2010年7月13日火曜日

外務省 30年ルール開始

外務省は30年ルールを開始した。

1960年 日米安保条約の改定交渉当初
岸信介首相が
「朝鮮、台湾の巻き添えになるのは困る」
と難色を示し、在日米軍基地からの補給についても
「無条件で使っていることは問題だ」
と懸念を表明していた。

1968年 佐藤栄作首相が非核三原則を表明した翌年、
外務省の情報分析部局が
「三原則を守って核攻撃を受けない保証はゼロだ」
と指摘、抑止力確保の観点からは日本国土への核持ち込み容認が「有効」
とする内部文書を作成
 返還後の在沖縄米軍基地の在り方について
「自由使用(核の持ち込みをも含めて)を前提として考えざるを得ない」
と記載していた。

外務省資料の報道をみると、昔マスメディアは、それでも正確な報道を
していたようにみる。
なぜ、現在のような状態に変わってしまったのだろうか。

密約 今や有効ではない

---外交文書公開:岸首相、安保交渉で懸念 「朝鮮、台湾の巻き添え困る」---
毎日新聞 2010年7月8日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100708ddm002010047000c.html

 1960年の日米安全保障条約の改定交渉当初、米側が示した安保条約の地理的な適用範囲について、当時の岸信介首相が「朝鮮、台湾の巻き添えになるのは困る」と難色を示し、在日米軍基地からの補給についても「無条件で使っていることは問題だ」と懸念を表明していたことが7日、外務省が公表した外交文書で明らかになった。安保条約の適用範囲拡大には、旧社会党など革新勢力が「米国の戦争に巻き込まれる」と反対していたが、改定交渉を推進した岸氏も「巻き込まれ論」を警戒していたことがうかがえる。
 米側が58年10月に示した草案では、安保条約の適用範囲を「太平洋地域」と広範囲に記していた。公開文書によると、58年10月18日に外務省の山田久就事務次官が安保改定に関する省内協議を岸氏に説明した際、岸氏は「沖縄、小笠原、米と共に渦中に投ぜられることは覚悟しなければならない」としながらも、朝鮮、台湾での有事に触れ、米国主導の戦争に日本が巻き込まれることに懸念を示している。
 その後の日米交渉により、安保条約の適用範囲として第6条に「極東」条項が盛り込まれた。日本政府は極東の範囲について、「フィリピン以北で台湾、韓国を含む日本周辺地域」と定義している。
 また、7日公開された文書では、沖縄返還を巡る交渉で「核抜き」に言及した当時の三木武夫外相に対し、ジョンソン駐日米大使が強く反対していたことも明らかになった。68年5月に開かれた会合に関する文書には、三木外相が沖縄に配備されていた核兵器撤去の可能性をただしたのに対し、大使が朝鮮半島や中国の脅威を念頭に「沖縄に核兵器がなくなれば共産側に行動の自由を与える」と激しく応酬したことが記されている。【中澤雄大】
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■解説
◇「30年ルール」初適用 参院選前アピール
 外務省は7日、これまで非公開としてきた1960年の日米安全保障条約改定と72年の沖縄返還交渉に関する外交文書のうち、計37冊、約8100ページ分について東京・麻布台の同省外交史料館で一般公開を始めた。作成後30年経過した外交文書は原則公開するとした、新規則の適用第1号だ。
 新規則は5月に制定された。背景には昨年の政権交代以降、情報公開を積極的に進めてきた岡田克也外相の強いこだわりがある。参院選前に新規則の下での公開を実現し、情報公開への取り組み姿勢をアピールする狙いもある。岡田氏は6日の記者会見で「一定期間を経過した行政文書は国民共有の知的資源だ」と指摘した。
 従来、外交文書は「外交活動に影響を与える」などの理由で非公開となるケースがしばしばあった。これに対し、新規則は「非公開部分は真に限定し、文書の歴史的意義は文書自体に語らしむ」ことを基本的考え方としている。非公開とするのは、有識者と省幹部でつくる外交記録公開推進委員会が公開で適否を審査し、外相が了承したものだけ。同省は推進委を3カ月に1度開催し、30年経過した文書約2万2000冊を順次公開する。
 ただ今回岡田氏は、推進委が公開対象とした38冊のうち1冊の公開を「関係省庁と調整中」として見送った。しかし調整のめどはついておらず、同様の事態が頻発すれば「外相の恣意(しい)的判断だ」との批判を浴びかねない。【上野央絵】


---岸首相、改定安保の適用拡大に懸念…外交文書---
2010年7月8日00時00分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100707-OYT1T01201.htm?from=navlp

 外務省が7日に公開した1960年の日米安全保障条約改定に関する外交文書で、外務省が条約の適用範囲を「極東及び太平洋」に拡大する改定案を示し、当時の岸首相が懸念を表明したために却下されていたことが明らかになった。
 公開されたのは、安保改定を前に日本政府内で行った協議を記録した58年10月18日付の文書。それによると、外務省の事務方は「締約国は、極東及び太平洋における平和及び安全の維持に共通の利益を有することを認める」と改定条約の草案を示した。外務省は米国の意向も受け、旧安保条約からの適用範囲拡大を提案したとみられる。
 岸首相はこれに対し、「日本としては、米国と共に渦中に投ぜられることは覚悟しなければならないが、韓国、台湾の巻き添えになることは困る」と懸念を示した。安保改定に対する国内の激しい反対闘争を考慮し、「米国の戦争に巻き込まれる」との批判をかわす狙いがあったようだ。
 この結果、改定安保条約の対象範囲は最終的に第6条で「極東」と規定された。現在の政府見解では、極東は「フィリピン以北と日本、その周辺地域」と定義され、韓国と台湾も含まれると解釈されている。
 日本側は59年4月に条約の草案を改めて作成。「条約は、憲法上の規定に反する義務を課するものと解してはならない」と盛り込むよう米側に求めていたことも判明した。米側は難色を示したとみられ、現在の条約にこの記述はない。
 また、68年5月の日米協議では、沖縄で行われる琉球政府の主席公選をめぐり、当時の三木外相がジョンソン駐日米大使に「野党が勝てば、沖縄に関する日米協力にも支障がある」と述べ、支援を要請していたことが判明。大使は「同感だが、米政府が正面に立てば逆効果もあり、米側は裏面から沖縄自民党に協力するべきだ」と述べるにとどめた。
◆旧安保条約=サンフランシスコ講和条約と同じ1951年9月8日に調印、52年4月28日に発効。第1条で条約適用範囲を「極東」としていた。米軍が日本の内乱を鎮圧できるなどと定められる一方、米国の日本防衛の義務が明記されないなど、不平等な色合いが濃かった。


---外務省「三原則で核攻撃防げず」 抑止力確保に持ち込みを---
2010年7月7日 19時49分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010070701000754.html

 佐藤栄作首相が非核三原則を表明した翌年の1968年、外務省の情報分析部局が「三原則を守って核攻撃を受けない保証はゼロだ」と指摘、抑止力確保の観点からは日本国土への核持ち込み容認が「有効」とする内部文書を作成していたことが、7日公開の外交文書で明らかになった。文書はまた、返還後の在沖縄米軍基地の在り方について「自由使用(核の持ち込みをも含めて)を前提として考えざるを得ない」と記載していた。
 被爆体験を踏まえ、その後「国是」となる非核三原則をめぐり、表明直後から外務省内に異論があったことを示す内容。沖縄への核搬入についても容認論があった実態を浮き彫りにしている。核艦船寄港を認める核密約などを通じその後、三原則を空洞化させていく日本政府の「核抑止信仰」の根深さが読み取れる。
 文書は68年5月23日付で国際資料部調査課(現在の国際情報統括官組織)が作成した「わが国の安全保障について」。外務省が7日午前、一般公開した60年の日米安全保障条約改定と72年の沖縄返還に関するファイル計37冊の一部。公開は、作成後30年が経過した文書の原則自動公開を定めた新制度で初の取り組み。
(共同)

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