2010年12月26日日曜日

閣下の資質

駐露日本大使が更迭された。
 菅政権は、河野雅治駐露大使を退任させ、後任に原田親仁駐チェコ大使
を起用する方向で検討に入った。早ければ来年1月にも発令する見通し。
河野氏は11月のメドベージェフ・露大統領の北方領土訪問の際の対応が
疑問視されており、事実上の更迭と見られる。

河野雅治
・外務省総合外交政策局長、経済担当外務審議官等を務め、露大使就任。
・メドベージェフ大統領が北方領土を訪問した際、外務省は直前まで
 「この時期の訪問はない」との判断を官邸に伝えていた。
・「私はあまりロシアに詳しくないので……」

大使の資質が問われた有名な話は、湾岸戦争を黙認したApril Glaspie
米大使だろう。
「私たちは、クウェートとイラク間の国境問題での不一致のような
アラブ対アラブの対立に如何なる介入をする気もない。」
と発言したことで、湾岸戦争開戦(イラクのクウェート侵攻)との報道も
ある。

この言葉には、いくつかの問題がある。
大使の資質の問題はもちろんだが、
「米軍事力が与える影響への想像力欠如」と
「領土権の主張の争いには関与しない」だ。

尖閣諸島中国侵攻の際の日米安保適用を表明したが、外交方針として
「領土権の主張の争いには関与しない」方針は変更しておらず、
日本の尖閣諸島の主権を「明示」していないし、安保適用に対しても
「適用対象と解釈され得る」としている。

駐中日本大使も資質を問われる公務が報道される。
河野雅治は、ロンドン大使館総領事を2年もしていたのに、露を詳しく
知らないと言う。専門職ではなく、閣下と言うことらしい。
「閣下と呼ばれる程の馬鹿でなし」を自覚して公務を遂行して欲しいと思う。

米報道官 日米大使は不要説
日中尖閣デモ
外交 鴨は日本


---大使更迭 ロシアメディア「菅政権の失態、責任転嫁」---
2010年12月25日14時26分
http://www.asahi.com/international/update/1225/TKY201012250140.html

 【モスクワ=副島英樹】河野雅治・駐ロシア大使が更迭されるとの報道が、ロシアで波紋を広げている。メドベージェフ大統領が11月に北方領土・国後島を訪問したことを巡り、事前の情報収集が不十分だったためとされるが、ロシアメディアは「菅政権が自らの失態の責任を大使に負わせた」などと伝えている。
 24日付の独立新聞は「東京は大使を『上役の代わりに罪を着せられる人』にした」との見出しで報じた。「下っ端の罪にする」ということわざに引っかけたものだ。
 同紙は、大使を代えても日本政府が「領土要求を声高に唱える」姿勢のままでは、対ロ外交を巡る失態は続くと指摘。政権は支持率アップのために領土問題を利用しているとし、前原誠司外相の「不法占拠」発言や空からの北方領土視察をその例に挙げた。
 大使更迭の問題は、24日に生放送された3主要テレビ局トップとメドベージェフ大統領との対談番組「今年の総括」でも取り上げられ、大統領は「極めて残念」と戸惑いを見せた。
 一方、ロシア外務省のサゾノフ情報局次長は23日の定例記者会見で、「日本の内政問題だ。大使の任免権は奪えない」とだけコメント。省内では「それも大使の運命」との同情の声が聞かれた。
 今回は、大統領の国後訪問の情報が首相官邸に上がらなかったとして問題視されている。しかし、大使館側は「直前には『行く』との情報を本省に伝えた」と主張、モスクワと東京の言い分が食い違う異例の事態になっている。


---みんな・渡辺代表「ホチキス予算で官僚主導だ」「河野駐露大使更迭はトカゲのしっぽ切り」---
2010.12.24 18:43
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101224/stt1012241845012-n1.htm

 みんなの党の渡辺喜美代表は24日、11月のメドベージェフ露大統領の国後島訪問にいたるまでの情報収集に問題があったとされる河野雅治駐ロシア大使の更迭方針について「トカゲのしっぽ切りだ」と指摘。そのうえで「日露のみならず日中、日米関係もパイプがずたずたになっているのは政権の責任だ。日本の生存にかかわる外交・安全保障で国家経営ができていない民主党政権は、一日も早い退陣が必要だ」と語った。
 平成23年度予算案や税制改正案については「自民党時代と同じ族議員跋扈(ばっこ)、各省横並びのホチキス予算だ。民主党政権の覚悟のなさ、戦略のなさ、官僚主導が遺憾なく発揮されている」と批判した。
 インターネットに流出した国際テロ捜査関連文書について警視庁が内部文書と認めたことについては「人権侵害が起こって1カ月以上がたつ。ふざけた話だ。岡崎トミ子国家公安委員長は問責に値する」と強調した。
 国会内で記者団に語った。


---駐露大使更迭:私はロシアに詳しくない…首相、怒り爆発---
毎日新聞 2010年12月24日 2時30分(最終更新 12月24日 8時46分)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101224k0000m010106000c.html

 関係者の証言をまとめると、政府が河野雅治駐ロシア大使(62)を事実上更迭する背景には、在ロシア大使館側から発信された情報を信じ、ロシアに対して事前に北方領土訪問の中止を求めるなどメッセージを発信できなかった官邸側の強い不信感があるようだ。
 メドベージェフ大統領が9月下旬に北方領土を「近く訪問する」と明言、10月下旬に訪問の観測記事が頻繁に流されて以降も、外務省は首相官邸に「訪問はない」と報告し続けた。菅直人首相は、周辺に「本当に行かないのか」と繰り返し確認したが、返ってきたのは「大使館からの情報では『訪問はない』ということです」との答えばかりだった。
 だが、大統領は11月1日、北方領土・国後島への訪問に踏み切った。一時帰国を命じられ、同月3日午前に帰国した河野大使は、同日夕、外務省の佐々江賢一郎事務次官、小寺次郎欧州局長らとともに首相公邸に呼び出された。菅首相や仙谷由人官房長官が事情聴取を始めた。
 「なぜだ。なぜ訪問しないと判断したのだ」。官邸側から問いただされ、河野大使は「ロシア外務省からそういう報告を受けていましたから」と答えた。これに菅首相はカチンときた。「そんなことは聞いていない。誰が言ったかじゃなく、どうしてそう思ったんだ」
 口ごもる河野大使を見て、仙谷長官が助け舟を出した。「大統領はプーチン首相との関係など、いろいろあるのじゃないのか。そのあたりの判断は」。だが、河野大使の口は重くなる一方だった。
 「要するにどういうことだ」。いら立つ首相ら。最後に、河野大使はこう口走ってしまった。「私はあまりロシアに詳しくないので……」。次の瞬間、首相らの怒りが爆発した。
 後任と目される原田親仁(ちかひと)駐チェコ大使(59)は河野氏と違いロシアンスクール(ロシア専門家グループ)。だが、北方領土交渉の見通しが厳しい状況は変わらない。前原誠司外相は早ければ2月にもロシアを訪問、ラブロフ外相と会談し、対ロシア外交の立て直しの糸口を探る。外務省幹部は「まず北方領土訪問以前の状態に戻すところから始めるしかない」と言葉少なだ。【犬飼直幸】


---駐ロシア大使更迭へ 北方領土対応で情報収集不十分---
2010年12月23日4時3分
http://www.asahi.com/politics/update/1222/TKY201012220491.html

 菅政権は22日、河野雅治駐ロシア大使を退任させ、後任に原田親仁駐チェコ大使を起用する方向で検討に入った。早ければ来年1月にも発令する見通し。河野氏は11月のメドベージェフ・ロシア大統領の北方領土訪問の際の対応が疑問視されており、事実上の更迭と見られる。菅政権の対ロ外交の立て直しに向けた動きの一環だ。
 11月1日に、ロシアの最高指導者として初めてメドベージェフ大統領が北方領土を訪問した際、外務省は直前まで「この時期の訪問はない」との判断を官邸に伝えていた。このため、菅直人首相や仙谷由人官房長官らは訪問直前まで「具体的に計画があるかどうかは承知していない」(10月29日の仙谷氏の記者会見)などとして、誤った見通しを繰り返す結果になった。それだけに、政権の受けた衝撃は大きかった。
 大統領の訪問後、菅首相は河野氏を一時帰国させて事情を聴き、「情報収集などをもっとしっかりするように」と指示。北方領土問題の進展に向けた体制づくりに入る考えを示していた。
 河野氏は同省総合外交政策局長、経済担当の外務審議官などを務め、2009年2月にロシア大使に就いた。就任2年未満での交代となる。菅政権として、ロシアの情報収集や情勢判断の態勢が全体として不十分だったことを認め、責任者の駐ロシア大使を交代させることで、一定のけじめをつける狙いがあるとみられる。
 次期大使への起用が検討されている原田氏は、ロシア課長、欧州局長を歴任。対ロ外交の経験が長く、テコ入れの意味があると見られる。今後、情報収集能力の強化をはかるとともに、北方領土問題に本腰を入れて取り組む姿勢を内外に示す考えだ。
 前原誠司外相は早ければ2月にもロシアを訪問し、ラブロフ外相と会談。対ロ外交の立て直しの糸口を探る。


---丹羽駐中国大使、中国全土31市・省・自治区行脚へ 「草の根交流めざす」---
2010.12.21 20:34
http://sankei.jp.msn.com/world/china/101221/chn1012212039004-n1.htm

 【南京=河崎真澄】中国江蘇省南京市を訪問中の丹羽宇一郎・駐中国大使は21日、記者団に、同省を皮切りに、チベット自治区なども含む中国全土の31直轄市・省・自治区を訪れる意向を明らかにした。
 丹羽氏は、日本政府が対中経済協力の一環として教員など、青年海外協力隊員約100人を中国全土に派遣している点に触れ「日本人に会ったこともないという中国の地方の人々に日本をもっと知ってもらうため、草の根の交流や経済協力を拡大したい。可能なら来年中にも(31自治体)すべてを回りたい」と強い意欲をみせた。
 さらに「日中は隣国として互いに仲良くするしか道はない」とも述べた。初の民間出身の駐中国大使として、日中双方の利害が一致しやすい経済関係の拡充を柱に、“丹羽外交路線”を示したといえる。
 また丹羽氏は同日会談した季建業・南京市長が日本の戦争責任問題について触れた際、「重大な戦争責任を感じる」と発言する一方で、「21世紀の日中関係には未来志向が必要だ」と述べた。
 丹羽氏はまた、地元の外国語高校を訪れ学生らと意見交換したほか、日本のODAで建設した「日中友好柔道場」などを視察した。


---[噂]河野雅治---
http://spysee.jp/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E9%9B%85%E6%B2%BB/1887078/#lead

昭和47年8月外務公務員採用Ⅰ種試験合格
昭和48年東大法卒
昭和48年外務省入
1948年生まれ。
1973年に東京大学法学部を卒業と同時に外務省入省。
1989年1月18日にアジア局南東アジア第一課長、
その後、内閣官房で加藤・河野・竹村3氏の国務大臣秘書官
1994年に北米局北米第一課長に就任。
1996年に在ロンドン日本大使館総領事
1998年に在アメリカ合衆国日本国大使館公使
2001年に在ロサンゼルス日本総領事館総領事
2003年に中東アフリカ局アフリカ審議官
2005年に総合外交政策局長
2007年1月から外務審議官。
現在に至る。


---[噂]April Glaspie---
Updated live from Wikipedia, last check: December 23, 2010 09:27 UTC (48 seconds ago)
http://www.thefullwiki.org/April_Glaspie

April Catherine Glaspie (born April 26, 1942) is an American diplomat, best-known for her role in the events leading up to the Persian Gulf War of 1991.

Early life and career

Glaspie was born in Vancouver, British Columbia, and graduated from Mills College in Oakland, California in 1963, and from Johns Hopkins University's Paul H. Nitze School of Advanced International Studies in 1965.

In 1966 Glaspie entered the United States foreign service, where she became an expert on the Middle East. After postings in Kuwait, Syria, and Egypt, Glaspie was appointed ambassador to Iraq in 1989. She was the first woman to be appointed an American ambassador to an Arab country. She had a reputation as a respected Arabist, and her instructions were to broaden cultural and commercial contacts with the Iraqi regime.

Subsequently, Glaspie was posted to the U.S. Mission to the United Nations in New York. She was later posted to South Africa as Consul general in Cape Town. She held this post until her retirement in 2002.

United States Ambassador to Iraq
Meetings with Saddam Hussein

Glaspie's appointment as U.S. ambassador to Iraq followed a period from 1980 to 1988 during which the United States had given covert support to Iraq during its war with Iran. Although the full extent of U.S. assistance to Iraq during the period remains unknown, it was purportedly substantial; the Soviet Union and France also supplied aid to Iraq.[1]

It was in this context that Glaspie had her first meeting with Iraqi President Saddam Hussein and his Deputy Prime Minister, Tariq Aziz, on July 25, 1990. At least two transcripts of the meeting have been published. The State Department has not confirmed the accuracy of these transcripts, but Glaspie's cable has been released at the Bush Library and placed online by the Margaret Thatcher Foundation.

One version of the transcript has Glaspie saying:
“ We can see that you have deployed massive numbers of troops in the south. Normally that would be none of our business, but when this happens in the context of your threats against Kuwait, then it would be reasonable for us to be concerned. For this reason, I have received an instruction to ask you, in the spirit of friendship - not confrontation - regarding your intentions: Why are your troops massed so very close to Kuwait's borders? ”

Later the transcript has Glaspie saying: "We have no opinion on your Arab-Arab conflicts, such as your dispute with Kuwait. Secretary Baker has directed me to emphasize the instruction, first given to Iraq in the 1960s, that the Kuwait issue is not associated with America."

Another version of the transcript (the one published in The New York Times on 23 September 1990) has Glaspie saying:
“ But we have no opinion on the Arab-Arab conflicts, like your border disagreement with Kuwait. I was in the American Embassy in Kuwait during the late '60s. The instruction we had during this period was that we should express no opinion on this issue and that the issue is not associated with America. James Baker has directed our official spokesmen to emphasize this instruction. We hope you can solve this problem using any suitable methods via Klibi (Chedli Klibi, Secretary General of the Arab League) or via President Mubarak. All that we hope is that these issues are solved quickly. ”

When these purported transcripts were made public, Glaspie was accused of having given tacit approval for the Iraqi invasion of Kuwait, which took place on August 2, 1990. It was argued that Glaspie's statements that "We have no opinion on your Arab-Arab conflicts" and that "the Kuwait issue is not associated with America" were interpreted by Saddam as giving free rein to handle his disputes with Kuwait as he saw fit. It was also argued that Saddam would not have invaded Kuwait had he been given an explicit warning that such an invasion would be met with force by the United States.[2][3] Journalist Edward Mortimer wrote in the New York Review of Books in November 1990:
“ It seems far more likely that Saddam Hussein went ahead with the invasion because he believed the US would not react with anything more than verbal condemnation. That was an inference he could well have drawn from his meeting with US Ambassador April Glaspie on July 25, and from statements by State Department officials in Washington at the same time publicly disavowing any US security commitments to Kuwait but also from the success of both the Reagan and the Bush administrations in heading off attempts by the US Senate to impose sanctions on Iraq for previous breaches of international law. ”

In September 1990, a pair of British journalists confronted Glaspie with the transcript of her meeting with Saddam Hussein, to which she replied that "Obviously, I didn't think, and nobody else did, that the Iraqis were going to take all of Kuwait.".[4]

In April 1991 Glaspie testified before the Senate Foreign Relations Committee. She said that at the July 25 meeting she had "repeatedly warned Iraqi President Saddam Hussein against using force to settle his dispute with Kuwait." She also said that Saddam had lied to her by denying he would invade Kuwait. Asked to explain how Saddam could have interpreted her comments as implying U.S. approval for the invasion of Kuwait, she replied: "We foolishly did not realize he [Saddam] was stupid." In July 1991 State Department spokesperson Richard Boucher said at a press briefing:
“ We have faith in Ambassador Glaspie's reporting. She sent us cables on her meetings based on notes that were made after the meeting. She also provided five hours or more of testimony in front of the Committee about the series of meetings that she had, including this meeting with Saddam Hussein. ”

The cables that Glaspie sent from Iraq about her meeting with Saddam are no longer classified.[4] Glaspie's cable on her meeting with Saddam reports that President George H.W. Bush "had instructed her to broaden and deepen our relations with Iraq." Saddam, in turn, offered "warm greetings" to Bush and was "surely sincere" about not wanting war, the cable said.[5]

Glaspie herself for years remained silent on the subject of her actions in Iraq. But in March 2008 she gave an interview to the Lebanese newspaper Dar Al-Hayat.[6] In the interview, she said she has no regrets. "It is over," Glaspie said. "Nobody wants to take the blame. I am quite happy to take the blame. Perhaps I was not able to make Saddam Hussein believe that we would do what we said we would do, but in all honesty, I don't think anybody in the world could have persuaded him."

In the interview, Glaspie recalled that her meeting with Saddam was interrupted when the Iraqi president received a phone call from Egyptian President Hosni Mubarak. Saddam told her he had assured Mubarak that he would try to settle the dispute, she said. Her cable backs up this version of events; the Iraqi transcript, prepared by Saddam's official English language translator, Sadoun al-Zubaydi, records Saddam saying that Mubarak called before he met with Glaspie.

Retrospective views

In 2002, the Washington Report on Middle East Affairs published a new account of the Glaspie-Saddam meeting by Andrew Kilgore, a former U.S. ambassador to Qatar. Kilgore summarized the meeting as follows:[7]
“ At their meeting, the American ambassador explained to Saddam that the United States did not take a stand on Arab-Arab conflicts, such as Iraq’s border disagreement with Kuwait. She made clear, however, that differences should be settled by peaceful means.

Glaspie’s concerns were greatly eased when Saddam told her that the forthcoming Iraq-Kuwait meeting in Jeddah was for protocol purposes, to be followed by substantive discussions to be held in Baghdad.

In response to the ambassador’s question, Saddam named a date when Kuwaiti Crown Prince Shaikh Sa’ad Abdallah would be arriving in Baghdad for those substantive discussions. (This appears in retrospect to have been Saddam’s real deception.)


The points referenced in the second and third paragraphs do not appear in the purported transcripts of the Glaspie-Saddam meeting that were released by Iraq, and on which most of the subsequent criticism of Glaspie is based. If there is a full transcript of the meeting in existence, or if the State Department declassifies Glaspie's cables about the meeting, a different assessment might be reached on her performance.

James Akins, the U.S. Ambassador to Saudi Arabia at the time, offered a somewhat different perspective in a 2000 interview on PBS:
“ [Glaspie] took the straight American line, which is, we do not take positions on border disputes between friendly countries. That's standard. That's what you always say. You would not have said, 'Mr. President, if you really are considering invading Kuwait, by God, we'll bring down the wrath of God on your palaces and on your country, and you'll all be destroyed.' She wouldn't say that, nor would I. Neither would any diplomat. ”

Joseph C. Wilson, Glaspie's Deputy Chief of Mission in Baghdad, referred to her meeting with Saddam Hussein in a May 14, 2004 interview on Democracy Now!: an "Iraqi participant in the meeting [...] said to me very clearly that Saddam did not misunderstand, did not think he was getting a green or yellow light."

Wilson's and Akins' views on this question are in line with those of former Deputy Prime Minister Tariq Aziz, who stated in a 1996 interview with Frontline that, prior to the invasion of Kuwait, Iraq "had no illusions" about the likelihood of U.S. military intervention. Similarly, in a 2000 Frontline interview, Aziz declared, "There were no mixed signals", and further elaborated:
“ ...it was a routine meeting. ... She didn't say anything extraordinary beyond what any professional diplomat would say without previous instructions from his government. She did not ask for an audience with the president [Saddam]. She was summoned by the president. ... She was not prepared.... People in Washington were asleep, so she needed a half-hour to contact anybody in Washington and seek instructions. So, what she said were routine, classical comments on what the president was asking her to convey to President Bush.[8] ”

Kenneth Pollack of the Brookings Institution, writing in the New York Times on February 21, 2003, disagreed with the views (previously cited) of observers like Edward Mortimer:
“ In fact, all the evidence indicates the opposite: Saddam Hussein believed it was highly likely that the United States would try to liberate Kuwait but convinced himself that we would send only lightly armed, rapidly deployable forces that would be quickly destroyed by his 120,000-man Republican Guard. After this, he assumed, Washington would acquiesce to his conquest.

0 コメント: