2009年12月30日水曜日

核密約 元次官ら認識

核密約を元次官らが認識していたようだ。
 外務省の日米密約に関する有識者委員会(座長・北岡伸一東大大学院
教授、6人)による聞き取り調査に対し、複数の同省事務次官経験者らが
「核搭載米艦船の寄港などを認めた密約の存在を認識していた」と証言
した。

核密約について、有識者委は報告書で「密約はあった」と結論づける
ようだ。
報道された佐藤栄作の密約文書を外務省は、「私文書にあたる」として
扱い、省の見解は、いまだに「核密約はない」とするようだ。
「ない」とする真意は不明だが、外務省への忠誠心とすると「ない」と
言うことで、見返りがあると想像してしまう。


---核持ち込み密約:複数元次官ら「認識」 有識者委の調査に回答---
毎日新聞 2009年12月30日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091230ddm002010022000c.html

 外務省の日米密約に関する有識者委員会(座長・北岡伸一東大大学院教授、6人)による聞き取り調査に対し、複数の同省事務次官経験者らが「核搭載米艦船の寄港などを認めた密約の存在を認識していた」と証言していたことが29日、分かった。核密約については、関連文書が外務省内に保管されていたことが明らかになっている。文書を扱った当事者らが密約の存在を認めたことで、有識者委は来年1月下旬にもまとめる報告書で「密約はあった」と結論づける見通しとなった。
 今年6月、村田良平元事務次官が前任次官から密約の引き継ぎを受けたことを毎日新聞などに明らかにしているが、今回の調査では、より詳細な文書の管理実態などが裏付けられたとみられる。有識者委は、検証を深める手がかりになるとして証言を重視している。
 調査に応じたのは、次官経験者ら4人で、村田氏は含まれていない。密約の解釈や交渉経過、背景などをまとめた関連文書の有無や保管状況を証言したという。日本の政権交代に加え、冷戦終結など、密約を結んだ当時と時代背景が異なることから、「密約はない」としていた従来の外務省の公式見解を覆しても、今後の日米関係に与える影響は小さいと判断したとみられる。
 また有識者委は、69年11月に当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した、沖縄への核再持ち込みを認める密約について、文書を保管していた次男の佐藤信二元通産相に調査協力を要請する。
 岡田克也外相は29日の記者会見で、信二氏が外務省OBに、保管していた文書を同省の外交史料館などに預ける相談をした際、OBが「私文書にあたる」と指摘していたことについて、「外務省関係者の『(文書が後に)出てきては困る』という反応だ」と述べた。【中澤雄大】


---朝鮮半島有事密約も文書で確認 外務省有識者委---
2009年12月29日 15時32分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009122901000243.html

 安全保障に絡む日米間の4密約に関する外務省有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)は29日までに、従来の省内調査では確証が得られずにいた朝鮮半島有事の際の核持ち込み容認をはじめ3密約の存在を関連文書発見などにより確認した。
 残る沖縄返還時の原状回復費肩代わりに関する密約については、旧大蔵省関係者へも対象を拡大し聞き取り調査する方針。検証作業は来年1月中の報告書作成を目指し急ピッチで進んでいる。
 有識者委は11月27日の初会合以降、外務省チームによる調査報告書の精査と同時に密約の存在を認めた元幹部らからの聞き取りを実施。この過程で朝鮮半島有事の際に米軍が事前協議を経ずに在日米軍基地を使用できるとの密約について、根拠となる当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使の会談議事録を確認した。
 米軍の核兵器搭載艦船の領海通過や寄港を日米安保条約の事前協議の対象外とする密約は、外務省チームが見つけた草案とみられる文書を、有識者委も密約の存在を示す証拠と断定した。米側で公開されている安保条約改定時の藤山、マッカーサー両氏間の「秘密議事録」と同様の内容。両氏の署名はなかった。(共同)


---核搭載空母 長期停泊も認める密約 米ミッドウェー 事前協議の対象外---
2009年12月28日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009122802000073.html

 米海軍が一九七三年に空母ミッドウェーを神奈川県の横須賀基地に配備するに当たり、核兵器を搭載した状態での入港・停泊を日米安全保障条約の事前協議の対象外とする「密約」を日米両政府が結んでいたことが二十七日、分かった。外務省の内部調査で、そうした事実を示した文書が見つかった。複数の関係者が明らかにした。
 六〇年の日米安保条約改定の際、米軍の装備などに変更がある場合は事前協議を行うと定めたが、核搭載艦船の寄港・通過は対象にしないとした密約の存在が、同省の調査で既に確認されている。ミッドウェーの横須賀配備に先立つ七二年、大平正芳外相(当時)とジョンソン米国務次官(同)との会談などで、六〇年の密約の有効性を再確認し、「寄港」にとどまらず母港化に伴う長期の「停泊」の場合にも適用することで合意した。
 四五年に就役したミッドウェーは、ベトナム戦争の作戦に加わった後、七三年十月に横須賀基地に配備された。後継艦インディペンデンスと交代した九一年まで同基地を母港とした。
 日本側が核搭載空母の横須賀配備を黙認する「密約」を結んだのは、首都圏に位置する同基地への核持ち込みが表面化して、混乱が起きることへの懸念もあったとみられる。
 岡田克也外相の要請に基づき、密約の検証作業を進めている有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)も、ミッドウェー配備をめぐる日米間のやりとりに大きな関心を寄せており、関連文書を検証の対象とする考えだ。
◆外交文書 『30年で公開』徹底へ
 岡田克也外相は二十七日、情報公開を促進する観点から、作成後三十年を経た外交文書を原則公開するとした制度について、抜本的に見直す方針を固めた。運用を厳しく監視する第三者委員会の設置や明確な開示基準の策定を通じ「原則三十年公開」を徹底させる。日米間の「核密約」解明を契機に、実際に公開するかどうかを全面的に外務官僚の裁量に委ねてきた在り方に問題があると判断した。
 核密約を精査している有識者委員会による来年一月の提言を受け、具体的な検討に着手する。
 米政府の公開文書で核密約の存在が判明しながら日本では非公開のため、国会で問題化した経緯を教訓に、海外で明らかにされた案件の関連文書は日本でも原則公開するよう検討。外務省の幹部や担当課が密約文書を抱え込んでいた実態を重視し、文書の保存・廃棄の必要性を審査する専門職員の育成も課題とする。
 現在の文書公開は、外務省の外交記録審査室が判断し、官房長や各局長で構成する外交記録公開審査委員会で承認する。外交記録審査室は三十年基準を満たした文書について、OBを含む十数人で案件ごとのファイルを審査しているが、週一人当たり五、六冊が限度で人手不足という。


---核密約「当初は認識せず」 外務省、報告書に見解---
2009年12月27日3時9分
http://www.asahi.com/politics/update/1226/TKY200912260420.html

 外務省が日米密約の調査報告書の中で、1960年の核持ち込み密約について、日本政府が当初、「密約」の根拠とされた合意の意味を認識していなかったとの見解を示していることが26日、わかった。調査では米政府から密約の説明を受ける63年までの文書で、合意を問題視したものが見つからなかったという。
 この密約をめぐっては、63年3月に池田勇人首相(当時)が「核弾頭を持った船は、日本に寄港はしてもらわない」と密約に反する国会答弁をし、米政府を驚かせた。これを受け、ライシャワー駐日米大使が同年4月に大平正芳外相(いずれも当時)に会って密約の説明をしたことが米公文書でわかっており、日米間の解釈の食い違いがこれまでも指摘されていた。
 関係者によると、外務省は、この大平・ライシャワー会談まで、60年の合意により核搭載艦船の寄港を認めたことになると日本政府が認識していなかった、と結論づけている。調査では会談当日の記録は見つからなかったが、会談の存在を裏付けるその後の関連文書は見つかっているという。
 ただ、外務省の調査では、60年当時の交渉で中心的役割を果たした東郷文彦元北米局長が68年1月に密約の解釈を米側から聞かされ、自らの不明を恥じた自筆メモなども見つかっている。63年の大平・ライシャワー会談以降も、密約としての認識が政府内で広がらなかった可能性がある。
 密約をめぐっては、岡田克也外相が外務省に調査を命令。同省は11月20日に調査結果を岡田氏に報告し、これを受けて有識者委員会が検証に着手した。外務省の調査報告は、有識者委員会の検証結果とともに発表される。岡田氏は外務省調査で事実関係を洗い出し、歴史的評価は有識者委員会に委ねる方針を示していたが、外務省自身も検証に先立って一定の見解を出していたことになる。
 有識者委員からは外務省の見解に「認識していなかったはずはない」「(文書の記述から)推察する方向が違う」との異論も出ている。(鶴岡正寛、倉重奈苗)

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