2013年5月7日火曜日

公職追放解除の日

祖父の公職追放解除の日を天皇を招いて式典を開催した。
 安倍政権が開催にこだわった「主権回復の日」の式典は、安倍晋三首相
や伊吹文明衆院議長ら三権の長がそれぞれ式辞を述べ、四十分程度であっ
さりと終わった。
 首相は式辞の中に、日本が「主権回復」した1952年4月28日から20年も
後になって本土に復帰した沖縄県への配慮を盛り込んだ。

屈辱の日
・沖縄は四月二十八日を日本から切り離された日と位置付ける。

菅義偉
・沖縄の関係各所に「祝典ではない。誤解がある」と説明。

カボチャの祖父がA級戦犯容疑者として拘束され、進駐軍から開放された日
の意味しかないのに、60年も過ぎてから、皇室を招いてわざわざ式典を行
った。皇室は高齢で多忙。政治利用するのはなくすべきと思う。

米CIAから資金提供を受け、秘密工作と政党闘争を展開したとされる祖父の
内閣。現在も在日米軍基地が存在し、米政府の顔色を伺う日本政府に主権が
あるのかも疑問。さらに、領土争いのために、沖縄を占領し、軍事基地化。
敗戦国の人間は人に非ず扱い。
保守派ではなく、ただの売国者。
CIA関係者は、世襲との説もあり、外孫であろうが、継承者はそのまま引継
がれた可能性もある。現在の保守派は、売国者を支援。
保守とは売国なのだろうか。

衆院選2012 タカ派選択
自衛隊法改正案 陸上輸送
TPP ピンクスライム肉上陸か
米国 結婚防衛法は異人種間結婚禁止法か
米国 日本核兵器開発懸念


 2013年04月28日東京・日比谷、主権回復記念日国民集会


政府主催の主権回復式典に抗議 沖縄


---4・28政府式典:突然の「天皇陛下万歳」---
2013年4月29日 10時06分
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-29_48644

 【東京】壇上の安倍晋三首相ら三権の長がそろって両手を上げ、声を合わせた。「天皇陛下万歳」。28日に開かれた「主権回復の日」の政府式典。天皇皇后両陛下が式典終了後に退場する際、出席者から突然声が上がり、出席した国会議員や政府関係者約390人の一部も同調。天皇陛下は壇上で一瞬立ち止まった。
 式典に対して憲法改正への足がかりとする疑念の声が上がる中、政府が式典で強調した「未来志向」ではなく、戦前の光景に重なるような場面もあった。
 仲井真弘多知事に代わって参加した高良倉吉副知事は万歳をしなかった。「突然でびっくりした。あの場面でそうする必要はなかったかなと。ただ、積極的にしなかったわけではなく、反応できなかった」と終了後、報道陣に話した。
 約40分の政府式典は、安倍首相の独り舞台の様相でもあった。首相は舞台上に掲げられた大きな日の丸をバックに、約10分と最も多く時間を割いた。衆参両院議長、最高裁判所長官はそれぞれ3分。両陛下のお言葉はなく、残りは児童合唱団の歌声だけだった。
 首相は式辞で「沖縄の辛苦にただ深く思いを寄せる努力をなすべきだ」と強調し、沖縄戦や過重な基地負担に苦しんできた県民に一定の配慮を示した。
 しかし、直後に米軍のトモダチ作戦を持ち出し、「熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う関係になった例は古来、稀(まれ)だ」と2月の日米首脳会談で語った「完全な日米同盟」をアピールするような文言を続けた。
 一方、児童合唱団が歌声を披露する場面でも不可解な空気が漂った。出席者に向かって舞台上で歌うのではなく、出席者と同じ舞台下から、天皇皇后両陛下や首相などが並ぶ舞台上に向かって「翼をください」などの歌を合唱した。


---平和憲法の廃棄を狙う安倍首相…主権回復記念式ショー---
2013年04月29日08時43分
http://japanese.joins.com/article/990/170990.html?servcode=A00&sectcode=A00

 「私たちには日本を強くたくましくする義務があり、よい世界を作るために進んで貢献する、誇りある国にしていく責任がある」。
 壇上の日章旗の横に立ち準備した原稿を読み降りて行く安倍晋三首相の声にはいつになく力が入った。それもそのはずでこの日は安倍首相には記念碑的な日だった。サンフランシスコ講和条約発効(1952年)61周年。日本政府が「主権回復」という名前でこの日を記念したのは初めてだ。安倍首相の宿願事業でもあった。
 28日に東京の憲政記念館で開かれた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」は祝辞から最後の「万歳」まで安倍首相が終始一貫して主導した。憲法改正に対する国家的コンセンサスを作るための1段階措置だ。安倍首相は昨年8月に作成した自民党政策公約集にこれを含ませ、8カ月ぶりに実践に移したのだ。
 慶応大学の片山杜秀教授は、「連合軍最高司令部(GHQ)の占領時期(1945~52) 7年の否定的な面を強調し、4月28日(講和条約発効日)を一種の解放記念日と規定しようとするもの」と話した。「『現行の憲法は占領時代に強要されたもので、私たちが再び作らなければ真の自立ではない』という世論を形成するための安倍首相の意図」というものだ。
 この日の式典で安倍首相は、「7年の歳月はわが国の歴史の最も深い断絶であり試練だった。
 本日を大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたい」と強調した。直接的表現は避けながらも改憲の意志を強く表わしたのだ。
 別の計算もある。政治評論家の後藤謙次氏(元共同通信編集局長)は、「自身に政治的DNAを受け継がせた祖父の岸信介の政治的復権と関連がある」と指摘する。41年10月に発足した東条英機内閣の商工大臣、軍需次官を歴任し、太平洋戦争中の物資動員を総括した岸は、敗戦後の45年9月にA級戦犯に指名され収監された。3年の監獄生活の後公職選出を制限する条件で釈放された岸に52年4月28日の講和条約発効日は第2の政治活動開始日になった。以後岸は現在の安倍首相と同じように「自主憲法制定」「自主軍備確立」「自主外交展開」をスローガンに自民党55年体制を開いた。安倍首相にはこの日が「主権回復の日」であり、祖父である岸の「名誉回復の日」でもあったわけだ。
 その上講和条約締結の当事者である吉田茂元首相はこの日式場で安倍首相と並んで座った麻生太郎副総理の祖父だ。現在の日本を導くツートップである安倍首相と麻生副総理の祖父を賛える式典でもあったわけだ。
 この日天皇夫妻が式典に参加したことも議論を呼んだ。沖縄大学の小林武教授は、「憲法上『国民統合の象徴』と規定された天皇を、世論が二分化されている行事に参加させたことは天皇の政治利用に当たる」と主張した。このため共産党や社民党など野党はこの日の式典に参加しなかった。
 これに対して渡辺允前宮内庁侍従長は、「政府が閣議決定して出席を要請すれば憲法上断れない。これを断れば逆に天皇が政治行動をした格好になる」と釈明した。
 サンフランシスコ講和条約で本土と分離し米国の施政権下に置かれることになった(72年5月に日本に返還)沖縄の反発も激しい。沖縄の市民団体は「4月28日は『主権回復の日』ではなく、沖縄には日本から切り捨てられた『屈辱の日』だった」とし、政府の式典の時間に合わせこの日抗議集会を別に開催した。


---沖縄 いまだ主権ない 「屈辱の日」1万人集会---
2013年4月29日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013042902000115.html

 「沖縄を米国支配下にした日が、主権回復の日か」。政府が式典を行った二十八日の同じ時間に沖縄県宜野湾市で開かれた「屈辱の日」沖縄大会には、主催者発表で一万人の県民が参加し、思いをぶつけた。我慢を重ねてきた沖縄は、式典をきっかけに怒りを新たにし、日本から切り離された歴史を再確認している。 (柏崎智子)
 「式典まで開かれて、踏んだり蹴ったりじゃないかと思う。沖縄への認識を改めてもらいたい」
 沖縄戦の激戦地で、戦後は米軍による過酷な土地収用が行われた伊江島から参加した反戦地主、平安山良有(へんざんりょうゆう)さん(82)は、政府への強い抗議を口にした。
 米軍の捕虜になり、終戦後、慶良間諸島や本島へ連行された。二年後にやっと伊江島へ帰ると、一面焼け野原。必死に開墾するが、米軍に軍用地として接収された。「戦争のための土地は一坪も貸さない、という思いで抵抗してきた」
 日本の平和憲法のもとで暮らしたいと復帰運動にかかわったが、復帰しても土地収用を迫るのが米軍から日本の防衛施設庁に代わっただけだった。
 「基地はなくならず、むしろ強化する方向へいった。憲法の理念は沖縄では今まで実現されなかった。さらに九条が改正されれば、沖縄はもっと悪くなる。戦争になれば、基地のあるところが攻撃されるのだから」
 普天間飛行場の移設先の候補になっている名護市辺野古で生まれた村山友子さん(52)は「主権が回復したことはない。たとえようもない怒りを感じる」。常に米兵や戦車の姿を見、女性が暴行されたうわさなどを耳にして育った。「基地があるのは仕方ない、地元は経済効果で潤うんだなどと言う人たちは、一度その地で生活してみればいいと思います」
 若い世代の中には、政府の式典をきっかけに、四月二十八日が沖縄にとって「屈辱の日」だと初めて知った人もいる。壇上であいさつした中部地区青年団協議会の金城薫さん(32)もその一人。「知らなかった自分に一番ショックを受けた」と話し、会場に向かって呼び掛けた。「この日を、日本国民全員で沖縄と日本のこれからを考える日にしてほしい。今日を境に、そうなることを信じている」


---消えたお祝いムード 「主権回復の日」---
2013年4月29日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013042902000111.html

 安倍政権が開催にこだわった二十八日の「主権回復の日」の式典は、安倍晋三首相や伊吹文明衆院議長ら三権の長がそれぞれ式辞を述べ、四十分程度であっさりと終わった。もともと「祝典」とするはずが、予想以上の沖縄の反発を受け、祝う要素は消えた。 (古田哲也)
 「とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く日本から離れたままだった事実だ」
 首相は式辞の中に、日本が「主権回復」した一九五二年四月二十八日から二十年も後になって本土に復帰した沖縄県への配慮を盛り込んだ。
 式典は天皇、皇后両陛下も出席し厳粛に進んだ。沖縄に関しては首相だけでなく、伊吹氏も式辞で触れた。どの式辞にも祝いの言葉はなく「沖縄に寄り添う」とした政府の立場を示すような流れだった。
 沖縄県から仲井真弘多(なかいまひろかず)知事の代理として出席した高良倉吉(たからくらよし)副知事からは「式辞を聞く限りでは納得したというか、理解できた感じがする」と一定の評価も得られた。
 しかし、沖縄は四月二十八日を日本から切り離された「屈辱の日」と位置付ける。高良氏はこの日に沖縄県宜野湾市で開かれた抗議集会に関し「共感できる」とも述べた。
 安倍政権が式典開催にこだわったのは、野党だった自民党が昨年の衆院選で、保守層の支持を広げようと「四月二十八日を主権回復の日として祝う式典を開催する」と公約したからだ。
 首相が式典開催を表明した三月七日の衆院予算委員会では、自民党の野田毅氏が公約を読み上げ「約束したことは守るのが安倍内閣の基本方針だ」と促し、首相が「記念式典を実施する方向で検討する」と答弁した。首相周辺は式典開催は「式典開催は首相主導だ。政権発足直後から考えていた」と明言している。
 式典は、自民党がサンフランシスコ講和条約発効六十周年を記念して昨年の開催を計画していたが、当時は民主党政権だったため政府主催で開けなかった経緯がある。首相としては、自民党が政権奪還を果たしたことを誇示する晴れの舞台にするため、開催にこだわったとみられる。
 政府側は当初からある程度の反発は想定していたというが、県議会が全会一致で抗議の決議をするなど、考えていた以上に沖縄の拒否反応は強かった。
 米軍普天間飛行場の移設先としている同県名護市辺野古沖の埋め立て申請を出し、知事の許可を待っている段階でもあり、危機感を持った菅義偉官房長官は今月初めに沖縄入り。関係各所に「祝典ではない。誤解がある」と説明し、必死に火消しに努めたが、祝う要素の有無だけで沖縄の怒りが消える問題ではないことを浮き彫りにした。

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