2013年5月3日金曜日

BOSTON He was friendly

ボストンの連続爆弾テロ事件の犯人が拘束された。
 ボストンを恐怖に陥れた2人のテロリストは、ロシア・チェチェン出身
の兄弟だった。兄のタメルラン・ツァルナエフ容疑者(26)は銃撃戦の末
に死亡。弟のジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)は、隠し持つ爆弾で
自爆を覚悟の逃走を続けた。

容疑者
・タメルラン・ツァルナエフ 26歳 男性 兄 イスラム教信者
 銃撃戦の末に死亡。
 妻帯者 妻の家系はキリスト教。幼い娘有。
・ジョハル・ツァルナエフ 19歳 男性 弟 イスラム教信者
 逃走後、拘束。
・兄弟はチェチェン人。
 1990年代に母国を脱出し、第三国を経て2000年から2001年頃に米国移住。
・ある親族は兄のことを「負け犬」、弟は「純粋な天使」としている。

カルト信者が度々起こしたテロ事件に似ている。
今までは、重装備で立てこもり、信者は集団自殺、教祖は逃亡と言うこと
が多かった。
米国社会に馴染めず、孤立している隙間にイスラム過激派の「悪い米国
社会を破壊しろ」と言う言葉が響いたのかもしれない。
米国では、人種差別と宗教差別に加え、経済的格差があるのは当たり前。
留学生が、現地に馴染めず帰国後に反対派主導者となり、扇動する話は
よく聞く。
兄は、孤立との報道だが、実際には妻と娘がいる。
本当に孤立していたのか、社会不適合者なのかは不明。

チェチェン人と言うだけで、分離主義者が米国を狙う決め付ける一部の
メディアがある。イスラム教過激派に傾倒の方がまだ理解できるが、
詳細は不明。
露からイスラム過激派に関与の問合せがあったとのこと。
FSBからCIAに問合せか。

司法妨害容疑と偽証容疑で友人が訴追された。

露反政府支持者射殺相次ぐ
ロシア 人権団体メンバー暗殺か
モスクワ地下鉄自爆テロ犯判明か
モスクワ空港テロ犯 犯行声明


Explosions at the Boston Marathon


Boston Bombing Suspect Arrested - Breaking News


3 More Suspects in Boston Marathon Bombing (TYT Supreme Court)


---級友3人を訴追 花火やコンピューターを廃棄---
2013.5.2 09:56
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130502/amr13050209570006-n1.htm

 【ニューヨーク=黒沢潤】米ボストン爆弾テロ事件で、検察当局は1日、チェチェン系の米国人、ジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)の級友3人を司法妨害容疑や警察への偽証容疑で訴追した。
 訴追されたのは、マサチューセッツ大学の級友で、カザフスタン出身のディアス・カディルバエフ(19)、アザマト・タジャヤコフ(19)両容疑者と、米国籍のロベル・フィリポス容疑者(19)。
 米メディアによれば、カザフ出身の2人は、ジョハル容疑者の姿が公表された直後、同容疑者の大学寮の部屋を訪れ、火薬が取り除かれた花火の筒(計7つ、長さ各約15~20センチ)が入ったリュックサックや、爆弾製造に使われた可能性もある軟膏(なんこう)、コンピューターを持ち出して近くのゴミ集積所に捨てた。
 フィリポス容疑者は、2容疑者と一緒にジョハル容疑者の部屋に行ったものの、警察に対して偽証していた。
 3人は、「(ジョハル容疑者が)トラブルに巻き込まれるのを防ぐため」、こうした犯行に及んだという。
 カザフ出身の2人はテロ発生の約1カ月前、ジョハル容疑者から「爆弾の作り方を知っている」と言われたが、3人はテロ事件には直接、関与していないとみられる。3人は最大で禁錮5~8年の刑が言い渡される可能性がある。
 3人はテロ事件直後、約12時間にわたって拘束されたがいったん釈放され、1日午前に再拘束されていた。
 ジョハル容疑者は先月22日、大量破壊目的の武器使用容疑で訴追され、現在はボストン郊外にある医療施設を備えた刑事施設に収容されている。


---ジョハル容疑者を訴追=「大量破壊兵器使用」の罪-ボストン爆弾テロ---
2013/04/23-12:17
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013042300035

 【ニューヨーク時事】米マサチューセッツ州のボストン・マラソン爆弾テロ事件で、ホルダー司法長官は22日、身柄を拘束したジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)を、大規模な被害をもたらす爆発物を使い、死者を出した罪で訴追したと発表した。長官は「これらの憎むべき行為を引き起こした者に法を最大限適用して責任を取らせる」と強調した。
 一方、CNNテレビによると、同容疑者は調べに対し、死亡した兄のタメルラン・ツァルナエフ容疑者(26)がテロを主導し、国際的なテロ組織とはつながりがないと述べた。
 訴追状によれば、訴因は「大量破壊兵器の使用」罪。長官は声明で、ジョハル容疑者が爆弾の「簡易爆発装置(IED)」を使い3人を殺害、200人以上を負傷させたと指摘した。同容疑者は悪質な破壊行為で死者を出した罪にも問われた。いずれの罪も有罪の場合、最高で死刑が科される。
 訴追状によれば、ボストン市内の病院に収容されているジョハル容疑者は、頭部や首、足などに銃によるとみられる傷を負っている。訴追手続きは容疑者が出廷できず、判事らが病室を訪れて行われた。5月30日に最初の予備的な審問が行われる見通し。


---ロボット、熱感知ヘリ、閃光弾…最先端技術の拘束劇---
2013.4.20 22:57
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130420/amr13042022580011-n1.htm

 米北東部ボストンで発生した連続爆弾テロ事件は19日夜(米東部時間)、丸1日かけた捜索の末に逃亡中の容疑者が拘束され、事態は急転直下で収束した。熱感知装置装備のヘリや捜査ロボット、特殊閃光(せんこう)弾といった最先端の捜査技術が容疑者を追い詰めた。「サンキュー!」「USA!」。住民からは警察の努力をたたえる歓声がわき上がった。
 地元メディアが、逃走していたジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)とみられる人物が見つかったと報じたのは同日午後7時ごろ。
 ジョハル容疑者は兄とともに、強盗事件を起こしたマサチューセッツ工科大のあるケンブリッジから、ウオータータウンに逃げ込んでいた。地元紙ボストン・グローブ(電子版)によると、民家の裏庭に置いてあったレジャーボートのカバーが引き裂かれ、血痕が付いているのを住民の男性が発見し、通報したのが解決の端緒となった。
 ABC、CNN両テレビによると、この通報でヘリコプターが現場へ急行。人間の体温を検知する赤外線カメラを使い、ボートの中でうごめく人間を上空から確認した。
 銃撃戦の後、警察当局は容疑者の説得のため人質交渉の専門官をボートの外側に派遣。専門官らは容疑者が自殺用の爆弾を装着したベストを着ているとみて慎重に近づく。
 「お前がそこにいることは知っている。手を上げて出てこい」。容疑者を取り囲んだ警察は、拡声器を使ってこう警告した。
 だが、容疑者はほとんど応答しない。警察当局はボートのカバーを引っぱるため無限軌道で動くロボットも投入。容疑者を気絶させるため、特殊閃光弾をボートへ投げつけた。
 赤外線カメラからのデータで、容疑者が失血により衰弱していることを確認。専門官らがボートに近づいて身柄を確保した。
 午後8時45分ごろ、容疑者の身柄拘束が伝わると、現場を取り囲んでいた警察官らが歓声を上げ、ミッションの成功を物語った。
 現場のすぐそばに住む女性は、銃声と大きな爆発音で一晩中眠れなかったとAP通信へ語り、「まるで私の頭のすぐそばを通り越したようだった。家全体が揺れ、とても怖かった」。特殊部隊のSWATチームが自宅の庭を走りすぎて行くのが見えた。自宅の側壁と玄関のドアには、弾痕が3カ所残っていた。
 地元住民はほぼ丸1日、当局から自宅にとどまるよう求められ、テレビなどの報道で状況を知るだけだった。地元警察が「身柄を拘束した」と伝えると、続々と姿を現し、「これ以上の流血にならなくて良かった」「グッドエンドだ」などと語り、ようやく安堵(あんど)した様子を見せた。
 現場を離れる警察車両に手を振りながら「サンキュー!」「USA!」などと連呼し、平和を取り戻した警察関係者をたたえた。
 《捕まえた!!! 追跡は終わった。捜索は終わった。テロは終わった。正義は勝利した。容疑者は拘束された》
 ボストン市警は公式ツイッターでこう宣言した。


---ボストン爆弾テロ犯、FBIが過去に聴取 過激派との接触なし---
2013.04.20 Sat posted at 14:31 JST
http://www.cnn.co.jp/usa/35031116.html

 (CNN) 米ボストン・マラソンで発生した連続爆弾テロ事件で、米連邦捜査局(FBI)当局者は20日までに、同市郊外ウォータータウンでの警官との銃撃戦で死亡したタメルラン・ツァルナエフ容疑者(26)を2年前に聴取し、テロ組織とは無関係の事実を把握していたことを明らかにした。
 2011年の聴取は、同容疑者と過激派とのつながりを疑う外国政府の要請で実施された。この外国の国名には触れなかったが、聴取と共に同容疑者の渡航歴やインターネットへの投稿の有無などを調べたという。
 結果的にテロ組織との関係を疑わせるような事実はなく、その旨を外国政府に説明。外国政府はその後、再度の聴取実施などの要請をしなかった。
 一方、事件捜査の最新の進展に詳しい米政府当局者は19日、タメルラン容疑者と弟のジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)は国際テロ組織アルカイダやアルカイダ系組織と直接的なつながりはなく、米国に対する新たな大規模なテロ謀議とも無関係であることが判明したと述べた。
 ただ、最終的な見方ではないとし、米情報機関や治安機関による合同捜査を進めているとも述べた。ロシアや中央アジアの武装組織との関係の有無などを中心に調べているという。
 両容疑者はロシアのチェチェン共和国の出身とされ、年少の時、いったんカザフスタンへ移ったが、2000年代初期に両親らと一緒に観光客として渡米。米政府当局者によると、一家はその後、亡命を申請した。弟は2012年に米市民権を得たという。兄弟は別々に訪米し、後で合流したとの情報もある。
 捜査当局などによると、タメルラン容疑者はボクシングに打ち込み、ニューイングランド地方の代表として大会に参加した過去もある。オリンピック代表も目指していたという。ジョハル容疑者は人気俳優のベン・アフレックさんやマット・デイモンさんが卒業した高校を卒業。市の奨学金も得ていた。レスリングの選手で月間の最優秀選手に選ばれたこともある。
 友人や知人は兄弟が今回の犯行を起こしたことを信じられないでいる。2人は楽しく、友好的な、物静かな人間だったと評した。タメルラン容疑者のおばによると、イスラム教徒の同容疑者は数年前からより敬虔(けいけん)になり、1日に5回祈りを捧げるようになった。
 母親によると、同容疑者がイスラム教徒の聖戦など過激なことを口にするようなことはなかった。母親に隠し事をするような息子ではなく、仮に不適切な行動に関与していたら気付いていたはずと主張した。
その上で、FBIが同容疑者の身辺をかぎまわっていたことに触れ、息子の行動を支配していたと非難をにじませた。ロシアのメディアに対し、タメルラン容疑者に対するFBIの情報収集などは3~5年続いていたとも語った。
 ジョハル容疑者は逃走したものの捜査員に追い詰められ、19日に拘束された。兄弟の父親はロシアの国営メディアに対し、FBIは過去に2、3度、兄弟に接触し、ロシアのチェチェン共和国出身の事実や迷惑行為を受けていないかなどの質問をしたことがあると明かした。
 両容疑者の犯行の動機などはわかっていない。
 FBIが過去にタメルラン容疑者を聴取した事実があったとの情報に、米下院国土安全保障委員会のマイケル・マコウル委員長(共和党)は19日、困惑を表明。委員長はCNNの取材に「レーダー網に一度ひっかかった人物をその後、自由にさせていたことになる」と指摘した。


---兄はドロップアウト、弟は優等生 何が兄弟をテロに駆り立てたのか---
2013.4.20 16:05
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130420/amr13042016060008-n1.htm

 何が兄弟を凶悪なテロに駆り立てたのか。それぞれの夢を持ちながら、人生を歩んでいた移民一家の兄弟。アマチュアボクサーで活躍した兄は大学を中退、弟は成績優秀者で、多額の奨学金を得て大学へ進学していた。2人の間で、どのように「テロの兆し」が醸成されたのか、捜査が待たれる。
 地元紙「ボストン・グローブ」(電子版)によると、兄弟は約10年前に一家でキルギスタンから移民してきた。元弁護士だった父親は、米国では自動車の修理工として働き、母親は美容師だった。地元テレビなどによると、両親は2年ほど前に帰国したという。
 死亡した兄のタメルラン・ツァルナエフ容疑者(26)は、エンジニアを目指し、ボストン近郊にあるバンカーヒル・コミュニティ短大に進学したが、単位を取れずに退学した。元アマチュアボクサーで、全国大会のタイトルも持っていた。近所の住民によると、最近はイスラム風の服装をまとうことが多くなっていたという。
 別のテレビ報道によると、3歳の子供がニューヨークにいるといい、家庭内暴力も起こしていた。
 弟のジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)は、ハーバード大に隣接するケンブリッジ・リンジ・ラテン高校を卒業し、多額の奨学金を得てマサチューセッツ州立大学ダートマス校へ進学。海洋生物学を学んでいたという。
 同高校で教鞭を執っていたグレース・テイラーさんは、「教育レベルが高く、ハリウッドスターのマット・デイモンさんも卒業した名門。多くがハーバード大やMIT(マサチューセッツ工科大)に進学し、音楽家や科学者になっている」と、産経新聞の取材に答えた。
 高校時代は、レスリングの選手として活躍するなど、文武両道だった。
 元クラスメートや進学指導教師らは地元テレビのインタビューに、「物静かな少年だった」「とても頭が良かった」と話し、「(事件は)信じられない」と繰り返した。
 その順調な歩みに、陰りが見え始めたのは大学進学後。同紙によると、多くの単位を落とし、成績が悪化する一方、大学の歴史教授に「チェチェンの歴史に興味がある」と申し出るなど、イスラムへの関心を見せ始めていたという。


---ボストン爆弾テロ、兄弟の素性…兄は「負け犬」弟は「天使」と親族---
2013.04.20
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130420/frn1304201452004-n1.htm

 ボストンを恐怖に陥れた2人のテロリストは、ロシア・チェチェン出身の兄弟だった。兄のタメルラン・ツァルナエフ容疑者(26)は銃撃戦の末に死亡。弟のジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)は、隠し持つ爆弾で自爆を覚悟の逃走を続けた。
 現地メディアによると、兄弟はロシア南部北カフカス地方出身のチェチェン人。1990年代に母国を脱出し、第三国を経て2000年から01年ごろに米国に移住した。ボストンのケンブリッジに在住し、米国永住権を所有している。
 親族の話などでは、兄はマサチューセッツ州のコミュニティーカレッジで工学を専攻。ボクシングの経験があり、米国籍を取得して五輪に出る夢があったという。弟は米国内の医科大学の2年生で、元クラスメートからは「物静かな少年」「普通の高校生で頭がいい」との評判を得ていた。
 移民の多い米国でそれぞれのキャリアを積んだ2人だが、家族との関係は微妙に異なっている。
 ある親族は兄のことを「負け犬」、弟について「純粋な天使」と評している。孤独感を深めていたのか、兄は、知り合いのカメラマンが運営するウェブサイトの中で、「オレには米国人の友達はたった1人もいない。彼らのことは理解できない」などと吐露していた。父親は「息子たちは敬虔なイスラム教徒だった」と語っている。兄は動画サイトの中で、イスラム系過激派テロリストのメッセージを貼り付け、「神より価値のあるものはない」などと話していたともいう。
 AP通信は、カナダに住むおばの話として、兄のタメルラン容疑者が2年ほど前からイスラム教に傾倒、毎日5回、礼拝をするようになったと伝えた。ただ同容疑者は結婚しており妻の家系はクリスチャンという。幼い娘がいたとも報じた。
 米メディアによれば、弟も、自身の信条を「イスラム教」とし、「地位と冨」を「人生の優先事項」と記載。本人のものと思われるツイッターでは、「おれは若くして死ぬだろう」と不気味な予告もしていた。
 弟は、事件前までこのツイッターに、頻繁に書き込みを行っていたもようで、3月末には、「バッグを2つ買った」と告白。犯行直前には「オレは何のストレスも感じない男だ」などと怪しげな書き込みを残していた。
 イスラム原理主義に取りつかれたかのような2人は、イスラム過激派が「ジハード(聖戦)」と呼ぶ自爆テロを強行しようとしたのか。


---Boston Attacks Turn Spotlight on Troubled Region of Chechnya---
By PETER BAKER and C. J. CHIVERS
Published: April 20, 2013
http://www.nytimes.com/2013/04/21/world/europe/boston-attacks-turn-spotlight-on-troubled-chechen-region.html?pagewanted=all&_r=0

WASHINGTON - The possible motivations of the two brothers linked to the Boston Marathon bombings are as yet publicly unknown. Of Chechen heritage, they lived in the United States for years, according to friends and relatives, and no direct ties have been publicly established with known Chechen terrorist or separatist groups.

 Yet, with at least one brother talking of Chechen nationalism on the Internet, their reported involvement in the marathon attack throws a spotlight back on one of the darkest corners of nationalist and Islamic militancy, and to a campaign for separatism and vengeance responsible for some of the most unsparing terrorist acts of recent decades.

Fired by a potent mix of blood codes, separatist yearnings and Islamic militancy, Chechen groups have staged a string of intermittent but spectacular attacks in Moscow and elsewhere in Russia since the 1990s. They have bombed trains, planes and subways, attacked a rock concert and slammed a truck bomb into a hospital. In 2002, they seized a crowded theater in Moscow, an attack that culminated in a commando raid that killed 130 hostages.

In the spring of 2004, a bomb placed in a stadium in Grozny, the regional capital, killed the Kremlin’s handpicked Chechen president. That summer, female suicide bombers with hand grenades brought down two Russian passenger jets nearly simultaneously, killing 90 people.

Days later, a group of terrorists working for Shamil Basayev, the one-legged separatist military commander who was then Russia’s most wanted man, stormed a public school in the small town of Beslan, in a nearby republic, leading to the deaths of more than 300 people, most of them schoolchildren, their parents and their teachers.

Such violence had typically been confined within Russia.

Reports, often based on little more than rumors or Kremlin-sourced leaks, of extensive Chechen involvement in terrorism or insurgencies elsewhere have been a staple of public commentary on such violence since 2001.

These reports - of Chechen snipers and bomb-makers appearing in one conflict after another, and of Chechens filling the ranks of armed groups in Iraq, Afghanistan and elsewhere - often proved to be exaggerated.

Chechnya’s battles with Russia and against Russian rule had been fought in recurring if irregular cycles for centuries; Chechens did not have to travel to find their foes, much less their targets. In interviews many Chechen emigrants and fighters have emphasized that they consider their enemies to be local, not foreign.

But in time outside influences crept into the North Caucasus’s homegrown war, and the moves and countermoves between Russians and Chechens spread beyond Russia’s borders.

Two wars erupted between Russia and Chechen separatists in the 1990s. The first had old roots. Many Chechens, an independent Muslim people of the highlands, have long chafed at what they view as Russia’s imperial rule. With the collapse of the Soviet Union and the breakup of the Warsaw Pact, Chechen separatists perceived a fresh chance to claim their own state.

Chechnya’s oil reserves provided an incentive for both sides to refuse to yield their claims, and Islam colored the fight. Arab fighters appeared in Chechnya with the onset of the first war, saying they had come to help fellow Muslims fight oppression.

By the mid- and late-1990s, several training camps operated almost openly in rural Chechnya, led in part by a foreign jihadi, Ibn al-Khattab.

Later, however, many Chechens said the Arab influence had declined amid tensions between the Sufi Chechens and Sunni Arabs, who typically adhere to different Islamic traditions and practices. In addition, the allure of the wars in Iraq or Afghanistan, Chechens say, drew many Arab fighters away from Chechnya’s mountains.

And yet the ripple effects of the Chechen wars eventually played out in 2004 in the Arab emirate of Qatar, where Russian agents assassinated an exiled Chechen leader with a car bomb, and on the streets of Vienna in 2009 when Chechens gunned down a fellow Chechen who had broken from the Kremlin-supported leadership in the republic to file a complaint in the European Court of Human Rights. The complaint detailed torture by the Russian-backed security services, and the republic’s current president, Ramzan A. Kadyrov.

Just a week ago, the United States put Mr. Kadyrov, a former rebel turned ally of President Vladimir V. Putin of Russia and the primary subject of the torture complaint, on a secret list of Russian citizens banned from the United States for human rights abuses, according to people briefed on the list.

Curiously, the most political of the video clips posted on social media by one of the Tsarnaev brothers was not aimed at the West, but at Mr. Kadyrov, who is loathed by many Chechens and regarded as a vicious Kremlin stooge.

Mr. Kadyrov on Friday dismissed the Tsarnaev brothers and any ties between the Boston bombing and Chechnya. “The roots of this evil are to be found in America,” he said in a post on Instagram.

With all its longstanding crosscurrents, and partly because of its seeming remoteness and small scale, the Chechen conflict has long confounded American leaders and policy makers.

Boris Yeltsin, president of Russia immediately after the Soviet breakup, launched a war from 1994 to 1996 to re-establish control of the region. As Mr. Yeltsin’s prime minister, Mr. Putin ordered a second war in 1999, after a brief period of Chechen self-rule that was characterized by criminality and accusations of terrorism.

Mr. Putin waged a relentless campaign that included carpet bombing and the indiscriminate shelling of Grozny, with more ordnance than any European city had endured since World War II.

While the United States has shared intelligence on Chechen militants with the Russian government over the years, American officials have been reluctant to be too associated with Moscow’s Chechnya policies, which resulted in the destruction of Grozny, the deaths of tens of thousands of civilians and the indiscriminate imprisonment of many young men. Then, as open resistance declined, control was maintained by flagrantly rigged elections and collective punishment.

At one point during President George W. Bush’s administration, a debate broke out over a proposal by a National Security Council official to effectively partner with the Russians in fighting Chechen rebels. Other officials from the State Department and Pentagon vociferously opposed it, arguing that the United States should not ally itself with the Kremlin’s tactics.

By then what had started as a separatist revolt had partially assumed a jihadi cast. The Chechen cause had been adopted by the likes of Osama bin Laden and other foreign radicals, who tried to insinuate themselves into the struggle; several Chechen rebel leaders embraced Islam as a rallying cry.

Bin Laden’s top deputy, Ayman al-Zawahri, had traveled to Russia in 1996 to explore the possibility of relocating operations to Chechnya and was arrested on a visa violation, only to be released several months later. Mohammed Atta, a future Sept. 11 hijacker, and other members of a Qaeda cell initially wanted to join the jihad in Chechnya but were told it was too hard to get in and were advised to go to Afghanistan instead.

With the defection of some rebels like Mr. Kadyrov and his father, Moscow eventually re-established control over most of Chechnya. Much of Grozny was rebuilt.

But the separatist insurgency has never been extinguished. Whether the Boston bombing was tied to it is still unclear, but a generation of young Chechen men have never known a peaceful homeland, coming of age as young Muslims with few prospects at home in the Caucasus, and difficulties finding a place abroad.


---FBI wait to quiz Dzhokhar Tsarnaev amid relief over suspect's capture---
Ed Pilkington in Boston and Matt Williams in New York
guardian.co.uk, Saturday 20 April 2013 21.04 BST
http://www.guardian.co.uk/world/2013/apr/20/fbi-quiz-dzhokhar-tsarnaev-suspect-capture

Suspect in Boston bombing remains in a serious condition in hospital following capture on Friday after intense manhunt

Special agents trained with interrogating high-value suspects were waiting Saturday to question Dzhokhar Tsarnaev, the 19-year-old alleged Boston marathon bomber who remains in a serious medical condition at one of the city's hospitals.

The suspect was brought late on Friday night to Beth Israel Deaconess medical center - the same hospital where earlier in the day his brother Tamerlan died having been shot in a massive gunfire with police. Massachusetts Governor Deval Patrick said Saturday that Dzhokhar was in a serious but stable condition and was "not able to communicate yet."

The capture of the younger brother led to an outpouring of celebrations across Boston, with people draping trees with the American flag along Boylston Street, near to where the two bombs were detonated.

In Dorchester, where one of the victims, eight-year-old Martin Richard, lived, people set off fireworks.

With a week-long manhunt for the suspects now over, and Boston getting back to normal following a virtual lockdown of the city on Friday, thoughts are now turning to the unanswered questions raised by the marathon bombings. The younger Tsarnaev was not read his Miranda rights - including his right to remain silent - at his arrest under a public safety exception, allowing investigators to grill him about possible accomplices or networks that might have conspired in the attacks.

It was a decision supported by some, including Republican senators Lindsey Graham and John McCain, who called for Tsarnaev to be classified as an "enemy combatant".

But civil rights advocates gave warning over the move. The American Civil Liberties Union said the public safety exemptions from Miranda rights should not be "open-ended" and that America "must not waiver from our tried and true justice system".

US prosecutors are considering how best to press charges against Tsarnaev, bearing in mind his medical condition. They might wait for him to recover sufficiently to be taken to the federal courthouse in South Boston, or they might even request a federal judge comes to the hospital to charge him at the bedside.

In the meantime, armed guards stood by his bedside at a hospital where many of the wounded from Monday's bombing were taken. US officials said a special interrogation unit specialised in dealing with high-value suspects were waiting to question the 19-year-old.

Once federal investigators are allowed access to Tsarnaev, they will be keen to quiz him on his connections - in the US, in Dagestan, where his father lives, and Chechnya, where Tamerlan Tsarnaev is thought to have visited last year.

Overnight, the FBI took two men and a woman in New Bedford, Massachusetts, in to custody and are questioning them about their links to Dzhokhar Tsarnaev.

Much of the investigation is likely to focus on the activities of Dzokhar's elder brother. The FBI has revealed that in 2011 Tamerlan was interviewed by its agents at the request of an unnamed foreign government - widely reported to have been Russia - who asked the bureau to look into whether Tamerlan, then 24, had extremist connections.

In a statement, the FBI said that the foreign government had information that Tamerlan Tsarnaev was a "follower of radical Islam and a strong believer, and that he had changed drastically since 2010 as he prepared to leave the United States for travel to the country's region to join unspecified underground groups."

In response to the request, the FBI scoured Tamerlan's telephone records, online history, associations with other people, movements and educational history, and agents interviewed him and his relatives. But the bureau found no evidence of terrorism activity either at home or abroad. It passed on its findings to the foreign government.

The FBI is now likely to retrace its steps and repeat that search more thoroughly.

Tamerlan Tsarnaev's six-month visit to Russia last year will be of particular interest to federal agents. During the visit he stayed with his father, Anzor Tsarnaev, in Makhachkala, Dagestan, and visited the family's ethnic home of Chechnya, it is believed.

Speaking from Russia, Zubeidat Tsarnaeva, the suspects' mother, suggested that Tamerlan had already been subjected to FBI surveillance.

"They knew what my son was doing, they knew what sites on the internet he was going to," she told state television.

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