2013年8月31日土曜日

人の不幸で金儲け

人の不幸で金儲けが好きになれない。
 シンガー・ソングライター、宇多田ヒカルさんが、飛び降り自殺した母
で歌手、藤圭子さんと無言の対面を果たした。衝撃死から6日目を迎えた
この日午前、父で音楽プロデューサー、宇多田照實氏とともに遺体が安置
されている都内の斎場を訪問。約40分間、家族だけの最後の時を過ごした。
最愛の母との別れ。宇多田は涙をこらえるのが精いっぱいだった。

霊柩車の助手席に座った宇多田ヒカルさんを実況中継する番組が多く、
数日は、初めのほうに放映された。
メディアスクラムのような状態で、見ている方はうんざり。
消息がわからない母親が死亡した上に、マスコミが葬儀場に待機。
人の不幸をやじうま気分で視聴率が上昇するのかもしれない。

追悼番組の出演料を葬儀代に充てるとの説もあるようだが、ここぞとばか
りに、周囲の人が人の不幸で金儲けとしか思えない。

お悔やみ申し上げます。

死哲
Farrah Fawcett Cancer Research Foundation open
Obama Bin Ladin Dead
鉄の女死去
Cory Autopsy Mix of Heroin and Alcohol


---宇多田ヒカル悲痛、無言の対面…涙こらえ最後の別れ---
2013.8.28 10:40
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130828/ent13082810450003-n1.htm

 シンガー・ソングライター、宇多田ヒカル(30)が27日、飛び降り自殺した母で歌手、藤圭子(本名・阿部純子、享年62)さんと無言の対面を果たした。22日の衝撃死から6日目を迎えたこの日午前、父で音楽プロデューサー、宇多田照實氏(65)とともに遺体が安置されている都内の斎場を訪問。約40分間、家族だけの最後の時を過ごした。最愛の母との別れ。宇多田は涙をこらえるのが精いっぱいだった。(サンケイスポーツ)
 何度もまばたきを繰り返した。母との悲しみの対面。霊柩車の助手席に座ったまな娘は、フラッシュのまぶしさではなく、母への思いから、込み上げる涙を必死にこらえた。
 午前8時。喪服姿の宇多田は照實氏とともに白いワンボックスカーで、藤さんの遺体が安置されていた東京・目黒区の碑文谷会館に到着。突然の死から6日目にして、親子3人での対面が実現。約40分間だけだったが、最後の時を過ごした。
 その後、照實氏とともに棺を霊柩車に収めた宇多田は、手を合わせて、母に寄り添うようにそのまま助手席へ。出棺の際、約40人の報道陣に囲まれ騒然とした雰囲気に包まれたが、動じることなく、白い菊の花束を抱え、終始うつむいたままだった。
 それでも悲しみは隠しきれない。2001年に藤さんと自身のプロデュースをめぐってケンカするなど、“確執”があったといわれる宇多田。前日の26日に海外から帰国し、藤さんが「精神の病」に苦しめられていたことや、「母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」などと思いを公式サイトで告白した。気持ちの整理がついてから対面に臨んだようだが、その表情は憔悴しきっていた。
 この日は藤さんの残した遺言書に従い、葬儀は執り行われなかった。霊柩車は午前9時ごろに品川区の桐ケ谷斎場に到着し、その後、遺体は荼毘に付された。同10時40分ごろ、宇多田は照實氏とともに斎場を後に。その際も顔を上げることはなく、港区内の自宅に入った。
 「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」
 葬儀も祭壇もないが、愛する家族だけで見送った。宇多田が公式サイトで綴ったこの言葉が、天国の母に届いているに違いない。
4月からラジオでレギュラー 次回9・17放送予定
 宇多田は2011年から「人間活動」を理由に音楽活動を無期限休止中だ。今年4月からInterFMで、月1回のレギュラー番組「KUMA POWER HOUR with Utada Hikaru」(第3火曜後10・0)を持っており、次回は9月17日放送予定。宇多田の肉声が注目される。


---宇多田ヒカル:藤圭子さんと無言の会話---
2013年08月28日
http://mainichi.jp/sponichi/news/20130828spn00m200016000c.html

 歌手の宇多田ヒカル(30)が27日、亡き母と悲しみの再会を果たした。母親で歌手の藤圭子さんがマンションから身を投げ、62歳で亡くなった22日から6日目。遺体の安置された都内の葬儀所を訪れた。父で藤さんの前夫の音楽プロデューサー・宇多田照實氏(65)らと火葬に立ち会い、最後の別れを惜しんだ。
 午前8時ごろ、宇多田と照實氏を乗せた白のワンボックスカーが、藤さんの眠る東京都目黒区の碑文谷会館に到着した。黒い服装の宇多田は、終始伏し目がちで、沈痛な表情だった。
 藤さんはここ12年、世界各国を旅しており、音信不通に近い状態が続いていた。確執が報じられている照實氏も含め、久々の対面は悲しい形で実現した。約40分後に姿を現した宇多田に、報道陣約30人から「対面されて、どんな言葉を掛けましたか」などの質問が飛んだが無言。照實氏らと一緒に棺を霊きゅう車に運び、助手席に乗り込んだ。膝上に白い菊の花束を乗せ、火葬場のある品川区の桐ケ谷斎場に向かった。潤んだ目が、うつろに宙を見つめていた。
 最愛の母の死から6日目。気持ちの整理に長い時間を要した。「嵐の女神」(10年)で「お母さんに会いたい」と深い愛情を表現し、歌手の先輩としても尊敬する存在。一方でパニック障害などの病を抱え、家族にも不信感を募らせる母への困惑と悲しみも深かった。前日26日、ブログで母の死後初めてコメント。「家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのかずっと悩んでいた」「翻弄(ほんろう)されるばかりで何もできなかった」と母の力になれず悔いていた。
 午前9時半からの火葬に立ち会ったのは宇多田父子ら親族、関係者の5、6人のみ。多くの人の心を震わせた昭和の歌姫としては寂しい旅立ちだった。だが斎場に居合わせた人は、宇多田の様子を「言葉はなかったけど、涙もなかった。気丈で立派だった」と話した。久しぶりに見た母の顔。じっくり重ねた無言の会話が、心の整理をつけたのかもしれない。「彼女は天才。私よりずっと凄い」と誰より娘の活躍を喜んだ母。悲しみを乗り越え、心を震わす歌声をファンと母に届けることが何よりの手向けになる。
 宇多田は斎場関係者らに一礼して、照實氏とともに足早に車に乗り込むと、警備員らの誘導を受けて裏口から斎場を後にし、照實氏の住居とみられる港区のマンションに戻った。ただ、斎場でもマンションに入る際も2人が藤さんの遺骨を持つ姿は確認されなかった。(スポニチ)


---宇多田ヒカル、無念の思い「何も出来なかった」
2013.8.27 06:37
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130827/ent13082706380000-n1.htm

 22日に東京・西新宿のマンションから飛び降り自殺した歌手、藤圭子(本名・阿部純子)さん(享年62)の長女でシンガー・ソングライター、宇多田ヒカル(30)が26日、公式サイトで母の死について初めてコメントした。藤さんが「精神の病」に苦しめられていたと告白する一方で、「母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」とつづった。前夫の音楽プロデューサー、宇多田照實氏(65)もコメントし、故人の「遺言書」が存在すると明かした。(サンケイスポーツ)
 藤さんの衝撃死から5日目。母親から音楽的才能を継承し、トップアーティストの地位を確立した宇多田が、苦しい胸の内を明かした。
 「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」
 無念の思いをつづった宇多田は公式サイトで「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」と告白。幼少のころから母と生活する中で藤さんは治療をめぐり、家族にも不信感を抱くようになったという。当時の状況を「私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」と振り返りつつ、「悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います」と感謝した。
 一方、藤さんの前夫、照實氏も宇多田の公式サイトで初めてコメントを発表。23日に藤さんの遺体が東京・目黒区の碑文谷会館に搬送された際、関係者を通じ「故人の遺志により葬儀はしない。火葬のみとする」と発表したが、それについて「故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志」と説明した。藤さんの自殺後、警視庁新宿署は遺書は見つからなかったと発表。しかし、藤さんが生前にしたためた遺言書が存在することを明かした。
 さらに、宇多田が告白した「精神の病」についても触れ、娘が5歳のころから、藤さんの攻撃的な発言などが目立つようなったと説明。最近の藤さんについて、「直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました」とし、米ニューヨークを拠点に欧州各国、豪州など頻繁に海外旅行していたという。
 最後の会話は今月14日。電話で約8分間、世間話をした照實氏は「最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです」とつづった。沈黙を破り、藤さんへの愛情を示した2人。ただ、宇多田がコメントをどこから発信したか、不明だ。ニューヨークにいるとされるが、すでに帰国したのか。「精神の病」など家族の秘密を公にしたことで、ひと区切りつけた宇多田。27日にも、遺体は荼毘(だび)に付される。
 藤さんの遺体が安置されている碑文谷会館には26日、休館日にもかかわらず、約50人の報道陣が集まった。午前中には棺とみられる白い箱を乗せたワゴン車が到着したが、同会館側は「藤さんのものではありません」と説明。この日も、宇多田は同会館を訪れなかった。


---藤圭子さん死去:宇多田ヒカル 母の悲報5日目に沈黙破る「後悔の念募る」---
2013年08月27日
http://mainichi.jp/sponichi/news/20130827spn00m200004000c.html

 歌手の宇多田ヒカル(30)が26日、公式サイトで22日に母親の藤圭子さん(享年62)が自殺したことについて「あまりに悲しく、後悔の念が募るばかり」などと心情を吐露した。
 藤さんの死についてコメントしたのは初めて。自分が幼い頃から藤さんは「精神の病に苦しめられていた」「悲しい記憶が多い」などと明かした上で感謝の言葉も述べた。この日までに帰国したとの情報もあり、27日にも悲しき対面を果たす可能性がある。
 最愛の母の悲報から5日目で初めて沈黙を破った。母娘の距離を感じさせるように母を時折、彼女と呼ぶなどしながら、「8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました」と切り出した575文字には、悲しみと感謝が入り交じった心情が込められていた。
 生前の藤さんについてさまざまな臆測が飛び交う中、「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」と告白。23日付本紙でも報じたとおり、藤さんはパニック障害など心の病を抱えていた。
 「その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました」と、苦しむ母の姿に心を痛めていたことを打ち明けた。
 宇多田が幼い頃から藤さんの病気は徐々に進行していったという。症状が悪化していくにつれて「家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました」と、感情の起伏が激しくなっていったと説明。そうした状況は変わらず「私はただ翻弄(ほんろう)されるばかりで、何も出来ませんでした」と自身の無力さを嘆いた。
 3年前に音楽活動を休止した際に藤さんの行方は知らなかった。やっと伝えられた消息はあまりにもつらい悲報だった。「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」
 藤さんを尊敬し、歌手業はもちろん、米国の名門コロンビア大学に合格するなど学業でも母の期待に応えてきた。メッセージの後半には自然と母への愛があふれ出した。


---宇多田ヒカルさん「後悔の念が募る」母死去で---
2013年8月26日15時21分  読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130826-OYT1T00760.htm

 歌手の宇多田ヒカルさん(30)が26日、母親の藤圭子さん(62)が22日に亡くなったことについて、「あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」などとするコメントを自身のホームページで公表した。

宇多田さんのコメント(全文)は次の通り。
 8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。
 様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。
 彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。
 幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。
 母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。
 誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。
 母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
 沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。
25年8月26日
宇多田ヒカル

0 コメント: