと動物生存権論者の集団によるアザラシの毛皮のヨーロッパへの輸入禁止キャンペーンが成功を収めた後に、アザラシ狩り産業が壊滅的打撃をこうむったアイスランド、グリーンランドおよびフェロー諸島の狩猟民族たちとの間に福祉制度への依存度が高まり、自殺率が上がった悲惨な状況が写し出されている。
 グドムンドソンの映画は、記者として賞を受けた事もあるデンマークのジャーナリスト、リーフ・ブレーデル(Leif Blaedel)が1986年に行ったある指摘を再検証している。それは、グリーンピースが使用したあるプロパガンダ用の映像が、金で雇って人に動物を虐待させて捏造したものであるという指摘であった。ブレーデルは「Goodby Joey」(「グッドバイ・ジョーイ」)という映画の中の陰惨な場面に言及しているが、この映像はその製作者により捏造されたものであると、オーストラリアのディランバンディの裁判所はすでに記録している。ブレーデルの報告によれば、これらの陰惨な場面は、その後この映画のためにカンガルーを虐待したかどで罰金を科せられた、金で雇われたカンガルー猟師たちによって計画的に実演された。裁判所の記録を読むと、閲覧希望者の要請に応じてグリーンピースのデンマーク支部がこの映画を貸し出した事が判明している最後の年よりも3年前の1983年に、この映画が偽者である事が衆知の事実になっていた事がわかる。ちなみにこの最後の閲覧希望者は、ブレーデル自身であった。グリーンピースのマスコミ担当理事のペーター・ディクストラ(Peter Dykstra)は、グリーンピースは1983年にこの映画の「真偽の問題点」を発見し、それ以来配給を停止していると説明する。
 グリーンピースは、アイスランド、英国およびノルウェーの裁判所で、差し止め命令あるいは損害に対する請求権もしくはその両方を主張して、グドムンドソンの口を塞ごうとした。グドムンドソンは今までに訴訟費用として約4万ドルを支払っている。
 仮にグリーンピースの目的が、このような手段をも正当化するとしても、これらの高まいな目的とは一体何であろうか?これに正確に答えるのは不可能であるが、それが企業と自由市場に対する憎悪である事は明白である。グリーンピース米国支部の専務理事のピーター・バハウス(Peter Bahouth)は、1990年4月に「In These Times]紙の記者に次のように語っている。「私はマーケット・アプローチなるものを信用しない・・・。 それは、結局は毒物や公害を商品として扱う事につながる。 企業が利益を最重要項目と見なしているかぎり、彼らが環境に配慮する事を期待しても無駄である。」
 ドイツの環境保護コンサルタントであるヨーゼフ・ヒューベル(Joseph Huber)は、グリーンピースのドイツ支部に好戦的要素がある事を指摘し、情報通である部外者としての見解を以下のようにまとめた。「グリーンピースのメンバーたちは、自分たちが何を求めているかを判っていない。しかし大企業主義と資本主義による地球の深刻な破壊に対して強く抗議する必要は感じている。マルクス主義的要素に、新しいタイプのロマンチシズムと無政府主義とが混じり合っているのだ。」
 環境保護主義そのものの中には、それがうまく機能するためには国家統制主義や反市場主義を実践しなければならないという必然性はない。例えばモンタナ州ボーズマンに本拠を置く政治経済研究所(Political Economy Research Center)は、環境問題を土地所有権の側面から解決する方法を是認している。また、主流派である「環境保全基金」(Environmental Defense Fund)でさえも、売買可能な環境破壊の認可に賛成している。ところがグリーンピースは、-- 少なくともウオリが会長となる以前のグリーンピースは -- 自由市場とは全く関わりを持ちたくないという態度であった。グリーンピースの見解では、環境破壊は代償ではなく犯罪であり、たとえそれが産業全体の閉鎖を意味する場合でも、単に課税の対象になるのではなく、禁止されるべきなのである。
 ロバート・ハンター(Robert Hunter)はグリンピースの共同設立者の一人であり、一部の人々にとっては、その精神的指導者であった。彼は現在ではトロントを本拠に環境保護をテーマとした映画を製作している。 1979年に彼は「Warriors of the Rainbow」(虹の戦士たち)と題されたグリーンピースの年代記を書いている。この本には、次のような記述がある。「(グリーンピースが)体現した社会的意識の形成には、マキャベリズムと神秘主義とが同様に重要な役割を果たした。それはある時には宗教的情熱を、また別の時には凶暴性と紙一重の冷酷さを具体的に表現した・・・。堕落と偉大さの両者がそれぞれの役目を果たし、それぞれに代償を支払う事になった。」
 冷酷さと宗教が混じり合うと、爆発の恐れがある。両者が絶対論者的な確実性をもって結合した場合には、なおさらである。グリーンピースは様々な研究に助成金を与えているが、毒性物や核廃棄物の浄化に関する研究には資金を出そうとしない。なぜだろうか?グリーンピースは、自分たちの使命は、汚染を清掃するよりはむしろ汚染を防止する事にあると主張する。そこでこうした廃棄物の安全な処理方法が発見されれば、廃棄物を作り出す工業過程そのものを排除するというグリーンピースの目標が弱体化されかねない。
 グリーンピースの米国支部は、最近米国の木材産業の経済学に関する報告書を作成するよう森林学の権威であるランダル・オトウール(Randal O'Toole)に依頼した。オトウールは、米国森林事業団(U.S. Forest Service)に対する政府の補助金を廃止して、レクリエーション費を利用者から徴収する事を同団体に許可すれば、樹木の過剰な伐採の可能性は少なくなるだろうとの結論を下した。オトウールの話では、グリーンピースはこの報告書の勧告内容がグリーンピースの名義で出版される事を許可しなかった。「どうやらグリーンピースのお偉方の誰かが、私の結論が気に入らなかったようだ。」と彼は語る。
 グリーンピースは自分たちの資金集めに使用する文書の中で、マハトマ・ガンジーの非暴力主義や「任務を遂行する証人」というクエーカー教徒の考え方に対して、繰り返し賛意を示している。だがガンジーは、たとえ正当な目的のためでも邪悪な手段は正当化されないという強い信念を持っていた。したがってグリーンピースがガンジーの理想に忠実であるという主張は、まゆつばものである。
 その一例としてあげられるのが、「Earth First](アース・ファースト)に対するグリーンピースの支援である。このエコロジカル・テロリスト集団のやり口には、ガンジーはゾッとしたはずである。ところがその共同創立者の一人であるマイケル・ロゼール(Michael Roselle)は今やグリーンピースから給料を受け取る身である。このグループは、樹木に大釘を打ち込む事で知られているが、これによって製材所の従業員が怪我をする恐れがある。(「アース・ファースト」は今では樹木に大釘を打ち込む事を「思いとどまらせる」努力をしているとロゼルは述べている)。 1990年に自動車に仕掛けられた爆弾が破裂して、その事故で怪我をした「アース・ファースト」の会員二人が逮捕された際には、グリーンピースは環境保護団体の同盟を結成し、保釈金や私的な調査の費用の支払いを助けた。今でも「アース・ファースト」の会員であるロゼルは、この二人の団員は反環境保護主義者たちにより殺人未遂という無実の罪をきせられた被害者であるという説を曲げない。この事件について、結局は告訴は一切行われなかった。
 善良さを強く暗示するグリーンピースの優しいイメージと名前が、資本主義に対する嫌悪を隠すための保護色である事は明白であるように思われる。グリーンピースの国際理事会のメンバーであるスーザン・ジョージ(Susan George)と軍事関係の専門家のウイリアム・アトキン(William Atkin)が、かの悪名高い左翼団体であるInstitute for Policy Studies(政策研究協会)でかつて働いていた事は、いまさら驚きではない。
 その発言の多くから判断すると、グリーンピースは絶滅に瀕する種の救済という目的に忠実な機関というよりはむしろ、グリーンピースの会員たちが希望する方法で世界を動かしている「独裁主義」の提唱者である。この事は「グリーンピース」誌の1990年3月・4月号の論説で明白にされている。この論説は、東欧の統制経済を西側の「残酷な資本主義」に匹敵するものとして捉えている。社会主義によって生ずる環境の荒廃は無視して、この論説は「純粋にエコロジカルな観点から言えば、これらの2つの競合関係にあるイデオロギーは、ほとんど区別がつかない」と結論付けている。こうした無謀な記述は、近年自由化された東欧諸国においては(グリーンピースがこの地域に最近2つの支部を開設したにもかかわらず)是認されないだろうが、甘やかされてきた西側においては、信奉者を見つけているようだ。
 グリーンピースの新しい会長は、この反資本主義的な感情に歯止めをかけて、グリーンピースを環境保護運動の主流派と合流させる事ができるだろうか?マティ・ウオリは前任者に比べて穏健である自分の見解を、グリーンピースの中に吹き込む覚悟はできているようである。彼はまた、内部調査部門の設置も計画している。だがウオリはグリーンピースの悪い面を抑制すればするほど、グリーンピース神話の核をなしてきた好戦的であるというイメージを損なう危険を冒すのである。


---The Environmental Movement and Minke Whaling---
- Heidi Sorensen -
http://www.highnorth.no/library/movements/General/th-en-mo.htm
Source: the High North publication, "11 Essays on Whales and Man", second edition, 26 Sept. 1994. The author, Heidi Sorensen, is today the leader of Naturvernforbundet (the Norwegian Conservation Society), the largest environmental organisation in Norway.At the time this article was published, however, she was leader of the Norwegian environmental organisation Nature and Youth. Both these organisations are affiliated to the Friends of the Earth.

The Environmental Movement and Minke Whaling
- Heidi Sorensen -

Nature and Youth's view of whaling and sealing is one based on principles. Since 1983 we have represented the following position: "We support the sustainable harvest of marine mammals along the coast".

The minke whale is a resource that can be harvested sustainably. Norway may catch whales as long as the stock can sustain such a harvest. The North-East Atlantic minke whale stock consists of 86,700 whales. (Click here for update on estimate.) The minke whale is not an endangered species and therefore we consider a limited harvest acceptable.

There should not be anything extraordinary about an environmental organisation adopting such a position. A slightly baffled journalist from the BBC once asked me the following question about whaling: "You represent an environmental organisation that supports whaling. I thought the environmentalists loved the whale?"

Yes, we love the minke whale in the same way as we love the reindeer, the cow we keep in the barn, the pig, the roe deer and the elk. These are all animals that are not threatened with extinction and that we hunt or slaughter. The fact that we hunt certain animals does not mean that they are inferior to those we do not hunt. We love the elk just as much as we love the golden eagle.

History
In 1982 the International Whaling Commission passed a five year moratorium (complete ban) on all whaling, which came into effect in 1986. Nature and Youth supported the resolution. The reason for this was the lack of knowledge on the size of the minke whale stock. The scientist's calculations were based on the whaler's own figures from the hunt. If the whalers spent only a short length of time catching the whales, this indicated a positive development and vice versa. Such calculations involved a high degree of uncertainty.

The safety-first principle involves allowing Nature the benefit of the doubt. There was therefore no question of us supporting whaling before it was possible to document the fact that the minke whale stock could sustain a harvest. Nature and Youth therefore denounced the Norwegian government's decision to lodge a reservation against the moratorium in 1982. Nevertheless, we supported the government's resolution to stop whaling from 1987. Nature and Youth supported the scientific programme aimed at obtaining the facts about the size and fertility of the minke whale. Supporting the scientific whaling was also a matter of course.

We now have a far better scientific basis for assessing the stock and fertility of the North Atlantic minke whale. The stock is estimated at consisting of about 86,700 whales. We can say with a 95% degree of certainty tha tthe stock consists of somewhere between 61,000 and 117,000 whales. These are figures that the Scientific Committee of the International Whaling Commission (IWC) agreed upon in 1992. It was therefore not difficult for Nature and Youth to support the government's decision to resume commercial minkewhaling from 1993.

Sustainable Use vs Protection
Nature and Youth's position conflicts with the "European idea of conservation", and represents a breach between those elements within the environmental movement that give total protection higher priority than sustainable use. Our aim is life in harmony with Nature, not the protection of the symbolic value of species that are not threatened with extinction.

The Western environmental movement has withdrawn the whale from the context of its ecosystem saying that it is so intelligent, has such great symbolic value, and is so sacred that it must under no circumstances be shot. As far as the whaling issue is concerned, ecology and the interaction between human beings and Nature seem to have disappeared from the scene.

We do not have such views by chance. The eco-philosopher Sigmund Kvaloy Saetereng has attempted to define what is characteristic of the Norwegian environmental movement: "It is a question of the conservation of Man in Nature." Here, he is referring to the struggle to protect local communities, and to a movement that has understood the relationship between Nature and culture. If you deny a people its culture, Nature and the environment will also suffer.

Animal Welfare
The protection of minke whales is a matter of animal welfare and animal welfare can be a matter of conservation. The critics of minke whaling maintain that the kill takes such a long time, and that the minke whale is thereby subjected to an unnecessary high degree of suffering. In 1981 the International Whaling Commission passed a resolution banning the use of the cold harpoon, and Norway unfortunately lodged a reservation against this.

Today, the exploding harpoon and stronger lines have improved hunting methods, and figures from the scientific hunt carried out during the summer of 1992 are heartening. 50% of the whales shot died instantly. Altogether, only 10% of the minke whales caught lived for over 10 minutes after being shot.

Irrespective of new hunting technology, killing such a large mammal will always pose problems, this is true of both the slaughtering of bulls and the hunting of elks. Compared to the elk hunt, minke whaling is not that bad. In the elk hunt, 10-30% of the animals that are hit are only wounded, and in those cases it normally takes about an hour before the hunter manages to find the animal and kill it. Like elk hunters, all whalers must pass a marksman's test before the hunt begins.

In previous times hunting methods were far from so humane. The minke whale's Norwegian name "vagehval" comes from the way the whales swam after herring shoals following them into the inlets ("vag" i n Norwegian). The fishermen would then block the inlet with their nets and kill the whales with spears. This took a long time and could be extremely perilous.

It is wrong to subject animals to great suffering. And in this respect it is important to consider the entire lifespan of the animal in question. Animal welfare circles have exaggerated the importance of the actual moment of death. While the whaling debate was raging on in the summer of 1992, I visited "The Royal Agricultural Show" in Coventry, England. To a farm girl from the county of Trondelag, it was a tough experience which put the whaling debate in a new perspective. From an animal welfare point of view, I do not have a moment of doubt I would much rather be a North Atlantic minke whale than an English battery chicken or meat-producing bull.

The Super Whale
The Western environmental organisations have spun the myth of the Super Whale. Social anthropologist Arne Kalland of the Danish Institute of Asian Studies has analyzed how the characteristics from various different types of whale have been used to create a picture of a Super Whale that does not exist. He writes: "We are told that the whale is the world's largest mammal (the blue whale), that the whale has the biggest brain (sperm whale), that the whale has a big brain in relation to its body weight (bottlenose dolphin), that the whale sings pleasant, varied songs (humpback whale), that the whales have kindergartens and look after each other's offspring (dolphins), and that the whale is endangered (blue whale and right whale)."

All of these characteristics are attributed to the Super Whale, but such a whale does not exist. It is a mythical being. The Super Whale emerges as almost human, and sometimes even surpasses human beings. The whale is just as intelligent, it thinks like us, dreams like us and it has strong family ties. As Greenpeace Denmark's leader writes: "It is the human of the seas."

When we claim equality between human beings and whales, killing whales becomes murder, and the whalers become murderers. A trade that people have been carrying out for centuries is branded unethical. This has nothing to do with environmentalism or ecology.

While the whalers are depicted as murderers, the opponents of whaling characterise themselves as agents of what is good. "We urge for peace not pain, for caring and love not cutting down and killing, for good not evil, "wrote the leader of the International Fund for Animal Welfare on their fundraising Christmas cards.

In October last year, Greenpeace Austria placed a large obituary in the major newspapers saying "It is with great sorrow that we announce that our friend and brother MINKE WHALE, has passed away after being brutally murdered. Instead of wreaths and flowers, please send money to the environmental organisation Greenpeace's Whale Rights Campaign".

This is neither animal welfare nor environmentalism. It has nothing whatsoever to do with an overall concept of ecology. Nature and Youth is interested in the preservation of harmony between species in a natural context, and in protecting endangered species. We are not interested in removing a species from the context of its ecosystem in order to say that it is sacred, that it has great symbol ic value and that it is so intelligent that it must under no circumstances be shot.

Symbols and Ethnic Hunting
The Norwegian social anthropologist Hylland Eriksen thinks that the Norwegian government has behaved in a ridiculous manner regarding the whaling issue. He says that we must respect other people's symbols and emotions, and that the Norwegians are the world champions in moral condemnation and self-idolisation. We demand that poor Malaysians shall refrain from cutting down the rain forest, while we ourselves go whaling, which we could quite easily manage without.

Of course Norway can manage without whaling, so why make such a lot of noise about so little money? This is turning the issue upside down. Why shouldn't we catch whales as long as the species is not endangered? Is the whale such an important urban totem animal that we should abandon an old tradition? It would be tempting to ask the social anthropologist if we should refrain f rom eating beef because the cow is a sacred animal in India.

The American authorities and the Western environmental movement claim that whaling is unethical. Even so, the aboriginal people's whaling in Greenland is condoned. What kind of an opinion do they have of Inuit culture when they say that whaling is unethical, yet allow ethnic whaling because it is a part of their culture? To civilized countries like us it is unethical to catch whales, but these aboriginal people can kill a whale or two if they can prove that it is important in helping them obtain enough food.

International Environmentalism
The IWC meeting in the spring of 1992 did not permit the resumption of minke whaling. This provided the environmental movement with the following dilemma: "Would Norway lose international credibility if the decision to resume whaling in 1993 was maintained? Is it right to oppose an agreement on the environment, when the environmental arguments are on your side?"

Nature and Youth believe that we need an International Whaling Commission. But when the Whaling Commission moves towards being a commission for total protection instead of a management commission, it is undermining international environmentalism.

We must be much more on the alert in years to come. Is everything that calls itself "international" and "environmentalist" really beneficial to Nature and the environment ? It is important to ensure that the scientific and environmental arguments and the safety-first principle really are present. But we must also examine what we are protecting and for whom. International environmentalism must not become a way of depriving people of democratic control over their resources.

The Whaling Debate - a Diversion
The whaling debate is a diversion both nationally and internationally. In Norway, the government is trying to gain support in North Norway after the unpopular decision made regarding the agreement on the European Economic Area and Norway's application for EU membership. The whaling issue is being used to manoeuvre attention away from the government's decision. It has now become a question of external threats. For the time being, the government has not gained much ground in North Norway as a result of the whaling decision.

The whaling issue is also a diversion as regards the really critical environmental issues. While the media are full to the brim with the Norwegian whale war, Norsk Hydro and Statoil are drilling for oil in the Barents Sea, despite all the environmental and scientific recommendations to the contrary. The Barents Sea is a vulnerable ecosystem where even small oil spills can cause great damage.

Even though climatic issues, acid rain and toxic waste are scientifically documented hazards and represent a far greater threat to the environment than Norwegian whaling, these are not as marketable as the whale war. The whale war constitutes no danger to the major spoilers of the environment, but it does constitute a threat to local communities in Norway.

Environmentalism therefore loses all proportion when Greenpeace gives the British Minister of Agriculture, John Gummer a green stamp because he says no to whaling. The same Minister of Agriculture who represents one of the most environmentally antagonistic agricultural policies in Europe, and who represents a government that takes a back seat on the question of a reduction of CO2 discharges and the limitation of acid rain is concerned. When this happens, the whaling issue provides the rich, major polluters with a cheap way of buying a green alibi. And the worst thing about it is, that a no to whaling is not costing Britain a penny.

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