2010年3月9日火曜日

核契約は紙切れ

核契約は紙切れだったようだ。
 ジョージ・パッカード氏が、米軍が1966年の少なくとも3カ月間、岩国
基地沿岸で核兵器を保管していたと証言した。同氏によると、核兵器を
搭載した艦船を「ほぼ恒常的な形で」配備し、核攻撃に備え、
「(一時的な)通過とは言えなかった」という。

核持ち込みは、懸念していたとおりになった。
岩国基地に隣接する係留施設に留め置かれていた揚陸艦に核兵器を保管
していたとのこと。
米国防省からみれば、植民地の日本との契約は紙切れだったようだ。

異なった見方をすると、核密約で騒ぐことで、中国や北朝鮮へ「核の傘」
を具体的に見せることになる。安価な「核の傘」であるが、周辺国は、
脅威をどうみるのだろう。

核密約証言テープ 寄港持ちこみにあたらず
核密約文書 やっぱり破棄
核密約 元次官ら認識


---核持ち込み:パッカード氏発言(要旨)---
毎日新聞 2010年3月7日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/world/news/20100307ddm007010197000c.html

 ライシャワー元駐日米大使の特別補佐官だったジョージ・パッカード氏の発言要旨は次の通り。
◆岩国核配備
 米海兵隊は核兵器を搭載した戦車揚陸艦をほぼ恒久的な形で岩国基地に隣接する施設に係留していた。それは「通過」とは言えなかった。ライシャワー大使は日米間の取り決めで許容されるものではないと即座に判断した。岩国基地には飛行場があり、数時間で艦船から航空機に核兵器を移動させることができた。核兵器は特定の目的のためのものではなかった。発覚は偶然だった。岩国の核兵器について国務省当局者が知らないことを認識していなかった国防総省幹部が言及して、その話がライシャワー大使に伝えられた。大使は激怒した。
◆「密約」問題
 日米安保に反対する声が強かった時代に、核艦船の通過容認などの取り決めが明らかにされれば大問題になっただろう。当時の岸信介首相が退陣に追い込まれたかもしれない。日本を守るうえでは核が必要で、核搭載艦船が通過することもあるというのが米国の姿勢で、日本政府は許可する判断をした。日本国民はこの話を十分、耳にしたと思う。密約を認めたところで、大騒ぎになることはないだろう。
◆日米関係
 国防総省が全体の音頭を取るようにしてはいけない。国防総省は安全保障という一部を担当しているだけだ。ライシャワー大使は米軍幹部に同席して日本外務省と交渉する際、自分が外務省のドアを開けることにこだわった。「対日政策は文民が権限を持っている」ということを示すためだった。普天間飛行場の移設問題でオバマ政権は、鳩山政権にもっと検討する時間を与えるべきだった。旧政権時代の日米合意を押し付けるような外交は、よい外交とはいえない。【ワシントン古本陽荘】


---元駐日米大使補佐官:「岩国で核保管」66年に3カ月以上---
2010年3月7日 2時36分 更新:3月7日 2時36分
http://mainichi.jp/select/today/news/20100307k0000m010096000c.html

 【ワシントン古本陽荘】ライシャワー元駐日米大使の特別補佐官だったジョージ・パッカード氏が、毎日新聞の取材に、米軍が1966年の少なくとも3カ月間、岩国基地(山口県)沿岸で核兵器を保管していたと証言した。同氏によると、核兵器を搭載した艦船を「ほぼ恒常的な形で」配備し、核攻撃に備え、「(一時的な)通過とは言えなかった」という。
 パッカード氏は先に米外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」で、当時米軍が沖縄から本州へ核兵器を秘密裏に持ち込んだことを明らかにしていた。
 同氏によると、核兵器は、海兵隊の戦車揚陸艦内で保管され、揚陸艦は岩国基地に隣接する係留施設に留め置かれていた。核兵器は有事の際、数時間以内に同基地飛行場の航空機に搭載され、攻撃に向かう可能性があったという。
 国防総省の当時の首脳らもこの事実を把握。ワシントンで行われた会議の際、国務省の担当者がいる前で国防総省幹部が、岩国の核兵器に言及したことから偶然、発覚した。
 60年の日米安保条約改定の際、米軍が核兵器を日本に持ち込む際には、日米両国の事前協議の対象にするとされた。さらに、核兵器を搭載した米軍航空機や艦船の寄港や通過については、事前協議の対象とはしない「密約」があったことが判明している。核兵器の常時に近い形での配備は、これらに明確に反するものだった。
 パッカード氏は「岩国の核兵器は許容される『通過』には当たらないとライシャワー大使は即座に判断し、激怒した」と証言。辞任して暴露する可能性に言及して、米軍に撤去を求めたという。
 さらに、米軍の意図については「日本では誰も気が付かないという判断の下、秘密裏に配備された」と分析し、「ライシャワー大使の姿勢は米軍に対し、日米の取り決めを順守するよう求める警告になった」と強調した。
◇ジョージ・パッカード氏
 1932年生まれ。63~65年にライシャワー駐日米大使の特別補佐官を務める。ニューズウィーク誌記者、ジョンズ・ホプキンス大高等国際問題研究大学院長などを経て、98年から米日財団理事長。近著に「ライシャワーの昭和史」。


---米に無利子預金口座、6千万ドル 沖縄密約で財務省調査---
2010年3月5日 13時22分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010030501000327.html

 沖縄返還に伴う日米両政府の密約に絡み、日本政府が米連邦準備銀行の口座に約6千万ドルを無利子で預金したことを示す記録が存在していることが5日、財務省の調査などで分かった。週明けにも正式に発表する。
 密約では、米国が支払うべきだった沖縄の原状回復費を日本が肩代わりするため日本側が外貨を無利子預金し、運用益の1億1200万ドルを米側に提供したとされる。
 菅直人副総理兼財務相は5日午前の記者会見で、運用益を事実上、米国に供与していたとの見方について「(文書など)根拠となるものが今のところない。財務省単独では判断できない」と明言を避けた。預金の存在は、米国側からの通知で明らかになったという。
 1972年に本土復帰した沖縄の返還交渉をめぐっては、「秘密覚書」で日本側が米軍施設移転費用など2億ドルを負担、通貨交換後に少なくとも6千万ドルを米連邦準備銀行に無利子預金することを取り決めたとされる。
 覚書自体は米国側の公文書として確認されているが、これまで日本側では見つかっていない。
(共同)


---沖縄核密約、合意関与の若泉氏が極秘文書残す---
2010年3月3日3時16分
http://www.asahi.com/politics/update/0303/TKY201003020511.html

 沖縄返還交渉の際、当時の佐藤栄作首相の「密使」として、有事の際の沖縄への核兵器再持ち込みを容認する日米の秘密合意(密約)に関与した故・若泉敬氏=元京都産業大教授=が残した資料の中に、外務省の公電など複数の極秘文書が残されていたことがわかった。「核抜き」返還を定めた日米首脳の共同声明文案も含まれており、秘密交渉のさなかに政府中枢から受け取ったとみられる。若泉氏は生前、「密約」だけでなく共同声明の作成協議にも水面下で関与したことを告白していた。文書はその証言の信用性を裏付けるとみられる。
 明らかになった文書は現物やコピー百数十枚。1994年に刊行された若泉氏の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋)の編集者だった東眞史(あずま・まふみ)さん(67)が保管していた。
 佐藤首相と当時のニクソン米大統領は69年11月に首脳会談を開き、現地時間の同月21日に沖縄返還に合意する共同声明を発表した。資料の中には、交渉段階の同年8~10月に日本政府が作成した声明案文のコピーが含まれ、「極秘 無期限」の印判があった。連番が「1号」と記されたものもあり、佐藤首相に渡されたものと見られる。
 若泉氏は同書の中で、首相から共同声明について秘密裏の協議を頼まれ、手書きの声明案3案を渡されたと記述。これを基に作成・英訳した5案を相手方のキッシンジャー米大統領補佐官に示し、首脳会談では中間的な案で合意に至るように段取りを打ち合わせたと記していた。資料には若泉氏がキッシンジャー氏との交渉の際に提示した英訳の5草案もあり、著書の説明と遺品の資料は符合する。
 また、沖縄返還交渉の「ヤマ場」といわれた69年9月の愛知外相とロジャーズ国務長官の会談の際、在米日本大使館から外務省に送られた複数の極秘公電も保管されていた。現地時間同月12日の会談内容を伝える公電は、「特秘 大至急」とある。日本側の提案に対し、国務長官が「わらいながらエルサレムの将来とオキナワの核兵器は自分としていつも回避する話題であると発言」したと記し、手の内を見せない米側との交渉の厳しさを伝える内容になっていた。
 佐藤首相とニクソン大統領は首脳会談の際、共同声明とは別に、有事の際に沖縄へ核兵器を再び持ち込むことを容認する秘密の合意議事録を交わしているが、その合意議事録の草案も含まれていた。
 東さんによると、文書は若泉氏が執筆の資料に使い、その後に東さんが事実関係の確認や校正に使うため預かっていたという。「若泉氏には『廃棄してもいい。扱いは任せる』と言われた。『密約』に対する評価は様々だが、その証しとして明らかにした」と話している。(川端俊一)

 〈共同声明と秘密合意〉 共同声明の第8項は、沖縄返還を「事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく」「日本政府の政策に背馳(はいち)しないよう実施する」と規定。沖縄に配備されていた核を日本復帰時に撤去する方針を示す一方、有事の際には核を再び沖縄に持ち込める道を残したとみられている。
 一方、合意議事録は、有事の際に米国から事前協議があれば日本は核再持ち込みを容認する内容となっている。

■「共同声明」の核兵器取り扱いに関する条項の手書き案文(若泉氏の資料から)
(第一案)
 総理大臣は、核兵器に対する日本国民の特殊な感情及びこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し、大統領は、深い理解を示し、沖縄の核兵器は返還までには撤去される旨を確約した。
(第二案)
 ………………これに対し、大統領は、深い理解を示し、沖縄の返還に当たっては、日米安保条約の事前協議制度に関するその立場を害することなく、右の日本政府の政策に背馳しないよう処置する旨を確約した。
(第三案)
 ………………これに対し、大統領は、深い理解を示すとともに、米国政府の右に関する政策を述べ、米国政府としては、日米安保条約の事前協議制度に関するその立場を害することなく、かつ、日本政府の政策に背馳することなきよう沖縄の返還をはかることを確約した。

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