2012年2月20日月曜日

パ北の闇市場

パ北の闇市場が一部明らかになった。
 カシミールの帰属をめぐるインドとの紛争を機に、米国は対パキスタン
武器禁輸を決定した。インドへの対抗上、軍備増強が不可欠なパキスタン
はソ連と接触したものの、ソ連はインドと蜜月関係にあるため交渉は難航
し、安価なソ連型武器を供給する北朝鮮に狙いを定め、国交を結んだ。

パキスタン経緯
1971年 東パキスタン分離独立
1974年 インド初核実験
1980代 カーン博士による核兵器開発
1988年 インド新型ミサイルを開発
1992年 北朝鮮より、射程1300km~1500kmとされるノドンを買付け
    パキスタンが北朝鮮に核開発を指導
    北朝鮮がパキスタンへ核兵器の起爆技術を供与
1998年 パキスタン核実験
1999年 パキスタン政府が、北朝鮮技術者を国外退去
2001年 3月 北朝鮮からパキスタンへのミサイル協力も途絶える

Kahn RingやCIAにはぜんぜん触れておらず、核開発の経緯が明らかに
なっただけ。
CIAとISIの蜜月が、核開発の頃からであれば、Kahn ringが出てくるのは
当分先か。

米スティンガー 中国が製造か
核闇市場関与の父子起訴


---クローズアップ2012:北朝鮮ウラン濃縮 核とミサイル、蜜月の交換 パキスタン・カーン博士、生々しい告白---
毎日新聞 2012年2月11日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20120211ddm003030109000c.html

 北朝鮮のウラン濃縮活動は、プルトニウムによる核開発凍結の見返りである軽水炉原発の建設開始(97年)直後から「核の闇市場」と連携を取りながら極秘に進められてきた。外貨獲得目的に武器輸出を続けてきた金正日(キムジョンイル)体制の北朝鮮。金正恩(キムジョンウン)新体制となった今、経済危機脱却の糸口をつかむため、「核の闇市場」の主導者となってミサイル輸出ルートを使った核拡散に打って出るか、国際社会の懸念が広がる。【ロンドン会川晴之】
 カーン博士が76年に設立したカーン研究所(KRL)はパキスタンの首都イスラマバード東南東のカフータに所在。ウラン濃縮用の遠心分離機が数千台稼働するパキスタン核開発の中心地であるとともに、北朝鮮産の中距離弾道ミサイル「ノドン(パキスタン名・ガウリ)」の製造工場もある。この場所は、北朝鮮とパキスタンが「核とミサイルを交換」したとされる現場でもある。
 イラン、リビアの秘密核開発が明らかになった2003年、両国に遠心分離機などを供給した「核の闇市場」が摘発され、グループのリーダーだったカーン博士は、自宅軟禁下に置かれた。
 カーン博士が政府に提出した「告白書」などによると、北朝鮮関係者が、KRLに出入りするようになったのは93年ごろ。カーン博士が団長として訪朝、「ノドン」購入に合意し、研究所の南西部の敷地にミサイル組み立て工場の建設が始まった時期に当たる。初期の「P1型」、第2世代の「P2型」など、遠心分離機の製造工場もあり、北朝鮮技術者は、施設内を自由に歩き回れた。
 「96年ごろ、北朝鮮へのミサイル代金支払いが滞った」。カーン博士は「告白書」で、核とミサイルの交換の経緯にも触れる。新旧両型の遠心分離機や関連部品が、その「代償」に贈られ、北朝鮮のミサイルを輸送してきた軍用機に積み込まれ、北朝鮮に戻った。
 「ミサイル代金は現金で支払った」。核の闇市場が摘発された際のムシャラフ・パキスタン大統領は、「核とミサイルの交換」疑惑を重ねて否定する。だが、当時、経済的に苦境に陥っていたパキスタンの外貨準備高は、わずか3週間分の輸出入代金に当たる7億7000万ドルと、底をついていた。米国務省で長年、核不拡散問題を担当した英国際戦略問題研究所(IISS)のフィッツパトリック氏は「ミサイル代金は2億1000万ドル」と指摘するなど、多くの核専門家は、ムシャラフ氏の説明に疑問を投げかける。

◇「闇市場」を仲介、技術を指導
 パキスタンと北朝鮮の交流は1970年代にさかのぼる。カシミールの帰属をめぐるインドとの紛争を機に、米国は対パキスタン武器禁輸を決定した。インドへの対抗上、軍備増強が不可欠なパキスタンはソ連と接触したものの、ソ連はインドと蜜月関係にあるため交渉は難航し、安価なソ連型武器を供給する北朝鮮に狙いを定め、76年には国交を結んだ。
 71年の東パキスタン(現バングラデシュ)分離独立、74年のインド初核実験と、パキスタンの生存を脅かす国難が続き、78年に就任したハク大統領は「借用だろうと、盗み出しても構わない」と核兵器取得に躍起になったほどだ。ハク大統領の政敵だった元大統領のアリ・ブット首相が欧州から呼び戻したカーン博士の力で80年代半ばには核兵器開発(初の核実験は98年)は達成したが、それもつかの間、今度は、インドが88年に新型ミサイルを開発する。インドのミサイルの射程が大幅にパキスタンを上回る「ミサイルギャップ」という事態に直面した。
 2度目の危機を救ったのは、カーン博士だった。外交筋によると、博士は92年ごろ北朝鮮に飛び、射程1300~1500キロとされる「ノドン」の買い付けに成功した。米議会調査局は「カーン博士は十数回、北朝鮮を訪問した」と指摘、ミサイル調達だけでなく、核開発の指導に当たったと分析する。
 ただ、カーン博士自身は、92年と99年の2度しか訪朝していないとパキスタン政府に申告している。「博士の告白には、自己保身を図ろうとしている部分が多い」(外交筋)とされる。博士が北朝鮮で直接、ウラン濃縮に不可欠な六フッ化ウラン(UF6)製造や、遠心分離機の使用法などのほか、核兵器製造の技術指導に当たったかどうか、真相は現在も不明のままだ。
 北朝鮮は、博士が「大変、役だった」と評価する核兵器の起爆技術を供与。99年10月に政権を握ったムシャラフ氏が、北朝鮮技術者を国外退去させるようカーン博士に命じるまで、蜜月関係は続いた。米国の圧力を受け、博士自身も2001年3月にKRL所長を辞任、以後、北朝鮮からパキスタンへのミサイル協力も途絶えたとされる。
 北朝鮮のウラン濃縮活動について、米国の核科学者が10年11月に寧辺(ニョンビョン)を訪問した際、「P2」が約2000台設置されているのを目撃した。ウラン型核兵器の原料となる高濃縮ウランを製造できるため、国連安全保障理事会のほか、米国や日本など6カ国協議参加国が、即時停止を求めている。
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■ことば
◇核の闇市場
 パキスタンの「核開発の父」と呼ばれるカーン博士が、80年代後半から展開したネットワーク。ウラン濃縮用の遠心分離機や設計図、部品、核物質などを▽80年代半ばから90年代にかけてイラン▽90年代から2003年までの間にリビア▽90年代半ば以降は北朝鮮--にそれぞれ売り渡した。アラブ首長国連邦(UAE)のドバイを拠点に取引を展開、マレーシアに遠心分離機製造工場を設置し、欧州やアフリカなどの企業に部品を発注して調達した。03年に米英情報当局の通報に基づき貨物船が臨検されて発覚、消滅した。
 カーン博士は、オランダのデルフト工科大学でウラン濃縮に最も重要な要素とされる冶金(やきん)工学を学んだ。英独オランダ合弁のウラン濃縮会社「ウレンコ」の関連会社に75年まで勤務、遠心分離機用の特殊冶金開発に従事していた。その技術を持ち出し、76年、パキスタンに研究所を設立し、核開発を主導した。

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