2008年7月13日日曜日

陸自サマワ 着弾による死亡数名か

サマワに宿営した陸自に22発の着弾があった。
統幕資料によると、宿営地に4発落下、宿営地外周から1km以内に14発が落下。
10月31日の攻撃は、宿営地西側に置かれた荷物用コンテナを貫通。
陸自は砲弾を通さないコンクリート宿舎をつくり上げた。
攻撃は、予想以上の危機的状況で、部隊は防御を固める一方、積極的に地元と
交流することで友好関係を築いた。攻撃を未然に防ぐ保険になったとのこと。

4回連続で宿営地に着弾した時も含めると自殺者を除く陸自の死者は7名。
公表されている事故を除くと、数名は着弾による死亡となる。
詳細が公表されないので想像でしかない。
どちらにしても、ブッシュのポチだった小泉はイラクでも犠牲者を出している。


---陸自への攻撃 13回22発着弾 イラク・サマワ派遣 詳細判明---
2008年7月13日 07時10分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008071390071055.html?ref=rank

 陸上自衛隊初の戦地派遣となったイラクのサマワ宿営地で十三回受けた迫撃弾・ロケット弾攻撃の詳細が、本紙が入手した統合幕僚監部(統幕)の資料から判明した。着弾は二十二発あり、宿営地に四発落下したほか、宿営地外周から一キロ以内に十四発が落下していた。サマワの部隊が出国して十六日で二年。政府がいう「非戦闘地域」の高い危険性が浮き彫りになった。
 宿営地に初めて落下したのは、二〇〇四年十月二十二日。それを含めて四回連続で命中した。いずれも発射が簡単なロケット弾で、武器の扱いに慣れた犯人像が浮かぶ。
 同年十月三十一日の攻撃は、宿営地西側に置かれた荷物用コンテナを貫通した。当時、隊員の宿舎はテント。防御強化を訴える声が上がり、陸上自衛隊は一年以上かけて砲弾を通さない要塞(ようさい)のようなコンクリート宿舎をつくり上げた。
 発射地点はいずれも宿営地北方の住宅地付近。犯人は発射直後に闇に紛れて逃げ、狙いは不明のままだ。前統合幕僚長の先崎(まっさき)一防衛省顧問は「集中した攻撃はなく、自衛隊撤収が狙いとは思えない。宿営地での雇用から漏れた部族による不満の表れの可能性が高い」と分析する。
 統幕幹部は「日本は政府開発援助でイラク十三カ所に病院を建設した。自衛隊に過大な期待が広がったが、やれることは限られ、復興支援への不満が爆発したのだと思う」。
 十三回二十二発の攻撃は、予想以上の危機的状況だった。部隊は防御を固める一方、積極的に地元と交流することで友好関係を築こうとした。外務省所管の草の根無償資金協力によるミニ開発も行われ、攻撃を未然に防ぐ保険になった。
 先崎氏は「情報が決定的に不足していた。米軍から危険情報の提供を受けたが自衛隊に確認する手段がない。地元で雇った通訳が情報収集もしたが、不十分だった」という。
 この教訓から海外活動を担当するため昨年三月に発足した中央即応集団には情報部がつくられた。合法な“スパイ活動”も視野に入れているという。(東京新聞)

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