2012年1月5日木曜日

年の瀬 中間報告

中間報告の発表が相次いだ。
・東電 福島原子力事故調査 中間報告書
・東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告
・農水省 スギ雄花に含まれる放射性セシウムの濃度の調査結果 中間報告

東電福一事故の関係や影響についての中間報告だった。
巨悪の根源とされる東電、混乱を引き起こした政府閣僚と無能な保安院等の
原子力村の人々と指摘されているようだ。
全ての関係者への面接が終わっているわけではないので、目安としての
報告でも、多く人が持っている印象と指摘は変わらない。

政府内部のドラマが最近はやりだが、原発事故のドラマのいくつかは、
政府閣僚が正義の味方のように描く。中間報告とは多きく異なる。
御用学者は未だに、メディアで御用報告を行うが、マスメディアの報道も
似たものが目に付くようになった。

福島原子力事故調査 中間報告書の公表について
福島原子力事故調査報告書(中間報告書) 本編(PDF 2.68MB)

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告

原発の核燃料
中間報告 スギ花粉の内部被爆


---「再稼働判断 影響なし」 原発事故調中間報告 知事が見解示す 福井---
2011.12.28 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111228/fki11122802100002-n1.htm

 政府の東京電力福島第1原発事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)が公表した中間報告について、西川一誠知事は27日の定例会見で「原発の再稼働を意図した委員会ではない」との見解を述べ、県の再稼働判断に現状では影響しないとの考えを示した。
 また、原子力安全・保安院でも意見聴取会などを通じた事故の検証を進めていることを踏まえ「(再稼働の是非は)政府が判断を加える必要がある。委員会は(過程の)一部だ」とした。
 西川知事は委員会の中間報告について「電力事業者の危機管理の体制や運用などに問題があったほか、国の規制、監視の体制が十分でないことが指摘された。また、地元の監視、安全確保の強化がこれまで以上に重要だ」と語った。一方で内容に不明な部分もあり、県幹部が同日上京して事務局から説明を受けていると説明した。
 この日の会見では、関西電力など3事業者と滋賀県とが安全協定を締結する見通しとなったことについて「地域によってリスクや安全への努力は異なっている」とし、滋賀県が求めている立地県並の協定に否定的な考えを示した。


---東電:「事実一部異なる」 政府事故調の中間報告に反論---
毎日新聞 2011年12月27日 23時37分
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111228k0000m040095000c.html

 東京電力福島第1原発事故で、政府の事故調査・検証委員会の中間報告に対し東電は27日、事実認定が一部異なるなどと反論した。
 報告で(原子炉の冷却機能が失われる)15メートルを超える想定津波の試算があったにもかかわらず、過酷事故対策に活用しなかったと批判されたことに対し、松本純一原子力・立地本部長代理は同日の記者会見で「試算は十分な科学的合理性がなかった」と主張。「3月11日以前に想定した過酷事故については、自主的に対策に取り組んでいる。国や(内閣府)原子力安全委員会も不十分と言わなかった」と述べた。
 また、3号機の冷却装置「高圧注水系」(HPCI)を運転員が手動停止し、注水が途切れたことを「遺憾」と指摘されたことについては、「別の代替注水への切り替えが可能と判断したうえでの操作」と反論。1号機の冷却装置「非常用復水器(IC)」の仕組みを発電所幹部や東電本店が把握していなかったため、ICの停止に気付かず代替注水が遅れたとの指摘に対しては、「知識があったとしてもICの状況を知るのは困難だった」と強調した。
 東電は独自に設けた社内事故調査委員会で見解の相違点について調査を進める。【比嘉洋】


---保安院・菅前首相の対応が混乱助長…事故調---
2011年12月27日15時19分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111227-OYT1T00227.htm?from=y10

 東京電力福島第一原子力発電所事故に関する政府の事故調査・検証委員会の中間報告は、経済産業省原子力安全・保安院などの政府機関が危機への対応力や互いの連携を欠いたまま、事故対応にあたっていた姿を浮かび上がらせた。
 来年4月の原子力安全庁(仮称)発足に向け、教訓とすべき点も多い。
 「能動的に対応して情報を収集・把握するという自覚と問題意識に欠けていた」。報告書は今回の事故で、保安院が監督官庁としての機能をほとんど発揮できなかった点を厳しく指摘した。
 事故後、官邸に設置された原子力災害対策本部の事務局を務めたのが保安院だ。現地や東電からの情報収集の中核となるはずだった。
 ところが、事故発生当初、保安院が専ら頼りにしたのは、派遣されてきた東電社員が携帯電話で本店から聞き取る情報だった。本店はテレビ会議システムを通じ、同原発の対策本部とリアルタイムで情報を共有していた。だが保安院は約600メートル離れた東電本店に職員を差し向けもしなかった。
 保安院が満足に状況を把握できなかったことが、官邸が直接、東電幹部や同原発と連絡を取り合う一因となったとみられ、指揮系統の乱れを招いた。
 原発のお目付け役となる保安院の原子力保安検査官も危機に対処する気概を欠いていたと言わざるを得ない。事故当時、同原発には検査官が4人いたが3月12日午前5時頃、一度退避した。翌朝、原発に戻ったが、14日昼前に3号機の水素爆発があったため、同日夕に再び原発を離れた。
 保安院の東電への指示についても、報告書は、そのほとんどが「正確な情報を早く上げてほしい」というもので、「現場の意思決定に影響を与えることはほとんどなかった」と辛辣(しんらつ)な評価を加えた。
 保安院の原子力発電検査課長だった西脇由弘東大客員教授は「過酷事故に対しては、広範囲にわたる十分な知識がないと対応できないが、保安院が日頃行っている安全規制は、過酷事故を防止するための規制が主体で、緊急時に対応できる人材や知識が不足していた」と話す。報告書は保安院を引き継ぐ形で発足する原子力安全庁の課題として、「緊急時における助言・指導ができる専門能力」の育成を挙げた。
 報告書が次に強調したのは、菅首相(当時)が関係機関とのコミュニケーションを欠いたまま重要な判断を行い、混乱を助長したことだ。


---吉田所長、TV会議で一芝居…本社欺き注水続行---
2011年12月27日08時27分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20111226-OYT1T01426.htm

 福島第一原発1号機への海水注入を巡り、吉田昌郎所長が本店側の要請に反して注水を継続するため、一芝居打った場面も、中間報告で再現された。
 1号機への海水注入が始まったのは、3月12日午後7時過ぎ。海江田経産相の命令だったが、その情報が届いていない官邸では、菅首相らが海水の悪影響について協議していた。
 官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェロー(65)から電話を受けた吉田所長は、既に海水注入を始めたことを伝えたが、武黒フェローは官邸での協議が終わっていないことを理由に海水注入をいったん止めるよう強く要請した。
 吉田所長は、本店などと相談したが、注水中断は危険と考え、自らの責任で注入を継続した。その際、発電所対策本部の注水担当者を呼び、本店などとつながっているテレビ会議のマイクに拾われないよう、小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」と指示。そのうえで、部屋全体に響き渡る声で海水注入中断を宣言した。このため、本店だけでなく、現場作業員の大半も注水は中断されたと思い込んでいた。


---保安検査官逃げ回り・東電は子会社任せ…事故調---
2011年12月27日(火)08:23
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20111226-567-OYT1T01409.html

 原発の監視を担う原子力安全・保安院の原子力保安検査官や、事故対応の責任を担う東電が、役割を十分に果たせなかった実態も、中間報告で明らかにされた。
 報告書によると、東電の事故対応を指導監督する立場の検査官は3月12日早朝、4人全員が現場を立ち去り、約5キロ離れた対策拠点のオフサイトセンターに戻っていた。放射線量の上昇により、屋外の防災車の搭載電話が使えなくなったのが理由とするが、中間報告は「東電の回線など他の手段で状況報告は可能だった」とみている。
 13日朝には、海江田経済産業相から炉心への注水状況を監視するよう指示を受け、検査官4人が原発に入った。だが、対策本部のある免震重要棟の一室に閉じこもり、東電社員から資料を受け取るだけだった。14日午前11時過ぎには、3号機が水素爆発を起こしたため、身の危険を感じ、同日午後5時頃、上司の明確な了解がないまま同センターに引き揚げた。
 菅首相が東電本店に乗り込み、東電社員に「逃げてみたって逃げ切れないぞ」とまくしたてたのは翌15日早朝。その前に検査官らは退避を終えていた。事故調関係者は「検査官は職責を果たさず逃げ回っていたも同然だ」と批判する。
 一方、原子炉の冷却で重要な役割を果たしたのが東電の子会社だったことも分かった。
 吉田昌郎所長(56)は3月11日夕、全電源喪失の事態を受け、1、2号機への消防車による炉内注水を検討するよう指示した。だが、消防車の活用はマニュアルになく、同原発の「発電班」「技術班」などはどこも自分の担当と考えなかった。
 同日深夜、1号機の危機的状況が分かり、12日未明、消防車による注水を準備した。しかし、消防車を操作できる東電社員はおらず、下請けの子会社に頼らざるを得なかった。東電社員の「自衛消防隊」もあったが、ホースの敷設なども当初は子会社社員だけで行った。
 放射線量が高まる中、子会社は一時、作業に難色を示したが、東電の強い要請に応じた。2、3号機でも注水作業を担い、3号機建屋の水素爆発では3人が負傷した。(肩書は当時)


---海水注入で吉田氏が独断 事故調中間報告---
2011.12.27 00:03
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111227/dst11122700060000-n1.htm

 事故調査・検証委員会の中間報告では、東京電力福島第1原発事故での原子炉への海水注入をめぐる生々しいやりとりが明らかになった。菅直人首相(当時)が事故対応への介入を続け、混乱を助長したことがまたも裏付けられた。
 中間報告によると、1号機の危機的状況が続く3月12日夕、菅氏は首相執務室で班目春樹原子力安全委員会委員長、武黒一郎東電フェローらと協議。午後7時すぎ、武黒氏が第1原発の吉田昌郎所長に電話で海水注入の準備状況を聞いた。
 吉田氏が「もう始めている」と答えると武黒氏は「今官邸で検討中だから待ってほしい」と要請。吉田氏は「自分の責任で続けるしかない」と考え、作業責任者にテレビ会議のマイクに入らないような小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に止めるな」と話し、大声で注入中断を指示したという。
 12日朝の菅氏の原発視察の際も吉田氏は「応対に多くの幹部を割く余裕はない」と困惑。14日夜には吉田氏は自らの死も覚悟し、必要な要員以外は退避させようと判断、総務班に退避用バスの手配を指示した。菅氏が15日朝、「撤退したら百パーセント潰れる」と東電本店に怒鳴りこんだのは、この指示を勘違いした公算が大きい。
 菅氏は官邸5階に閣僚を集める一方、地下の危機管理センターに各省庁局長級の緊急参集チームを設置。指揮系統が二重になった上情報集約もできず、放射性物質拡散予測システム「SPEEDI」の活用にも支障が出ていた。


---民主閣僚の“原発”発言は不適切!中間報告で批判---
2011.12.27
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111227/dms1112271232011-n1.htm

 「直ちに影響なし」は不適切-。福島第1原発事故直後、放射線の影響をめぐり当時の枝野幸男官房長官らが記者会見で繰り返した表現について、26日公表の事故調査・検証委員会の中間報告は「説明をあいまいにしている」と批判した。
 枝野氏は3月16日午後6時ごろの記者会見で、福島県飯舘村などで毎時30マイクロシーベルト以上の放射線量が観測されたことについて「屋外活動をしても、直ちに人体に影響を及ぼす数値ではない」と発言。同19日に、食品から暫定基準値を超える放射性物質が検出された際にも同様に説明していた。蓮舫消費者行政担当相(当時)も同20日、消費者庁のホームページで「基準値を超えた食品を一時的に摂取したとしても、直ちに健康に影響を及ぼすとは考えられない」とのメッセージを記載していた。


---東日本大震災:福島第1原発事故 政府事故調中間報告 「災害弱者置き去り」 対策不足、怒り新た---
毎日新聞 2011年12月27日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227ddm041040055000c.html

◇避難・退避・移転強いられ
 政府の事故調査・検証委員会が26日に公表した中間報告は、原子力災害が発生した際の住民の避難について、政府や電力業界が十分な対策をとっていなかったことを指摘した。福島第1原発事故で避難を強いられた住民や医療関係者からは、改めて政府の対応を非難する声が上がった。
 大気中の放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)の分析結果公表が遅れた結果、放射線量の高い地域に避難してしまった人は少なくない。福島県南相馬市原町区の内科医、志賀嘉津郎さん(63)も福島第1原発3号機が爆発した3月14日、妻子を車に乗せ飯舘村の小学校に避難した。
 「ガソリンも少なかったし、飯舘村は原発から約50キロ離れているから安全だと思った。SPEEDIの分析結果を速やかに公表してくれれば、飯舘村には逃げなかった」。村の小学校では、小中学生がボランティアで避難者に食事を配るなど屋外で活動していたといい、「あの子たちがどのくらい被ばくしたのか」と案じる。
 屋内退避の指示区域に入った南相馬市立総合病院は、物流が止まったため医薬品や酸素ボンベが不足して混乱に陥った。全入院患者の避難も始めたが、病院の救急車は1台しかなく、自衛隊の協力で全員の搬送を終えたのは指示から5日後の3月20日。系列の特別養護老人ホームの入所者の間では、搬送後に死亡する人も相次いだ。
 金沢幸夫院長(58)は「国は屋内退避を指示しながら、災害弱者がどうなるか全く考えていなかった。患者の移送手段や医薬品などを確保できる体制を整備しなければ、また同じことを繰り返す」と警鐘を鳴らす。
 福島県福祉事業協会が運営する富岡町や川内村の知的障害者入所施設も、移転を余儀なくされた。当初は一般の避難所に移ったが、環境の変化に対応できない入所者が続出。田村市の通所施設に移った後も、手狭で入所者が重なり合って寝る状態だった。
 事情を知った医療関係者の紹介で、4月に千葉県鴨川市の県立施設へ移った。同協会の山田荘一郎理事長は「我々の力だけで受け入れ施設を探すのは困難。国が施設を紹介してくれないと、避難は難しい」と話した。【松本惇、吉川雄策】


---東日本大震災:福島第1原発事故 政府事故調中間報告 「溶融」表現、院長が注意 保安院、炉心「損傷」に改める---
毎日新聞 2011年12月27日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227ddm016040162000c.html

 「避難した住民や国民から、真実を素早く正確に伝えていないのではないか、という疑問を持たれる発表が多く見られた」。東京電力福島第1原発事故の原因などを調べてきた政府の事故調査・検証委員会は中間報告書で、政府の情報提供の問題点を厳しく指摘した。【奥山智己、中西拓司】
 「炉心溶融がほぼ進んでいるのではないか」。3月12日午後2時ごろ、東京・霞が関の経済産業省原子力安全・保安院での記者会見で、中村幸一郎審議官は炉心溶融の可能性について言及した。発表内容については事前に寺坂信昭院長(当時)に了解を取っていた。
 しかし、首相官邸でこの内容に対する懸念の声が上がり、寺坂院長は中村審議官に注意。中村審議官は自ら会見担当の交代を申し出た。それ以降、政府や東京電力は「炉心溶融」を弱めた「炉心損傷」との表現に変えた。
 同12日。東電が1号機の水素爆発後の写真を公表すると、官邸側は翌日「事前の連絡がない」と東電を注意。その後、東電は事前に官邸側の了解がないと発表できなくなった。
 一方、3月16日午後6時ごろ、枝野幸男官房長官(当時)は記者会見で原発周辺の空間線量について「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」と発言した。その後の会見でもこの表現は繰り返された。
 報告書は「『人体への影響はない』と理解する人と『直ちに影響はないが長期的には影響がある』と理解する人がいるが、いずれの意味か踏み込んだ説明がなかった」と指摘。「炉心溶融」の表現をめぐる混乱も含め「どのような事情があったにせよ政府の公表が遅れたり、発表を控えたり、説明をあいまいにする傾向は決して適切ではない」と断じた。
 また、政府の避難などの指示についても報告書は「(対象自治体に)迅速に届かなかったばかりか、内容も『ともかく逃げろ』というだけに等しく、きめ細かさに欠けていた」と厳しく批判した。
 自治体は情報不足のまま避難先探しに奔走しなければならなかった。こうした事態を生んだ背景として検証委は「避難について政府や電力業界が十分に取り組んでこなかった」と指摘した。

◇東電と官邸、連携不足
 3月12日午後7時過ぎ。1号機では海水の注入が始まった。その事実は首相官邸地下の官邸対策室に報告されたが、官邸5階に詰めていた菅直人首相(当時)や東電幹部らには伝わらなかった。
 東電幹部の電話に吉田昌郎所長(当時)がすでに実施していることを伝えると幹部は「官邸で検討中だから、まだ待ってほしい」と要請。吉田所長は、担当者に小声で「絶対に注水をやめるな」と指示した後、対策室全体に響き渡る声で海水注入中断を指示した。
 14日夜。吉田所長は2号機圧力容器の損傷を懸念し、東電本店に相談した。本店では、事故対応にあたる人以外は退避もあるという考えで一致。清水正孝社長(当時)が15日未明、保安院に電話で「事態が厳しくなれば退避もあり得る」と伝えた。しかし、「全員が撤退する」と受け取った官邸は慌て、数時間後に清水社長を呼び真意をただした。

◇被災者の疑問に答えられるよう--会見で畑村委員長
 検証委の畑村洋太郎委員長は26日、記者会見し、「突然、しかも長期にわたって土地を離れざるをえなくなったことが本質的な問題。一番苦しんでいる被災者の方々が持つ疑問に少しでも答えられるように(報告書を)作った」と述べた。
 この日の会合で委員からは「元特捜部長の『捜査は任意が基本。強制捜査しか真相解明ができないというのは悪い検事の言うこと』という言葉を思い出した。調査は任意捜査に近かったが、ある程度真相に近づけた」(高野利雄委員)と自信をうかがわせる声が出た。
 「調査は地べたをはうように行われたが、全体像も必要だ」(吉岡斉委員)と、調査の掘り下げを求める姿も見られた。【八田浩輔、岡田英】


---【福島原発事故調 中間報告】---
2011年12月27日
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/nucerror/report1226/

政府の福島第一原発事故調査・検証委員会中間報告の詳報は次の通り。
<第1章>はじめに
 当委員会は、事故の原因と被害の原因を究明する調査・検証を行い、被害拡大防止と事故再発防止に関する政策提言を行うことを目的として、五月二十四日の閣議決定で設置された。来年夏に最終報告を取りまとめる。
<第2章>事故の概要
 三月十一日午後二時四十六分、マグニチュード(M)9・0の地震が発生し、津波の第一波は十一日午後三時二十七分、東京電力福島第一原発に到達した。主要建屋エリアはほぼ全域が浸水。浸水高は一一・五メートル~一五・五メートル。運転中の1~3号機は自動スクラム(緊急停止)が達成されたとみられるが、地震と津波でほぼ全ての交流電源が失われ、原子炉や使用済み燃料プールが冷却不能に陥った。
<第3章>組織的対応状況
▽国の対応
 政府は同七時三分、原子力緊急事態宣言を出し、原子力災害対策本部を首相官邸に設置。官邸五階に菅直人首相や閣僚らが集まった。
 経済産業省の緊急時対応センター(ERC)に原災本部事務局が置かれたが、原子力安全・保安院は、東電のテレビ会議システムを導入する発想がなく、東電本店に職員も派遣しなかった。東電に「情報を早く上げてほしい」と指示、時宜を得た情報収集をせず、指導、助言も遅れ、決定に影響を与えることはほとんどなかった。
 官邸地下の危機管理センターには保安院や関係省庁の局長級の緊急参集チームがいたが、官邸五階の首相執務室の決定を十分把握できなかった。
▽発電所との連絡
 官邸五階では東電の武黒一郎フェローらが本店や福島第一原発の吉田昌郎所長に電話し、助言していたが、ほとんどの場合、既に吉田所長が具体的措置を講じていた。情報は限られ、武黒フェローは1号機の爆発をテレビで知った。菅首相は内閣官房参与に小佐古敏荘東京大教授を任命したが、助言が組織法上明確でなく、混乱が生じた。
▽オフサイトセンター
 福島第一原発の免震重要棟の保安検査官ら五人は十二日、現地対策拠点オフサイトセンターに退避。四人が再派遣されたが、3号機の爆発などで十四日、再び退避した。オフサイトセンターには保安院、文部科学省、原子力安全委員会、防衛省以外の省庁は当初、職員を派遣しなかった。緊急時対策支援システム(ERSS)のデータを入手できず、放射性物質を遮断する空気浄化フィルターもなかった。現地対策本部は原災本部の一部権限委譲の告示がないまま各種決定をした。
<第4章>発電所における事故対処
▽IC手動停止
 発電所では対策本部が免震重要棟に置かれ、本店とテレビ会議システムで情報を共有した。
 1号機は原子炉を冷やす非常用復水器(IC)、2号機、3号機は原子炉隔離時冷却系(RCIC)が起動した。十一日午後三時三分、運転員が1号機のICを停止させた。その後三回起動させ、原子炉の圧力を調整した。
 地震発生直後、ICの機能を損なうような配管破断はなかったと考えるのが合理的と思われる。
▽津波到達
 津波で海水系ポンプや原子炉建屋、非常用発電機などが水をかぶった。吉田所長は考えていた過酷事故をはるかに超える事態に、とっさに何をしていいのか思い付かなかったが、まず法令上の手続きをしようと考え、同三時四十二分「全交流電源喪失」発生を官庁に通報した。1号機、2号機の注水が確認できず、同四時四十五分「非常用炉心冷却装置注水不能」を報告した。同五時十五分、発電所対策本部は、1号機炉心露出まで一時間と予測した。
▽操作経験なし
 1号機ICは電源喪失によって機能をほぼ喪失した可能性が高い。同五十分、運転員がICの確認に向かった際、放射線量が上昇。既に炉心の露出が始まっていた可能性がある。1号機の全運転員はIC作動の経験がなく、応用動作ができる訓練を受けていなかった。
 同六時十八分、発電所対策本部と本店は、ICの弁を開けたとの報告を受け、ICの作動を認識した。しかし、それまで弁が閉まっており、ICが作動していなかったことを理解した形跡はない。
▽保安検査官
 保安院の保安検査官は十二日未明まで免震重要棟二階にいたが、緊急時対策室横の会議室にとどまり、データをオフサイトセンターや保安院に報告するだけで、指導や助言もせず、事故対策に全く寄与しなかった。
▽IC作動誤認
 電源喪失時にICの弁が閉まる機能は基本的知識で、電源喪失した時点でICが機能していないという問題意識を抱く契機は十分あったのに、作動中と誤信していた。
 1号機は十二日午前二時四十五分、原子炉の圧力が低下。炉心溶融が相当進んでいた可能性が高い。同四時以降、消防車を使った注水を開始。水槽の淡水がなくなった午後二時五十四分、吉田所長は海水注入を指示。同三時半に準備を終えたが、直後に1号機原子炉建屋が水素爆発した。注水が遅れた一因はICの作動状態の誤認識にある。
▽ベント準備
 十二日午前七時十一分、菅首相がヘリコプターで到着。吉田所長は同九時をめどにベント(蒸気を放出して圧力を下げる措置)を実施すると述べた。午後二時五十分に格納容器の圧力が低下、ベント成功と判断。ベントに時間がかかったのはICの作動状態の誤認に起因すると考えられる。
▽海水注入の中断指示
 十二日午後三時三十六分、1号機で水素爆発が起き、作業員は免震重要棟に退避。吉田所長は同五時二十分、海水注入に必要な作業の再開を決断した。消防ホースが損傷、引き直しが必要だったが、同七時四分、注入できるようになった。海水注入開始は同七時十五分までに官邸の緊急参集チームに伝達されたが、官邸五階の菅首相、武黒フェローらには伝わっていなかった。
 吉田所長は武黒フェローからの電話に「もう海水の注入を開始している」と回答。武黒フェローは「今官邸で検討中だから待ってほしい」と強く要請し、注水は試験注水と位置付けることにした(その後、菅首相が海水注入を了解して武黒フェローは試験的注水の説明をする機会を失った)。
 吉田所長は本店に相談したが、中断もやむを得ないという意見だった。しかし自己の責任で継続を判断し、担当者を呼んでテレビ会議のマイクに入らないよう小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」と命令、その後、対策室全体に響き渡る声で中断を指示した。
 ERCは東電本店から中断の連絡を受け、官邸の参集チームに伝えたが、五階の首相らに伝達されなかった。その後、武黒フェローは首相の了解が得られたと連絡、あらためて吉田所長は同八時二十分再開を指示した。
▽3号機の注水停止
 十二日午前十一時三十六分に3号機のRCICが停止した後、午後零時三十五分に高圧注水系(HPCI)が起動。低い回転数での運転が続き、設備が壊れることを恐れた運転員は、安定した経路から注水するため、十三日午前二時四十二分、HPCIを手動で停止した。停止は一部の話し合いで決められた。同三時五十五分吉田所長は報告を受け、停止を知った。
 代替注水手段は確保できず、HPCIも再起動できないまま七時間近く経過。圧力上昇、炉心損傷が進んだ。
 3号機の海水注入について、官邸五階で「海水を入れると廃炉につながる」「淡水があるなら、それを使えばいいのではないか」などの意見が出た。これを電話で伝えられた吉田所長は海水注入の作業を中断、淡水を全て使うよう注水経路変更を指示。現場では既に海水注入の準備ができていたが、がれきに埋没した防火水槽の取水口を探し、淡水の確保に努めた。
 午前九時二十五分、淡水注水を開始したが、午後零時二十分、淡水が枯渇。注水経路を切り替え、海水注入が開始されたのは午後一時十二分。注水が途切れた上、線量の高い中で作業員に余分な作業をさせることになった。
▽建屋の水素爆発
 本店や現場では格納容器の水素爆発の危険性は意識していたが、水素が建屋に充満し爆発する危険は考えていなかった。
 1号機水素爆発で、吉田所長は地震かと考えた。その後、タービン建屋にある発電機に封入された水素が爆発したと考えたが、タービン建屋に壊れた形跡が見当たらないとの報告が入った。その後、テレビの映像で状況が把握できた。
 国内外の文献で以前に建屋の爆発を扱った文献は二件しかなく、国際原子力機関(IAEA)などで議論された形跡はない。
▽退避バスを手配
 十四日正午以降、2号機の水位低下が顕著になり、早期に注水をする必要があった。吉田所長はベント準備をして圧力の逃げ道をつくり、原子炉を減圧し、海水注入するよう指示した。
 官邸五階にいた原子力安全委の班目春樹委員長は吉田所長に電話で、ベント準備を待たずに減圧して注水すべきであるとの意見を述べた。吉田所長は本店と相談、ベント準備を急ぐべきだとの意見で一致。その後ベント準備に時間を要すると分かり、本店の清水正孝社長は班目委員長の意見に従うよう指示した。
 午後七時五十七分、連続注水を開始しても、原子炉圧力が上昇して注水できなくなった。燃料が全部露出していると考えられ、吉田所長は、溶け落ちた燃料が格納容器も貫通する「チャイナ・シンドローム」のような最悪の事態になりかねないと考えた。1号機、3号機でも作業が継続できなくなり、2号機と同様の事態に陥ると考えた。
 自らの死をも覚悟したが、免震重要棟にいた事務系の東電社員や協力企業の社員の人命を守らなければならないと考え、本店と相談、状況次第では必要な要員を残し、ほかは退避させようと判断。動揺を避けるため、総務班のごく一部に、退避用のバスを手配するよう指示した。結局、十五日午前一時台から継続的に注水可能となった。
 なお一連の事故対応で、原発にいる者全員を退避させることを考えた者は確認できなかった。
 午前六時、2号機の中央操作室に入った運転員が爆発音を聞いたため、幹部ら約五十人を残し、約六百五十人を福島第二原発に退避させた。
<第5章>発電所外の事故対応
▽SPEEDI
 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)は外部電源喪失でデータ伝送ができず、放射性物質の拡散予測ができなかった。管理する原子力安全技術センターが単位量放出を仮定して予測したが、文科省、原子力安全委は活用しなかった。しかし拡散方向や相対的分布量を予測でき、少なくとも避難方向の判断に有効だった。各機関はさまざまな仮定で計算したが、結果はしばらく公表せず避難に活用されなかった。
▽住民避難
 避難指示は現地対策本部長が市町村に伝えることになっていたが、電話がつながるまで時間を要し、自治体が認知したのはほとんど、テレビなどの報道によってだった。避難用バスの割り振りはスムーズにいかず、道路損壊や渋滞で必要な自治体に行き渡らなかった。
▽東電の放射線管理
 東電は当初、社内規定による管理区域を指定し直さなかった。五月十日ごろまで、放射線業務従事者に三十分程度の簡易な説明や指導を受けさせただけで作業をさせた。放射線管理手帳を持たずに作業する者も生じた。
 東電は警報付きポケット線量計約五千個を配備していたが、大部分は津波で使用できなくなった。三月十二~十三日に柏崎刈羽原発から五百個が届いたが、担当者間の連絡が不十分で四月一日まで保管されたままだった。
▽住民の被ばく
 福島県は三月十一日夜からスクリーニングの実施を決め、翌日開始。人手が足りず国や大学などの支援を得た。県内の初期被ばく医療機関のうち三病院は第一原発から半径十キロ圏内。避難区域に含まれ、機能しなかった。
▽農畜産物の汚染
 事故以前は放射性物質に汚染された飲食物を直接規制する基準はなかった。厚生労働省は国内で流通する飲食物が放射性物質で汚染された場合の基準を検討したことはなかった。十五日に雑草から高濃度の放射性物質が検出され、担当者は対策が必要と認識したが、食品衛生法に基づく対応は考えていなかった。農林水産省は風評被害防止のため基準が必要と考え、厚労省に強く要望した。
 厚労省は原子力安全委の防災指針の指標を規制値とすることにした。
 牛肉から規制値を超える放射性セシウムが検出されたのは、農水省が出した飼養管理通知が畜産農家にのみ宛てられ、稲わら農家に伝えられず、畜産農家にも十分に周知されなかったためだ。
▽国民への情報提供
 保安院は三月十二日、記者に「炉心溶融の可能性」と説明したが、官邸で発表への懸念があったとの情報を受け、寺坂信昭保安院長が担当者に事前に官邸の了解を得るよう指示した。
 十三日にかけて保安院は「炉心溶融」という表現を使わず、可能性について肯定的から不明と説明が変わった。四月に「燃料ペレットの溶融」との表現を使うこととした。
 三月十二日の県災害対策本部会議で東電福島事務所長が1号機原子炉建屋爆発後の写真を公表したが、官邸から注意を受け、東電は事前に官邸の了解を得るようになった。
▽「直ちに」の表現
 政府はたびたび放射線について「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」と説明したが、「心配する必要はない」と理解する者と「長期的には影響がある」と理解する者があり得る。踏み込んだ説明はされなかった。
<第6章>事故の未然防止 被害の拡大防止
▽地震の影響
 東電は解析で、重要な機器・配管に地震動のみによる大きな損傷はなかったと推定している。現時点では被害の多くが直接確認することは困難で、あくまで推定である。
▽〇二年の津波対策
 一九六六~七二年の設置許可申請時、対策が必要な波高は六〇年チリ津波の最高潮位三・一二メートルとされた。土木学会の津波評価部会は二〇〇二年に「原子力発電所の津波評価技術」を公表。各電力事業者は自主的に津波評価を実施、東電は福島第一原発で最大波高五・七メートルとし、非常用発電機のかさ上げをした。
▽〇八年の社内試算
 政府の地震調査研究推進本部が〇二年に公表した見解に基づき、東電が〇八年五月~六月に試算した結果、最大一五・七メートルとの結果が得られた。同年六月十日ごろ、原子力・立地本部の武藤栄副本部長や吉田昌郎原子力設備管理部長(いずれも当時)らに担当者から説明が行われた。
 七月三十一日ごろ二回目の説明が行われ、担当者は防潮堤で津波の遡上(そじょう)水位を一~二メートル程度まで低減できるが、数百億円規模の費用と約四年の時間が必要と説明。武藤、吉田両氏は、仮定の上の試算であり、そのような津波は実際には来ないと考えていた。武藤、吉田両氏は別の理由として、柏崎刈羽原発の運転再開に向けた対応に追われており、津波への意識は低かったことを挙げている。
 直ちに設計に反映させるレベルのものではないとして、念のため土木学会に検討してもらうことが決定された。防潮堤設置の案は、原発を守るために周辺集落を犠牲にすることになりかねず社会的に受け入れられないだろうといった否定的発言もあった。
 決定は八月までに武黒一郎本部長(当時)に報告され、追認された。吉田部長は貞観津波の研究論文に基づく評価で得た最大九・二メートルの結果も、同様に判断、学会に検討を依頼することとした。
▽保安院の対応
 保安院は〇九年八月、東電に津波評価の現状説明を求めたが、吉田部長は明示的に求められるまでは波高試算の説明は不要と担当者に指示。保安院が要請したため翌九月、貞観津波の試算を東電が説明した。保安院の審査官はポンプの電動機が水没し原子炉冷却機能が失われるレベルと認識したが、そうした津波発生の切迫性を感じず、津波対策の検討を促したものの対策工事の要求はせず、上司の森山善範審議官(原子力安全基盤担当)らに報告もしなかった。東電は保安院の態度から了承が得られたと考えた。
 森山審議官は、専門家の評価会合に課長として出席していたが、部下に貞観津波の話の進展を尋ねることはなかった。一〇年三月に部下に津波対策の状況を尋ね「貞観の津波は簡単な計算でも敷地高は超える結果になっている。防潮堤を造るなどの対策が必要になると思う」と報告を受けた。しかし数値を確認せず、評価会合で有識者に議論してもらうこともしなかった。森山審議官は「津波の認識は低く、情報の受け止め方の感度が良くなかった」と供述した。
 保安院は今年二月、地震調査研究推進本部が四月ごろに貞観津波の最近の知見を踏まえ活断層の長期評価手法を改定するとの情報を得た。改定されれば福島原発の安全性確保の説明を求められる事態に進展する恐れがあると考え、三月七日に東電から津波対策の現状を聴取。東電は推進本部を所管する文科省に「貞観地震の震源はまだ特定できていないと読めるようにしてほしい」と三月三日に要請したことを紹介、一五・七メートルとの試算も説明した。保安院の室長らは「なるべく早く津波対策を検討し、報告書を提出してほしい」と述べた。保安院の審査官は「津波評価技術の改定がなされた場合、その後で報告書が提出されれば、世間的に見たらアウトになってしまう」と述べた。対策工事の実施を明確には要求せず、上司に報告しないまま三月十一日の地震の日を迎えた。
▽東海第二との比較
 日本原子力発電東海第二原発では〇七年に茨城県が公表した「津波浸水想定区域図」に基づき、ポンプ室の側壁高さを四・九一メートルから六・一一メートルに増設した。五・四メートルの津波が襲ったが、冷却に必要な電源を確保できた。
▽過酷事故対策
 原子力安全委は米スリーマイルアイランド事故、旧ソ連チェルノブイリ事故を受け、九二年五月、事業者の自主的な過酷事故対策を強く奨励。通商産業省(当時)は九二年七月、自主的取り組みとして過酷事故対策を進めるよう指示した。事業者は〇二年三月までにすべての原発において対策の整備を完了。東電は〇二年五月までに福島第一原発で手順書などを整備したが、事前の想定を超えた自然災害の対処方策は検討していなかった。
 吉田所長は「新潟県中越沖地震で、柏崎刈羽原発において事態を収束できたことから、設計が正しかったという評価になってしまい、設計基準を超える自然災害の発生を想定することはなかった」と述べた。
<第7章>問題点の考察と提言
▽事故後の政府対応
 現地対策本部の設置場所のオフサイトセンターが、放射性物質による汚染に十分配慮しておらず、使用不能に陥った。大規模災害でも機能を維持できるよう速やかに整備を図る必要がある。
 事故対応の意思決定が行われたのは主に官邸五階で、五階と地下の参集チームのコミュニケーションが不十分だった。情報の入手ルートが確立されておらず国民への情報提供にも課題が残った。
▽原発の事故後の対応
 1号機のICの機能の認識や操作の習熟が不足しており、対処遅延の連鎖を招いた。3号機ではHPCIを手動停止した後、代替注水の操作に失敗、事後報告が遅れ、注水が途切れたことは極めて遺憾。代替注水の緊急性の認識が欠如していた。適切に対処していれば炉心損傷の進行を緩和、放射性物質の放出を少なくできた可能性がある。
▽被害拡大の防止対策
 避難の判断材料となるモニタリング装置の多くが津波や停電で使用不能になった。SPEEDIが避難指示の意思決定に活用されず、指示は「ともかく逃げろ」というに等しく、きめ細かさに欠けた。汚染された水を、周辺諸国への事前説明をしないまま海洋放出したことは、わが国の対応に不信感を招いた。
▽不適切だった津波・過酷事故対策
 津波対策の基準を提示するのは保安院の役割だが、その努力がなされた形跡はなかった。
 東電は対策を見直す契機はあったが、見直しはなされず事故を防げなかった。具体的対策を講じておくことが望まれた。
 過酷事故対策が実施されたのは機械故障や人的ミスなどだけで、地震や津波など外的事象は対象にならなかった。民営である電力事業者が、発生確率が低い津波などへの対策に前向きでないのは、ある意味当然で、自主保安の限界を示す。
▽安全規制組織
 政府は新組織「原子力安全庁」(仮称)発足を目指している。安全規制機関として実を挙げるため、独立性と透明性の確保、緊急事態に対応する組織力、情報提供の役割の自覚、人材確保と専門能力の向上に留意するよう要望する。
▽まとめ
 問題の多くは(1)津波による過酷事故対策の欠如(2)複合災害という視点の欠如(3)全体像を見る視点の欠如-が影響している。いったん事故が起きると重大な被害を生じる恐れのある巨大システムの災害対策は、考え方の枠組み(パラダイム)の転換が求められている。
 事故後、関係者から「想定外の事象が起こった」との発言が相次いだが、どんなに発生確率が低い事象であっても「あり得ることは起こり得る」と考えるべきである。(人物の肩書は断りのない限り今年三月時点の肩書)


---「SPEEDI」検証せず 文科省が中間報告---
2011年12月24日 02時05分
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011122490020529.html

 福島第1原発で事故が起きた当初、政府が放射性物質の拡散をシミュレーションしながら公表しなかった問題で、文部科学省は23日、省内の対応を検証した中間報告を発表した。公表が遅れた理由に関し関係者に聞き取りするなど十分な分析をした形跡はなく、職員から募った意見を並べただけの内容となっている。
 文科省は10月、政務官をリーダーに検証チームを編成。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」を120億円を投じて開発、運用していたのに、福島県民の安全な避難につながらなかった問題を検証するはずだった。
しかし、報告書では「当初は放射性物質の放出量が仮定したものだったことなどから公表されなかった」と、これまでに政府と東京電力の統合対策室の会見などで出た説明を簡単に記載。事故直後の公表の是非を誰がどのように判断したかには触れず「放出量が分からなくても当初から公表することが必要」と教訓を記した。
 文科省の担当者は「緊急時の対応態勢という全体的な課題に焦点をあてた」と釈明。今後、詳しく検証し、来年3月末までに報告書をまとめるという。
 文科省の姿勢に、専門家から疑問の声が出た。東京大の児玉龍彦教授は「予測が公開されていれば、無用の被ばくをせずに済んだ人が多数いた」と対応を批判。原子力安全の専門家で社会技術システム安全研究所長の田辺文也氏は「事故から9カ月余がたっており、検証を本当にやる気があるのか疑う。誰がどんな理由で非公表を決めたのかを明らかにしなければ、同じ過ちを繰り返す」と訴えた。


---SPEEDI「当初から公表必要」 文科省が問題認める---
2011.12.23 21:05
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111223/dst11122321080014-n1.htm

 文部科学省は23日、東日本大震災での緊急時対応を自己検証した一次報告書を公表した。東京電力福島第1原発事故の発生後、放射性物質の拡散予測システム「SPEEDI」のデータ公表が遅れたことについて「当初から公表する必要があった」と運用に問題があったことを認めたほか、地震と原発事故による複合災害に対応した危機管理体制の見直しが必要とした。
 SPEEDIは原発から放出された放射性物質のデータに基づいてシミュレーションを行い、拡散を予測する。しかし、福島第1原発事故の直後は放出源情報システムのダウンでデータが得られず、想定通りに稼働できなかった。
 事故の翌日以降、仮定に基づく試算データでシミュレーションを始めたが、結果を公表したのは約2カ月後で、住民避難には役立てられなかった。
 報告書は「放出源情報に基づく予測ができなくても仮定のデータでシミュレーションを行い、結果を当初から公表することが必要だった」と指摘。しかし、どのような判断で当初公表しなかったのかなどの経緯はさらに検証が必要とし、年度内をめどにまとめる中間報告まで先送りした。
 報告書はこのほか、学校の校舎や校庭の利用判断、学校給食、原子力損害賠償制度の運用などについても詳細な検証が必要とした。


---解説:福島第1原発事故 東電中間報告 「結果的に」多用、甘さ露呈---
毎日新聞 2011年12月3日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111203ddm008040087000c.html

 東京電力福島第1原発事故で、東電の社内事故調査委員会が2日に発表した中間報告書は、「結果として、これまでの安全対策で事故拡大を防げなかった」と言及。130ページ中、「結果として」「結果的に」との文言を計25カ所多用し「原因は想定外の津波」と従来の見解を繰り返した。信頼回復には情報公開に徹し、責任の所在を明らかにするのが大前提だが、自己弁護に走るようでは道のりはほど遠い。
 「天災か人災かを割り切るのは難しいが、我々は国の審査を受けて原発を運転した。だが、津波で根本的な安全対策が覆された」。会見で山崎雅男副社長はこう弁明した。
 報告書は、原因について「津波で全電源を喪失した」と断定。「地震損傷説」を否定したが、検証方法は主に「目視」で、社内調査の甘さを示した。運転員が1号機の「非常用復水器」を停止したことが、炉心溶融を早めたとの見方もあるが、報告書は「きわめて早い段階で炉心損傷が進んだ」と指摘。停止しなくても損傷したと強調した。
 報告書では震災直後、東電が第1原発からの全面撤退を検討したとされる問題に対し、「考えたことも申し上げたこともない」と否定。その根拠として菅直人前首相の国会発言を紹介したが、清水正孝前社長や吉田昌郎前所長らの実名でのヒアリング内容は明らかにしなかった。
 社外の検証委員会は、報告書に対する意見で「安全神話から抜け出せなかったことが原因」と指摘したが、山崎副社長が会見で「見解が違う。できる限り安全対策に努めた」と反論する場面もあった。「今後の訴訟リスクに備え、自社の責任には言及できない背景があるのではないか」。委員の一人はこう推測する。
 原因解明の場は国会や政府、民間の事故調査委員会に移る。「水素の流出経路などに触れられていない。東電は各事故調に対しもっと協力する義務がある」。工藤和彦・九州大特任教授(原子炉工学)は注文を付けた。未曽有の原発事故の原因企業が負った責任は果てしなく重いと言える。【中西拓司、奥山智己】

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